AIが絵師の仕事を本当に奪ってしまうのか?

 岡田斗司夫さんのYouTube チャンネルから「ガンバの冒険」へ

子どもの頃に見ていた「ガンバの冒険」。

そんな話題が、岡田さんから紹介されたのは、「AIが絵師の仕事を奪っていくのではないか?」と質問を受けたから。

改めて「ガンバの冒険」をYouTube 探すと、運良く1話から3話までが公開されていて、何だか懐かしく、でも大人になって分かるのはとても「深い話」だということ。

それは、「絵」という表現だけの話ではなく、我々が生きる中で「創造するとは何か?」を考えさせてくれるものでした。

さらに、別の動画で最終回の内容を知ったのですが、主人公のガンバが対峙するべきイタチに、真っ向から挑むのではなく、自然の摂理を理解し、味方を募り、時を待って周到な準備をして誘い込むのです。

つまり、AIに人間の我々以上の絵が描けるかどうかが問題ではなく、「生きること」をどう考えて我々が今を生きているのかを問うなら、その方がずっと大切だということでした。

さらに言えば、自分の存在を認めてもらうための「絵」には価値などなく、「絵」は誰かのためになるからこそ意味があるのです。

誰が描いたのか以上に。

つまり、AIが描いてくれるのであれば、我々は「生きること」の意味を考えればいいだけですし、もしもAIが描けずに困っているなら、それを我々が描くことで補えばいいのです。

まさにガンバたちが自然を味方にして強敵を向かい打ったように。

そんな考えに行き着くと、自分の絵を認めて欲しいと焦る必要はありません。

むしろ、もっと噛み砕いて、もっと分かりやすく、誰かの迷いに通ずる何かを伝えられたら、絵を描くことの意味や目的は果たせたことになるでしょう。

どんなに時代が変わっても、しっかりと作り込まれた作品は色褪せることがありません。

それは、「生きること」のかなり近い部分を我々に伝えてくれるからで、そのような作品はどんなに大人になってからでも、新たな発見と生きる勇気を与えてくれます。

なんだか、上手い下手の意識で絵を描くことが恥ずかしく感じました。


こちらもオススメ