斎藤裕選手の本音
「RIZIN CONFESSIONS #82」を観ただろうか。
冒頭に出てくる斎藤裕選手の「本音」は、これまでずっと我々格闘技ファンには隠してきた気持ちだろう。
ここ最近、「チャンピオン」「求心力」「華」ということが格闘技の要素として取り上げられることが多い。
ある人は、アマチュアとの違い、興行としての魅力を理由に、「盛り上げる力」をポイントにあげることもある。
ただ、例えばボクシングのタイトルマッチには、余計な言葉など要らないことを我々格闘技ファンも知っている。
「本物」だけにしかない「輝き」が、あまりに凄すぎて、言葉で説明すればするほど、本質から遠ざかってしまう。
個人的に「求心力」とは、ファンに「本物」を伝える道すじを指すのだろう。
選手自身がそこまで考えることもできるが、「舞台」を作り上げるのは関係者の役割も大きい。
というのも、「選手」に求められるのは「日常生活を超えた勝負を見せること」が不可欠だからだ。
つまり、「チャンピオン」とはその頂に立つ唯一の選手であり、その首狙う挑戦者たちは実力ではなく、「実績」ぶら下げて戦う価値のある選手だとアピールしなければいけない。
時に風潮として、現時点での実績を無視し、実力だけをアピールしてしまう傾向がある。
思うに「斎藤裕」選手の本音とは、この実績と実力の違いを格闘技ファンに示そうとしているのではないだろうか。
というのも、格闘技選手もプロスポーツ選手である。
現役選手として活動できる期間やケガによる離脱も踏まえてば、自身の実力を発揮できる試合数は無限にはない。
だからこそ、各選手は勝利を重ねて実績を積み、さらにチャンピオンという頂点に挑むのだろう。
そうだとしたら、「1敗」の重みは、選手の運命さえ変えてしまう。
なぜなら、再戦してもらうためには、再戦に相応しい実績を改めて築く必要があるからだ。
例えば、ボクシングの世界で、タイトルマッチに敗れた選手が「引退」を決意するのも「1敗」の重みを知りからであり、我々格闘技ファンもその覚悟を知るからこそ、世紀の一戦に注目するのだ。
弱さとは何か?
強さを考えるなら、弱さも知るべきだ。
そして、弱さを覆すには、強さを誇示する数倍、数十倍のパワーと運が必要になる。
斎藤裕選手の本音を聞き、感じた一敗の重みは、つまり、次回で勝利すれば帳消しになるものではない。
なぜなら、サラリーマンの世界でも、独立開業した経営者でも、敗北すると一度は退場する。
サラリーマンなら派閥闘争でミスをすれば、昇進はおろか、左遷されて数年、いや退職まで日の目を見ることがなかったりもする。
経営者の場合も同様で、多額の借金を背負い、1度目よりも背水の陣で復活に向けた準備期間を余儀なくなれる。
つまりは格闘技の世界でも同様で、弱い選手と評価されたら、自身よりも強いとされる相手に勝つことでしか上り詰めることはできない。
まして、相手がベルトボルダーなら、同じようにチャンピオンを狙える選手と目される相手を蹴散らして、自身の成長と実績を示す必要がある。
以前ならチャンピオン戦での勝利だけで良かったはずのものを、ランカークラスでは頭一つ出ているという評価があって、初めてチャンピオン戦に挑むことが許されるのだ。
とは言え、興行主のさじ加減で、実績と実力を混同した戦いが不可欠とは限らない。
ただ、プロ興行も我々格闘技ファンの支持によって成り立つもので、逆を言うなら「セオリー」を無視した戦いは、育ち始めた格闘技への注目を衰退させかねない。
だからこそ、判定は公平であるべきで、選手はルールに則り実力を発揮するべきだ。
そうでないと「実績」を重んじる格闘技の世界が、巷のケンカと変わらなくなってしまう。
チャンピオンと、ランカー級相手に勝利し目覚ましく躍進した選手とが対戦するから、「どっちが強いんだ?」となるのであって、今日負けたら明日にでも対戦すればいいという問題ではない。
そうなってしまうと、チャンピオンの周りには多くの人が集まり、先にも触れた一人の選手が行える試合数を遥かにオーバーしてしまう。
つまり、「弱さ」とは、強くないことではなく、負けて味わう試練を知ること。
1発目での成功は運でもいい。でも2回目は、より高い確率で成功できるような準備が不可欠で、どれだけ準備できるかもまた弱さを克服するための条件となる。
誰からも指図を受けずに生きられるのは、強い者だけ。
残りの人は、苦渋を感じて時に人に教えを乞いながら前に進む。
斎藤裕選手はこうも言っていた。
「なぜ負けたのか、まだ分かっていない」
そこには、弱さを克服することの意味に気づいていないことを指摘したものだろう。
もしかすると2度目なら…。
格闘技も実社会の様々なものと同じで、2度目、3度目とどんどん条件が加わり、やがて諦めて退場するのが世の常だ。
あの時、チャンピオンを賭けて戦った決戦で、絶対に「負けてはいけない」のだ。
「勝てるかもしれない」と思った選手と、勝つ気で戦った相手とで差が出た。
そして、それはの後になっても同じことで、挑戦者として相応しい選手として自身をプロデュースすることが格闘技ファンを魅了する「華」のある選手ではないだろうか。
こみちが思い出すのは
やはり、格闘技の一時代を築いた「五味隆典」選手だろう。
少なくとも試合前にどちらが勝ってもおかしくないという対戦相手と、真っ向勝負で勝利したのだから、人気が出ないはずがない。
それこそ華があり、求心力があり、選手として多くの格闘技ファンの記憶に残った選手の一人だろう。