少し見上げるようなアングルが…

 今回も描いたのは東京03です!

ここの所、描きたいのは「雰囲気」です。

例えば東京03がコントで見せる表情や雰囲気を描くこと。

三人それぞれを似顔絵として寄せて描くのも大切ですが、例えば飯塚さんと豊本さんの立ち方が僅かに違っていて、それは性格や役柄が影響しているはずです。

また、自転車に跨ったまま二人に話し掛ける角田さんのどこか愉しげな雰囲気もまた、三人に関係性を表しています。

さらに言えば、舞台の奥行き感や照明による演出なども、かなり実際とは異なるのですが、手を抜いた割に雰囲気は伝わって欲しいという欲張りな気持ちで描きました。

細かく見てしまうと、かなり粗い描写なのですが、三人の温かな雰囲気が感じ取れるような仕上がりになっていたら嬉しいです。

「音」や「匂い」まで描くために考えること

 例えば「木」を描いた時

地面をなる水平線を一本引き、垂直方向に幹を描き、さらに枝葉を加えたとしましょう。

確かピカソだったと記憶していますが、「模写」している内は描き手としてまだまだなんだそうです。

彼曰く「木」という形を習得すると、実際に存在する木々と変わらない描写ができると言います。

つまりそれが意味するのは、りんごでも花でも、人物でも、そこに生きている物としての生命感や躍動感を描き手がどこまでくみ取り、学んだのかということでしょう。

桜の木と松の木、杉や檜の枝ぶりの違いを理解していなければ、正確な描写は不可能ですし、さらに言えば、地域性や気候との関係性を知らないと景色として不自然な配置になってしまいます。

「創造」という描き手の空想も大切ですが、最近何を描けばいいのか悩むことが増えたのも、今の画力でデッサンできるのかという視点ではなく、それをなぜ描くのかという意味で根拠が見つからないからです。

例えば、推しのタレントがいて、その方の似顔絵を描いた時に、他人が誰を描いたのか分かることに意味やモチベーションを感じられません。

それこそ、その風景の音や匂いまで描くような気迫にはならないのです。

「上手く描いたね」という感想を最高点とするなら、目的を持たないままの作画はそこを越えられません。

写真は、レンズの品質を通して、光を受け取り目の前の対象物を再現しています。

感情としてではなく、光学的な扱いとして成立しています。

では我々がそれとは異なるアプローチで、対象物をより深く感じ取ることはできるでしょうか。

レンズでは、音までは再現できません。

音は不可能だとしても、そんな何かを描くことはできるでしょうか。


やはり「女性」を描くのは難しいという話

「描くこと」で気をつけていることは

絵を描く時に心掛けていることは、「見たままを描く」こと。

なのでモチーフを見る時も、下書き段階では水平や垂直に対してどれだけの角度で傾けているのかを見抜くこと。

さらに着色段階では、明度や色相、彩度をRGBに置き換えて、ピンポイントで色味を観察します。

しかしながら、人間の眼は錯覚を起こしやすく、例えば水平も垂直も簡単に間違えてしまいます。

よくあるミスが目の前に広がる景色を全て描こうと思ってしまうような構図になった時。

カメラでいう超広角レンズでやっと撮影できるような構図は、少なくともこみちには追い切れません。

安全なのは、角度では60度くらいまでで、真っ直ぐにモチーフを見て全てが視界に収まる構図であること。

しかし、そのような構図で屋外スケッチする時に困るのが、視力の悪さから来る観察不足問題です。

「化粧」という錯覚

悪い意味ではなく、化粧をすると顔の骨格さえ見誤ります。

顔の縦横の比率は、髪型でも惑わされますが、意図的に施された顔表面の色味の変化で、凹凸や丸みを間違えます。

上から辿った線と下から起こした線が、想定される位置で交わらず、別の位置どりから再確認しても、さらに交点となるポイントが僅かに合いません。

それは、化粧によって錯覚するからで、丸顔だと思い込んでいたら、面長だったというようなことが女性を描く時に起こります。

また男性と比較して、女性のファッションは骨格を感じさせたりさせなかったりと上手く誤魔化されので、シルエットを追う時でも身長やサイズ感の点で男性とは異なる難しさがあります。

また、男性に比べて、女性の顔はトップライトの色味から比較的暗い部分までの変化が緩やかで、色調の変化がとても繊細です。

その辺りも含めて、画力の乏しいこみち実力ではまだまだ「女性」をしっかりと描くことができません。

ただ最近は東京03の面々を積極的に描いていますが、合間を見て「女性」を描くことにも取り組んでみたいと思っています。

そのためには、苦手な「化粧」以外に、「髪」の描写も不可欠なので、課題がかなり増えます。

ボチボチとマイペースで、今後も取り組めたらと思うので、また描いた際には報告させてもらえたら嬉しいです。

東京03人気コント『バンドマン』より 気になるワンシーンを描いてみた!

今回は革ジャンを描いてみました!

描く時は、何らかのテーマを見つけて、それを達成できるようにモチベーションを上げています。

例えば、今回取り組んだ東京03の人気コント『バンドマン』より、飯塚さんと角田さんのお二人を描かせて頂いたのですが、「似顔絵」という表向きの課題とは別に、「革ジャン」を描くことにも取り組みました。

同じ衣類でも、表面がツルツルした革ジャンは、光を反射しやすく、シワの尖った部分が線となって光って見えます。

つまり、革ジャンを革っぽく描写するには「シワの描写」が必須で、適当にそれっぽく描くことも不可能ではありませんが、正面からしっかりと描こうとするとデッサン力が試される課題です。

また、同じ革ジャンを羽織った二人ですが、より高級感のあるのが右側に立つ飯塚さんのもので、革特有の光具合が少し穏やかでツヤツヤとした革の光沢感が感じられます。

一方で角田さんが羽織る革ジャンは革が硬く、体のシルエットに少し合っていない雰囲気も特徴です。

骨格を想像し、そこに衣類を重ねるように描くことで、衣類の持つ厚みまで描くことができると思います。

この辺りの描写力はまだまだ試行錯誤が必要ですが、描くという意味で、何をどこまで表現するのかの範囲を広げられるような課題は描いていて楽しいと感じます。


「絵」に何を求めていますか?

現代において「描く」意味はどこにあるのか?

「絵」を描く目的や意味を考えると、「スマホ」の存在を意識してしまう。

「スマホ」には「カメラ機能」が付いていて、しかも圧倒的にキレイが映像も画像も手軽に撮影できてしまう。

そんな時代において、アナログ、デジタルを問わず、「手書き」する必要性はどこにあるのだろうか。

例えば「トーレス」や「グリッド法」を用いれば、手書きでもかなり画像に寄せて描くことができる。

しかし、日頃からカメラレンズの焦点距離による違いを知っている方であれば、肉眼でみたモチーフを描いたものか、カメラで撮影した画像を使っているのか、「焦点距離の見え方の違い」からでも識別できるだろう。

だから何?ということではない。

むしろ、スマホであれだけ簡単に、しかも正確で美しく撮影できてしまうのに、長い時間と手間ひま掛ける意味はどこにあるのかということ。

この文章を書いている時、たまたまNHKの日曜日美術館がテレビに映っていて、その内容を片耳で聞いていると子どもたちや美術にあまり関心がない人でも分かりやすく、楽しめる作品があることを紹介していました。

絵を描く目的は、上手いことではなく、それを見ている時間に何か心が動いてくれたかということ。

「ヘェ〜」でも「何だろう?」でもよくて、一瞬でもその作品を見て心が反応してくれたらそれで十分なのでしょう。

見られることもなければ、心が動くこともありませんから。


東京03角田晃広さんを描いてみる!

 立体的に描いて行くために…

絵を描く時に感じる分岐点があるとするなら、平面の「紙」に平面の「絵」を描く段階から、「紙」に奥行きを感じて「立体」として描こうとする意識が芽生えた時だろう。

そのためには、トレースして描くことをやめて、しっかりとデッサンを基本から学ぶことだ。

デッサンも毎日描き続ければ、才能のある人なら一年でも相当に上手くなるだろうし、こみちのような凡人でもどうにかここまでくらいなら描けるようになった。

デッサンの重要性は単に正確に描けることだけではなく、例えば右の絵で分かるように、角田さんが座っている周辺に置かれた物の大きさや距離感まで描けるようになることだろう。

空気感というような表現をすることがあるけれど、対象物を正確に描くだけではなく、それがどんな環境の中にあるのかまで再現するには「基礎力」が欠かせない。

個人的には、対象物の形はもとより、重さやサイズ感まで伝えられる表現力はぜひ手に入れたい部分だと思うし、それができるようになるには「描くこと」を改めて見直す必要がある。

まだまだ表現できない場面もあるけれど、少しずつ表現できるシーンが増えて行くのは嬉しい。

今後の課題

角田さんについても、照明の照り返しなどいくつか表現力を欠いている部分がある。

ある意味ではこれをベースに、全体とのバランスを整える行程があると表現力はさらに向上させられるだろう。

また、右側の植物もかなり手を抜いているので、そこの描き込みができると深みが増しそうだ。


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