東京03人気コント『気遣い』より 好きなワンシーンを描いてみた!

 気遣い

相手を思って、気の利いたことをさり気なくできる人を見ると大人だなぁとかんじます。

例えば、学生時代よりも、社会人になって気づくのは、「気遣い」の質。

「喜ぶ顔が見たい!」という素直な動機ならまだしも、「コレをすれば…」とどこかで自身の評価を見越して行動してしまうこともあるはず。

東京03の人気コント『気遣い』は、後輩の角田さんと豊本さんがまだ会社で残業している先輩の飯塚に会いに行くという設定。

すかさず豊本さんは缶コーヒーを買って、飯塚さんに届けます。

もちろんそんな気遣いに飯塚さんも喜び、ふと何もしない角田さんに「何かしてくれ!」とこれまでの鬱憤が一気に吐き出されます。

ところがあるタイミングで、角田さんが「なんか〜」と言い出します。

そして、そつの無い豊本さんを「お前は良いよなぁ」と意味深な発言をして、そんな行為をどこかで気恥ずかしいと語ります。

そして今回描いたワンシーンへと移ります。

「やってる〜!」

見え見えなことを平気でできる人と、それを見て真似できないと引いてしまう人。

「気遣い」というコントのタイトルの意図が明らかになります。

確かにさり気なくできれば良いのですが、どこかスマートじゃと周りからはアイツ「やってる〜」と思われているのかもしれません。


今回も東京03のコントシーンを描いてみる

 昔から憧れていた!?

東京03のコントが好きで、繰り返し何度も見ています。

脚本としての完成度もそうですが、お三方の演技力と個性の調和が絶妙で心地よくていいんです。

今回、選んだこのシーンは、先輩役の飯塚さんが以前から気になっていた後輩角田さんへの気持ちを爆発させた場面。

文字で伝えるという方法もありますが、描いて伝えるという方法もあります。

描いて伝えるためには、それぞれが誰で、手足の動きや表情をどこまで表現出来るのかも重要になるでしょう。

一人の人物が立っているのとは違って、複数名になれば大きさも重要ですし、動きや力感、奥行き感など、省略できないことも少なくありません。

だからこそ、どこまで自身の画力で再現し、それを誰かにお伝えできるかにこだわってしまうのです。

昔、今みたいにデジタルアートではなく、筆で描いていた頃、季節感や時刻をとても上手に表現される憧れの画家がいて、その方のフィルターを通して見える作品は独特の雰囲気にあふれていました。

まぁ、カメラでも厳密に言えば使うレンズメーカーや種類によって、それぞれの個性があるのですが、作風とか画風を自分なりに見つけるまでかなり悩んだ時期と重なり、とても勉強になりました。

「こみちっぽい絵」と言われることに憧れましたし、それはある意味で癖とかタッチから作られたものだと思います。

世の中には上手い絵を描ける人はたくさんいると思うのですが、どこまで雰囲気を伝えられるかは奥が深くて、だからこそずっとこだわりながら描いて来たつもりです。

まだまだ、本当に描きたいレベルには遠く及ばないのですが、これからももっと描き続けて、さらに憧れていた領域にたどり着きたいです。


東京03 豊美さんを描いてみた!

 豊美さんを描いてみた!

東京03のコント『魔が差して』は、不倫を題材に練られたネタです。

「魔が差して」というフレーズからは、浮気を問い詰められた時によく使うセリフでしょう。

しかし、東京03のコントでは少し違います。

このシーンは、ぬいぐるみを夫役の角田さんから投げ渡されて、妻役の豊美さんが受け取ったところです。

何やら浮かない表情を浮かべた豊美さんですが、どこまでそれがしっかりと描写できたでしょうか。

豊本さん演じる「豊美さんに似ている」ではなく、コントで重要な場面であるこのワンシーンの雰囲気をどこまで再現できたのかがポイントで、こみちとしても内面まで描けることを目指したいです。

正直なところ、羽織っているカーディガンの編み目などの描写が乏しく、もう少し時間を掛けて再現するべきだったと思います。

ただ、豊美さんの顔や髪を描くことで、かなり限界を迎えていたので、全体としての完成度が下がってしまいました。

美女を描いてみる!?パート3

 どこまで学べたのか?

女性を描く難しさを実感しながらも、試行錯誤を繰り返してみました。

全体に色が乗った段階で、ここからはさらに詳細な描き込みに入ります。

まだまだというか、先が見えないほど修正したいポイントがあって、どこまで追えるかが問われている感じです。

現段階では、肌のトーンを修正している途中で、特に右サイドの陰影に悩んでいます。

髪の毛も3段階くらいのトーンで分けてみましたが、まだまだ修正しなければいけません。

全く先が見えないです。

完成と呼べるところまで描けるのか、こみち自身も分からなくなって来ました。

東京03 角田晃広さんとぬいぐるみを描いてみた!

 東京03 角田晃広さんを描いてみた!

今回は似顔絵というよりも、新しい描き方を試みた一枚です。

こみちが描く絵は、芸術的な作品ではありません。

こみちが見た、感じた光景を文字ではなく、絵で表現できるための過程です。

なので「誰か?」ということよりも、「何を伝えたいか?」が大切だと思って描きています。

そのためには、性別や年齢、表情、さらに言えば存在している場所や時刻なども盛り込めるようになりたいのです。

なぜなら、そこには意図や流れがあって、その一つずつが意味を持ってそこに存在しているからです。

しかしながら、こみちの画力では全てのシーンを描くことがまだできません。

なので、少しずつですが描ける範囲を広げて、今以上に感じたことを絵で表現できる人になりたいです。

正直、こみちはあまり器用に生きられるタイプではなく、何度も同じ場所をぐるぐると回ってしまいます。

でもだから、こうして絵に出会い、ずっと絵を描くことを続けて来られたとも思います。

ボチボチの公式にはなりますが、この場をお借りして描いた絵を紹介させてください。

いつも応援してくださる方々、本当に感謝しています。どうもありがとう。

aiの作画から学ぼう!パート2

 aiから作画を学ぼう!パート2

昨今、「描くこと」自体はaiでできてしまう。

今回もaiの作画を見て、ポイントを学ぼうという話。

前回のイラストに比べて、もう少し加筆してものが右のイラストです。

光の反射を加えた段階で、一方でまだ途中の影の部分まで描けると急に立体感が伝わると思います。

髪の毛の描写などは、大まかな色づけだけですが、もう少し精密に色づけできると「髪質」が伝わるでしょう。

個人的には、女性の肌質を描くのは難しく、その色味の変化をしっかりと追えたら今後、描ける範囲が増えるはずです。

今はまだイラストと分かるレベルですが、どこかで写真っぽく見える境界線を、今回学べたら嬉しいと思っていて、もう少し加筆を続けたいと思います。

「マストな線」が見つかった?

 「絵」における「マストな線」とは?

絵を描いている時に「これだ!」と自分でも感心する「線」があって、その線が不思議と絵の中心的なイメージを作ります。

完成したイラストだけを見ると、誰かの背中で、脇にもう1人が立っていることに気づくでしょう。

元々は東京03のコントのワンシーンですが、見えている背中は成人男性な骨格です。

背景のエンジ色のひだに影ができて、そこに二人が向かって何か話しているようにも見えます。

脇に立つ人の背中にも影ができて、二人の距離感も伝わるでしょう。

絵をアップにすると、決して精密画ではなくて、でも先に紹介したようなイメージは伝わると思います。

個人的に、喜怒哀楽のような感情ばかりではなく、もっと曖昧で中途半端な感情がある場面を描くことにこだわっています。


「ai」で描いたリアルなイラストが溢れているけれど…

 機械に疎いこみちですが

写真や画像などスマホが身近にあるので、わざわざ描くと言う行為に価値が薄れているようです。

しかも最近では、aiによる高度な描写が可能になって、我々が何年も掛けて練習する必要がなくなってしまったとも感じます。

真面目な話をすれば、翻訳家や税務関係者など、他にももっとたくさんの職種で、従来の知識や技術がaiに置き換わろうとしている気がします。

まだ途中段階のイラストですが、ここから精度を上げてリアルな描写に到達するまで、例えば数時間、数日が掛かるとして、そこに時間を注ぎ込むだけの価値があるのかと言うとかなり考え方次第になって来ます。

まず、描くとはどんなことでしょうか。

少なくともこみちにとって描くとは、自己表現の一つで、もっと別の言い方をすると自分が何をどう見てどう感じたのかを伝える手段です。

つまり、その意味では「写真を撮る」結果、撮影できた画像が自身の心情を代弁しているのかということになり、もちろんカメラ撮影も興味深い行為ですが、やはり絵を描くことも価値を失われるものではありません。

なぜなら、自身には「こんな景色に見えた」という表現ができて、そのことが他の誰かに伝わったのなら、描く価値があるからです。

むしろ問題は、右上のイラストをリアルに描くことがしたいのかということ。

元の画像をそのまま模写しても、そこにできたのは自分の気持ちではなく、あくまで撮影者の心情に寄り添ったに過ぎません。

それはaiが描くことも同じで、仮に写真と見分けがつかない品質だったとしても、作り手の想いが伝わっているのかというと疑問が残ります。

描く行為が難しいと思うのは、着色することよりも、そもそも何をどう描こうと思ったのかという部分だからです。

目の前のりんごを描きました。

事実としてはそうですが、それで何を伝えたかったのかという部分が見つかりません。

つまり、デッサンのような練習は技術向上には役立ちますが、どんなに上手くなっても「伝えたいもの」ということにはなりません。

aiの発展に恐れているというよりも、写真と区別がつかないことが最終目標になってしまうことに怖さを感じます。

極論を言えば、人間の生産行為をすべてaiがになって、人間はただ三度の食事をするだけの存在になってしまうことを目指しているのかということ。

自動運転が当たり前になって、スマホで家まで車を呼び出して、乗り込めば目的地まで勝手に届けてくれる。

そうなれば、運転免許も必要ないですし、燃料は太陽エネルギーで賄えて…。

でも、その内、我々がどこかに出掛けることもなくなるでしょう。

名産品や特産品はオートメーションで作られて、自宅まで配送してくれるからです。

何なら各地の景色もバーチャルで体感できるでしょう。

そんな時代に、描くことってどんな意味があるのかと。

今回、aiによるイラスト真似て、自身でどれくらいリアルに描くことができるだろうと練習も兼ねて描き始めたのですが、ここまで描いてふと描く意味に行き詰まりました。

みなさんはどんな想いで、描いたりしているのでしょうか。

東京03人気コント「魔が差して」より 

 「トヨミさん」を描いてみた!

東京03の人気コント『魔が差して』は、夫婦の浮気をテーマにしている。

妻の浮気を疑い、予定を変更して急に帰宅する夫。

家での密会中だった妻は、慌てた様子で夫を出迎えた。

描いたシーンはそんな場面。

コントとしては序盤のシーンで、ここから面白い展開になるところ。

テーブルの上の灰皿に、夫の知らないタバコの吸い殻があって、それを問いただした場面。

「誰の吸い殻だ?」

「ああ、私」と咄嗟に嘘をついた妻。

真っ直ぐに夫を見られない妻の手を重ねて立っている様は、何かこれからの展開を予感させる。


東京03人気コント『アニバーサリーウォッシュ』より

 描くという行為

みなさんは、何歳の頃から描いていますか?

こみちの場合は園児だった頃からでしょうか。

よく覚えているのは、「ミツバチ」を描いた絵で、親が「これ、こみちが描いたの?」と言って「そうだよ」と答えた時に別の紙にもう一度描かされたことがありました。

三歳とか四歳にしては上手過ぎたのでしょう。

小学生の時も、学校の写生大会で茶色だけで風景画を描いて再度描き直しさせられたり、印影だけで京都の五重の塔の風景画を描いていたりと、思い起こせば「絵」との関わりは親身でした。

学生時代はバイクが趣味で、学校が長期休暇になるとツーリングに出掛けてはスケッチ旅行をしていました。

当時は今よりもずっと画力がなくて、鉛筆画や水彩画ばかり描いていました。

社会人になって、あまりバイク旅ができなくなって、小さなスケッチブックを持つようになって、もう水彩画はやらなくて、線画だけの簡単な絵ばかり描いて来ました。

当時住んでいた家から会社までの風景を、その場で5分とか10分くらいで簡単に描き取る感じで、街並みや駅のホーム、ランチで食べた料理など、文字で書き残す感覚で気になるものを描きました。

その頃はまだ「形」を描くことにこだわっていて、雲や暗所など、色の境が曖昧なものが苦手で、多分鉛筆画が多かったからもありますが、単品が多かった気がします。

そこからサイズ感とか距離感、空気感を描きたいと思うようになって、さらに今は「心情」や「雰囲気」を共通の意識してテーマにしています。

ライフワークというとなんだかカッコ良く聞こえますが、本当に「描くこと」しかできないんです。

それくらい、描くこと以外は長続きしませんでした。

決して上手くはありませんが、ボチボチと描いているので、よかったらまた覗いてみてくださいね。

東京03人気コント『アニバーサリーウォッシュ』より

 角田さんを描いてみる!

実演販売員に扮した角田晃広さんが、通りかかった客役の飯塚悟志さん相手に声を掛ける。

いつものセールトークを始めたものの、飯塚さんは「無」の反応を示す。

そんな態度に苛立ち、怒り出す角田さん。

その時に見せる表情は、ここ最近あまり見なかった表情に思える。

だからこそ、懐かしさもあって描きたかった。

もしかして「あの表情?」と、共感できたら嬉しい。

絵を描く目的はいろいろあるけれど、「りんご」をりんごっぽく描くことも大切だけど、「あのりんご」をどう伝えられるのかをとても大切にしたい。

脳内にある「虚像」を描くよりも、「目の前」にあった実在感を自在に表現できるようになりたい。

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