とりあえず描いてみる
描いたのは、目の前にあったクリップ。
実はコレ、こみちにとっての原点でもあります。
というのも、こみちにとって「描く」とは、文字を使わない「伝達方法」という位置付けなので、例えば右のクリップを見て大きさとか、色味とか、見たことで何となく伝わる情報があるはずです。
つまり、「上手い絵」とは、その伝えたい情報を適切にコントロールできているもの。
決して「写真そっくり」という基準ではありません。
このクリップは金属製で、緑色の塗装が施されています。
もしもこれが木製で、木を切り出して作ったクリップだったら、描いた時にその違いまで表現することができるでしょうか。
つまり、こみちが思う画力とは、そのわずかな違いを描き分けられる観察力と描画力の高さです。
例えば、画力のある人だと思える基準は、硬くくっきりした物ではなく、雲のように見えているけれどその曖昧さが観察力や描画力がないと再現できない場合です。
光の反射や透け感なども、繊細な描写を必要とするので、それがしっかりと表現できると高いスキルの持ち主だと思います。
一方で、形のはっきりしたものでも、スケール感の描写ができるとそれは評価するポイントになるでしょう。
何も比べるのもが横にないのに、一見してその大きさや重さが感覚的に伝わるようなものです。
石膏のデッサンなどでも、そのものの描写ではなく、周囲に伝わる空気感や空間を再現できていると上手いなぁと感じます。
というのも、モノの形や色は、周囲の影響があってできるので、その描写がないものは情報量の面で損をしています。
つまり、りんごを描いた時に、何となくハイライトを描き加えてしまう癖がつくと、描いたものからリアリティが減って、どこか平凡なものになってしまいます。
どこにでもあるりんごではなく、ここにあったりんごを描くために、何が必要なのか考えて描きたいからです。
みなさんは、どんなことを考えて描いているでしょうか。
自己満足な世界だとしても、あまりに適当過ぎると描いても楽しく感じないのは、描く楽しみがモノとのコミュニケーションにあるからかもしれません。