絵を描くこと

 今日の一枚

正しい線を引けば、結果的に描きたい物が描けるようになる。

こみちは絵以外にもランニングが趣味で、2つは似たような感覚がある。

「走る」ようになったのは、約1年前から。

運動不足解消というよりは、気分転換が大きな理由だった。

あの頃、いろんな面で上手く行かなくて、気持ち的に行き詰まっていた。

笑えなかったし、楽しめなかった。

「流れ」を作ることができればいいけれど、何も感じなければいいけれど、そんな風にもならないから、前にも後ろにも行くことができなかった。

上手いとか、下手とかではなく、単純にこみちにとって「絵を描くこと」が振り返った時に残ったもので、絵を描くことだけは嫌いになりたくなった。

右上の絵は、東京03のコントシーンを描いたもの。

以前からよくモチーフとして描いているけれど、最近は少し画力が試される構図に挑戦している。

顔のアップを基本としたシンプルな構図。

実際に描いてみると、表情や仕草がしっかりと描く必要がある。

こみちは、正面からの顔を描くことが好きではなくて、理由はシンプルに「その構図の良さを活かしきれない」から。

奥行き感のない絵は、とても狭い世界に見えてしまう。

まだ、こみちは自分の描いた絵を作品とは思っていなくて、「図」に近い。

以前にも紹介したように思うけれど、文字で伝える情報とは異なるアプローチで「絵」を使っている。

だから、スケール感や重量感、色味や空気感のような「雰囲気」を描くことはとても大切だと思っていて、言えばそこ場面を自身のフィルターに通して描くことも心掛けている。

こみちがこれまでに何枚も描く中で、癖というかタッチというか、描いたものの中にこみちらしいテイストが生まれて、「こみちっぽい絵」になることで伝えられるものがあると思う。

そのためにも、よりシンプルな構図をしっかりと描くことが大切で、ここ最近はそのことを意識して絵を描くようにしている。

ランニングを全くされない人には、具体的なイメージが浮かばないかもしれないが、最初は誰だって300mだって走ることができない。

でも、「走る」という動きをいくつかの視点や動きに分解すると、それぞれの意味やポイントが見えてくる。

つまり、できない理由や原因があるからこその結果で、逆を言えばそれらが全くないのであれば、結果的に現状は今に留まっていなくて次のステージへと向かっているだろう。

上手くいかないことって、やっぱり理由があって、その原因を解消しないとずっと変わらないままだ。

絵は、自分でコントロールできるし、苦手を克服すれば段々と思うようになってくる。

絵を描くことしかできない理由はそこにあって、もしも描くことを取り上げられたらこみちには何も残らないように思えてしまう。



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