「デッサン」とは何か?
絵を描く方法は、大きく分けると2つのパターンがあります。
「落書き」のように描き手の感覚で描く絵と、「デッサン」のように描くべきものがあって、それに描き手が合わせる絵です。
プロの絵描きやイラストレーターとして活躍するには、「落書き」のような描き手の感覚をフル活動させたものに行き着く訳ですが、それでも「デッサン」を学ぶ価値は確かにあります。
「デッサン」というと石膏像を描くイメージかも知れませんが、こみちが思う最も上達の早い方法は、上手い人の描いた絵をたくさん見て学ぶことではないかと思います。
言ってしまえば、デッサンも経験を重ねるほど上達すると思うのですが、毎年同じくらい上手くなるものではなく、ある段階まで一気に上手くなって、その後はあまり伸びないこともあれば、経験を重ねてある時にグンと上達し、それは早々と上達した人よりも数段奥深い部分まで描けるようになっていたりします。
目の前に「りんご」が置いてあってデッサンした時に、先ずは「球体」をイメージして描くのは初心者にとって早く上達できる良い方法です。
そこから、鉛筆であれば、線の引く方向があると教えられるでしょう。
しかし、何度も描いていると、方向などは大きな問題ではないことにも気づきます。
なぜなら、少なくともりんごには線など描かれていない訳で、粗っぽい線だから方向に気をつけた方がいいという話で、描き慣れればその粗さは自然と解消しますし、明らかに間違えた線も引かなくなるからです。
例えば、大学の受験問題で、「真っ白な紙」をデッサンしなさいという出題があったら、どんな風に描くでしょうか。
その描き方次第で合否が決まるという大きな舞台で、とてもシンプルな描写を求められたら…。
ある意味、「りんご」はほどほどに複雑で情報もあるので初心者にも手頃で描きやすいモチーフです。
しかし、「白い紙」までシンプルになると、四角を描いたらそこから何をすれば良いのか戸惑います。
例えば、畳一枚を描くとなれば、白い紙を描く時と途中まで同じですが、実はそもそもの話として、四隅全ての「焦点距離」が本当に合っているものなのかから疑うことも必要です。
また、テーブルなどに置かれた紙の場合、紙によって作り出された影や、紙が外光を反射して周囲よりも白く輝いて見えるかも知れません。
つまり、描き方を知っているだけではデッサンはあるレベルまでしか上達できなくて、その先に行くには「紙の描き方」ではなく、「問題の意図の汲み取り方」が問われていたりするのです。
例えば、テーブルの上に置いたはずの紙が、横風でふわりと波打つように舞い上がった一瞬をデッサンしていたらどう評価するでしょうか。
紙は軽いので、簡単に風に吹き飛ばされます。
実際にはそれが起こっていなかったかも知れませんが、個人的には面白い着眼点だと思うのです。
つまり、デッサンとは、その一瞬を意味していて、ずっとそこから動かないように見えても、いつかはその場から移動されるであろうとも「モチーフ」を今描きます。
その瞬間に存在しているということをどれだけ、いろんな角度から観察し、平面図として再現できるのかが問われています。
適当にハイライトが当たっているはずはなく、また影も同じで何となく存在しているものではありません。
そんな風に観察してみると、デッサンは描く技術ではなく、観察力や想像力を試されていると気づくでしょう。
ある段階までは上達したのに、そこからほとんど伸びなくなってしまうのは、絵を「描く技術」と考えているからかも知れません。
上手い人の絵をたくさん見た方がいいというのも、上手いと感じるには理由があって、その時々で思う「上手さ」は変化していきます。
初心者が上手いと思う絵と、中上級とでは違っていたりするのも、経験を重ねてその難しさに気づけるようになるからでしょう。
絵を描くことは本当に楽しいことですが、「いつももうこれ以上は出来ない」と思いながらもがいていると、時々、新たな発見があったりして、それがまた嬉しくて頑張りたくなります。
こみちもまだまだこれから上達したいと思っているので、みなさんの応援や励ましに感謝しています。