東京03の人気コント「その日までに」より選んだシーン
絵を描くと言っても、目的や目標は様々だろう。
学生時代、こみちも先生の似顔絵をノートに描いては切れ端を回して、授業を受けているクラスメートたちの邪魔をした。
絵のタッチというのは、筆跡や筆つがいを指す言葉だと思うが、学生時代にこみちが描いたイラストはクラスメートなら誰みが言い当てられるほど、「癖」が強かった。
厳密には、真っ直ぐにつもりで引いた線に、わずかでも描き手の癖が出て、最終的に完成した絵をみると、何となく誰が描いたのか分かってしまう。
イラストレーターという仕事では、そんな癖も個性となってくれる。
しかし、例えば美大のデッサン練習では、主題が「模写」だから、癖のある線でできた余計な印象はむしろ減点の対象だろう。
さてさて、そんな先生の似顔絵書きから始まったこみちの落書きも、もう少し経つと「風景画」のスケッチへと変化して行く。
その頃のテーマは、スケール感や空間の広がりで、大きいもの、小さいものをしっかりとそれらしく描くことを目指してきた。
例えば、一台の車を描けるようになったら、さらにもう一台も描くといいだろう。
駐車場に止まった数台の車をしっかりと描くには、かなり画力がないと難しい。
実際、こみちも向きが変わったり、遠くに止まっている車らしく描くことに随分と苦労した。
それこそ、無意識に遠近法を活かしたり、描き続けることで「車」に対する過度なプレッシャーがなくなたりすることで、段々と全体を意識して描けるようになって来た。
人物画で言うと、同じ画面に複数の人がいた時に、違和感なく描くことに似ている。
さらに言えば、今回描いたイラストのように、人物同士が重なったり、接していたりすると、さらに距離感がしっかり保てないと画面全体として窮屈に感じる空間ができてしまう。
アップしたイラストでは、角田さんの身体に手を伸ばす飯塚さんがポイントで、彼の両肩から伸びた腕が、いかに違和感なく描かれているのかが画力として現れる部分だろう。
角田さんの身体の厚みや、頭の奥行き感なども同様で、この辺りが不正確になる程、画面全体が平坦に見えてしまう。
まだまだこのイラストも完成度が高いとは言えないし、実はかなり描き直したいと思ってしまうほど反省点が多い。
ここからさらに数時間掛けて描きこめば、質感もかなり変化すると思うけれど、その踏ん張りができないまま「もういいかな?」と手を止めてしまう辺りは、「作品作り」よりも「メモしたい気持ち」で描いてしまう癖だろう。
機会があれば、ぜひ、動きのあるシーンを描いてみてはいかがだろうか。
静物画とはまた異なる意識で描けるので、上手く描けても、描けなくても、絵を描くことって楽しいなぁと再確認できるだろう。