今にして思う受験対策用の「デッサン」って

 「デッサン」の実力は「あと一歩」であることが多い!?

久しぶりにデッサンをして、ネットで「デッサン」を検索すると、美大受験を目指す人向けの予備校を見つけた。

デッサンとは何か。何から始めるべきで、どんな意識で練習すればいいのかを紹介している。

個人的な印象を言うと、もしもこみちが来年美大受験を考えていて、どこかの予備校を探しているなら、あれこれと説明されるよりも「ウチの講師陣が描くとここまでできる」という指針を示して欲しい。

というのも、理屈や理由は分析や調査の結果に過ぎない。

高いレベルまで到達した人が「〇〇だ」というのと、そこまで到達していない人が「〇〇です」というのは言葉こそ同じでも差している内容や理由が違う。

事前にノウハウやテクニックを漏洩させたく無い事情もあると思うが、「合格者作品」を公開している予備校が親切なくらいだ。

というのも、「デッサン」の意味や目的を理解するのはこれから受験に向けて嫌というほど考えることになる。

そして憧れの学校に合格するには、その基準を超えるだけのデッサンでなければいけない。

1点でも不足していたら、10点不足していても同じくらいの扱いだ。

ということは、この先生ならどれくらいの画力で、どこまで惚れ惚れするデッサンが描けて、これから1年かけてその先生に近づける練習や訓練をするのか受験生としても意気込みができる。

ちなみに、右上のイラストは左下のイラストに加筆したもの。

印影を中心に書き加えた。

個人的には右上の方がよく掛けていると思っているが、中には左下の方がよかったと思う人だっているかもしれない。

そもそもどちらもダメだということもあるが…。

つまり、レベルの高い集団に入れば、「なぜ上手いのか?」が分かってくる。

それは頭でというよりも、パッと見て気づくからだ。

合格ライン前後の作品と自分を比べてしまうと、どうしてもストップが掛かってもう一歩が突き抜けられない。

もちろん基本や基礎があってだと思うが、「目標」を見つけることで限られた期間でどれだけ成長できるかが問われる受験期間をより有意義に信頼して過ごせると思う。

デッサンが上手くても、デザイナーなどとして社会で働くとやはり大変なことに変わりはない。

それは「描く」以上に「話す」ことが業務では多いからだ。

クライアント(依頼者)が求める方向性をくみ取り、それを具現化するというのは、予め完成図が見えているデッサンとは作業が全く異なる。

予備校時代の優秀者と実際に学校で頭角を現す人とが違うのも、求められる要件が異なるからだろう。

デザイナーではなく、アーティストという立ち位置なら、自身の創造性に生きることができるけれど、「生きていく」意味では別の何かがないと日々の暮らしもままならない。

だとするなら、「美大用のデッサン」に特化するよりも、生涯を支えてくれるデッサンを目指した方がいいのかもしれない。

今、個人的には石膏デッサンを描くことよりも、例えばその人が持っている雰囲気をいかに表現できるかを目指している。

右のイラスト、東京03の豊本さんを描いたものになるが、彼らしい表情というのはもっと他にある。

つまり「似顔絵」を描くなら、よりその人らしい特徴がある方が描きやすいだろう。

しかしそこで表現できるのはある限られた範囲になってしまう。

実際、人は思いもよらない表情をするし、一瞬で誰か分からないこともある。

でもそれさえも間違いなく本人で、そんな表情を描くことでしか到達できない領域があると思っている。

イラストでの豊本さんは、目の前にいる相手に嫌味なセリフを発している。

決して笑みではないし、悲しさでもない。怒っているのでもなく、嫌味を言っている。

その心理状態を今の画力でどこまで描けるかが課題なのだ。

そう思うと、石膏デッサンというのは原点であって、ゴールではないことが分かる。

手や静物画を練習として描くこともあると思うが、やはり何を描こうとして対象物と見ているのかを考えたい。

例えば「りんご」を描こうとした時に、「赤く丸い果物」というイメージで描く人と、産地や銘柄の違い、生産者のこだわりを知って描く人とでは着眼点が違う。

仕事として「りんご」を描く時も、生産者が手にした時と店頭に並んだ時とでは描く色調から違うだろう。

描くことは楽しいけれど、何をどう描くのかを考えると、もう「画力」以前に目指すべき方向性が無いと続けられないと思う。

同じ受験生同士なら、「優れたデッサン」が認識できたとしても、広く一般に向けて、映像や写真など他の表現方法と比較して「描く」良さを追い求めるのは大変だ。

その意味では「写真そっくり」という完成形を求めたくないし、それならもう写真でいいと認めたようなものだ。

無いのにあるという不思議な体験を伝えることができるのも描くことの良さだと思うから、例えば受験を終えてからても描くことを楽しみ、ライフワークとして活かせて欲しいと思うのは、ずっとこれまでどんな時でも定期的に描き続けてきたこみちが思う感想だ。

「この感じ、描けるかなぁ?」

そう思うと、いつも携帯している小型のスケッチに、思うままに線を引いて、目処がつけば「描けるぞ」、全く歯が立たないと「ダメかぁ」と残念に思ってきた。

スマホでパシャリと撮影すれば済んでしまうのだけど、やっぱり「描けるかなぁ?」という好奇心を持っていたい。

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