人物画を描こう!という話

 今回も東京03を描く

相変わらず、描くのが遅いこみちです。

その原因は、迷いがあるからです。

最近、右のようなイラストをyoutube にアップすると、温かいコメントをもらうことが増えました。

よく描けた時は高評価も増えますし、もう一歩という時は高評価も頭打ちです。

低評価をつけられることもありますが、ある意味でわざわざ関わってくれて、教えてくれたのですから次に活かそうと思います。

少し前、これだけ誰もがスマホを持ち歩き、高画質で鮮明に撮影できる時代になって、絵を描く意味を考えたりしますが、描く楽しさという意味では苦労して描く中で、発見することがあるから楽しいと感じます。

例えば、似顔絵を描く時に、ある一本の線があるとないで全く違うことがあります。

つまりその一本が究極の線で、それ無しには成立しないという大切なものです。

例えば、絵を普段全く描かない人が、トレースして描いたとしても、その線をぜんたに眺めるといい感じで対象物を感じられます。

なぜなら、トレースはすでに撮影されたものを使うので、既に意味を持った物体になっていて、それを無意識でもなぞることで、形を呼び起こせます。

しかし、デッサンになってしまうと、経験が少ない人では急に存在感が消えてしまい、さっきまであった雰囲気が失われます。

例えば、絵が好きで描いていても、誰か別の人が描いた作品を見て、ハッと気づくことがあります。

同じように描いているのに、自身が描いた時には感じなかったのに、誰かの作品では感じることができる不思議が感覚がそれこそ究極の線だと思います。

ある意味で宿るようなもので、すぐにその洗礼を受けられる人もいれば、長く描き続けることで身につける人もいます。

一方で、好きで描いているのに、一向に上手くならないという人もいて、究極の線に出会えることがとて有り難く、でも毎回遭遇できるとは限りません。

癖が強くと言ってしまえばそうなのですが、究極の線に出会えることが楽しくて、またそんな出会いの良さを多くの人に感じてもらうために、どんな方法があるのかとも考えたりします。

何をどう描くことが、描くことの楽しさなのかといろいろ考えてみるのですが、当たり前に思い過ぎることも多くなって、実は大切にするべきだというポイントを見失ってしまっているのかもしれません。

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