「何を描けば良いのか?」を考えた話

 風景?それとも人物?

たまたまある芸能人の方の記事を目にした。

あまり芸能人に詳しくないこみちだが、テレビなどでその方を見かけた時に「明るい」印象しか受けていなかった。

でも、記事によれば子ども時代から苦労していたようで、芸能界に入ることで「家族を支える」役割を担っていたという。

言ってしまえば、明るい笑顔で接してくれる人が、家に帰れば「介護」をしているということだってあり得る。

ちょっと接しづらい雰囲気の人が、もう一歩親密になればとても気さくで面白い人だと気づくこともある。

何が言いたいのかというと、「絵を描く」とは、その人の何を描いているのかということ。

つまり、顔形こそ模写することはできても、到底、その人の抱える生き様を全て描き切ることはできない。

結局、「どう見て欲しいのか?」ということだろう。

全く同じ場所から描いた風景画も、その日の天候や描き手の体調、心理状態によって無限に変化する。

でもなぜ、そのタイミングだったのか?

つまり、それを選んだことに大きな意味があって、描くことの目的も生まれる。

例えば似顔絵を上手に描く人はたくさんいる。

「似てる!」「そっくり」と見た人が驚き喜んでいくれると描いた苦労も忘れてしまうだろう。

でも、こみちの場合はちょっと違う。

最初は「何、このシーン?」と思われるかもしれない。

「全然、似ていない!」とも思われるだろう。

描く技術が未熟で見たままを描けないのは練習するしかないけれど、大切なのは「選択する」という部分。

長く同じモチーフを描き続けていると、後でそれらを見返した時に不思議な共通点が見えて来る。

つまり、その共通点こそが、その人のその人らしい「全て」なのだ。

「よくこの顔するよね?」

さらに観察していると、表情や仕草のキッカケに気づく。

「だからまたこの顔したんだ!」

そうやって段々とその人らしい反応に気づけるようになる。

今は、まだその領域には至っていない。

仕草や表情の中で描いてみたいものを見つけると描けるかなとチャレンジしている段階だ。

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