何を描きたいですか?

 風景画って何だろう?

いつ描いたものか忘れましたが、右に掲載したものは皇居を訪れた時にスケッチしたものです。

この下書きを使って作品を作るというよりも、気になった景色を自由に描くというつもりで描いたものです。

何が言いたいのかというと、最近の悩みとしては「風景画」って何だろうという話なんです。

よくあるのが、「道」や「線路」、「川」などと「空」とを組み合わせた風景を描く際の構図ですが、「描いた意図は何か?」という部分で画力向上の練習課題と作品作りとでは大きな隔たりを感じます。

ちなみに、描いた下書きは櫻田門になりますが、櫻田門がどんな建造物なのかを理解し、そこにどんな思いや意図を乗せて描いたのかがあってこそ作品としての意味もあると思っていて、遠近感の描写練習とは全く制作意図が変わって来ます。

こみち自身、単純に画力を向上させて、いろんな見たものを自身の手で描きたいと思って来た一人ですが、この下書きも練習の範囲であって制作ではありません。

言ってしまえば、右の下書きも着色してどんなにリアルに描けたとしても、「だから何?」という問いに答えられるものではありません。

風景画を見て、どう感想を持てばいいのかと思うのです。

なぜなら、川と空を組み合わせた構図を、日常生活でそんなに見かけるものではありませんし、見かける機会があったとしても、「いいねぇ、この川の流れ」とは思ったりしません。

人物画の場合、それを描く目的は対象となる人物を少しでも自身の腕で描きたいと思い、実際に少しでも描けた部分や感じられる雰囲気があると、それが伝わると嬉しいからです。

しかし、そもそもの前提として、「風景画」をどう描くことがいいのかがこみちには理解できていません。

もちろん、風景画も目の前に見える造形として描くのであれば、人物画同様にこの部分を表現できるだろうかと個別の課題には落とし込めます。

ですが、カメラやスマホで撮影した画像と何が違い、そこにどんな意味を乗せられるのかに悩むのです。

カメラを使っている人なら伝わると思いますが、レンズを通してしまうと肉眼で見る時とは少し異なっています。

その違いがあったとしても、そこにこだわりカメラの撮影を否定する人はいないでしょう。

逆を言えば、撮影は一瞬で終わるのに、数時間を費やして描く意味とは何かの方が悩みます。

風景画というものを否定しているのではありません。

風景画を描きたいけれど、「意味がありますか?」という話なんです。

こみち自身としては画力向上という課題にはできますが、例えば別の誰かが描いた風景画を見て、どんな風に感じるものなんでしょうか。

例えば、水彩画では、一般的なデッサンレベルで対象物をそのまま描いたりはしません。

ある意味で、全体的な雰囲気を描き手の感性で省いたりしながら印象的に絵作りするイメージがあります。

それもまた制作意図ではあるのですが、例えばその時に「木」が既に何の木なのかも分からないレベルで描かれてしまったら、その元の風景はどこまで重要なのでしょうか。

渓流の水しぶきを風景画として見せられて、例えばあまりの迫力で思わず仰反るほど水量に驚くでしょうか。

水の流れる音や風を感じられるでしょうか。

行ったこともない場所に一瞬で移動し、そこに立っているような錯覚をその風景画から感じられるでしょうか。

こみちとしてはそんな風に考えてしまうので、カメラで動画撮影した映像以上に風景画を見て感じる絵作りに自信が持てません。

見たままを描くことは、練習課題にはなりますが、見たままの絵を見て、スケール感や重さまで伝えられるのは簡単ではありません。

しかもそれはカメラ以上となるとかなり難易度が上がり、わざわざ描く意味が現代だからこそ見つけられないのです。

対象物の本質を理解する難しさに直面し、「コレを描こう」と思うのは簡単でも、「描いたもの」に何か意味あるメッセージを乗せるのは簡単ではありません。

今言っているのは、テーブルにリンゴそっくりな鉄の塊が置いてあって、それは本物そっくりに着色もされているけれど、その普通の重さではない感覚をどう絵として描けるのかということに似ています。


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