豊本さんの表情を描く
コント終盤、角田さんが被っていた帽子を被り、どこか笑いを誘う表情の豊本さんを描いてみました。
掲載したものは、まだまだ製作の途中で、全体的に色が乗ったというところ。
どこまで時間を掛けて再現するのかできるのかが問題ですが、これからもう少し描き込んでいきたいと思っています。
相変わらず、描くのが遅く、ボチボチの製作ですが、またyoutube にも掲載したいと思っています。
近いうちにアップしたいです。
コント終盤、角田さんが被っていた帽子を被り、どこか笑いを誘う表情の豊本さんを描いてみました。
掲載したものは、まだまだ製作の途中で、全体的に色が乗ったというところ。
どこまで時間を掛けて再現するのかできるのかが問題ですが、これからもう少し描き込んでいきたいと思っています。
相変わらず、描くのが遅く、ボチボチの製作ですが、またyoutube にも掲載したいと思っています。
近いうちにアップしたいです。
今回描いた一枚は、こんな感じに仕上がりました。
意識して取り組んだのは、肌の厚みです。
例えば唇を線として描くのではなく、唇の分厚さをしっかりと描くことで、表現に深みを持たせたいと思いました。
一方で、ジャケットのシワは、基本的な描き方で省略し、もう少し時間を掛けて描くことで2段階は詳細に表現できると思います。
まだまだ描くのが遅いので、全部に力を注ぐことが難しいこともあって、ポイントを絞って少しずつ上達できるように取り組んでみました。
短い時なら15分くらいの隙間時間に、ちょっとずつ描いています。
まだ制作途中ですが、ここからどんどん描き込んでいこうと思っています。
それこそ編み物とか、読書をするような感覚で、絵を描く時は集中している時もあれば、ラジオやテレビ、youtube を見たり聴いたりしながら、同時にすることが多いです。
頭の中を空っぽにして、手だけ動かしている感覚が心地いいです。
ただ、今回のイラストはもう少ししっかりと描きたくて、いつも描く時に使う色数が24だとしたら、その倍や3倍くらいで描きたいなと思います。
今年も自由気ままに描かさせて頂きました。
まだまだ拙いですが、懲りずに覗いてくださったみなさん、本当にありがとうございます。
来年も特に抱負のようなものはありませんが、今年同様に細々と気ままに描いていけたらと思います。
最後の一枚も東京03のワンシーンから選びました。
ではでは、今年も残り少なくなりましたが、大晦日まで楽しみましょう。
そして、来年もよろしくお願いいたします。
相変わらず、描くのが遅いこみちです。
その原因は、迷いがあるからです。
最近、右のようなイラストをyoutube にアップすると、温かいコメントをもらうことが増えました。
よく描けた時は高評価も増えますし、もう一歩という時は高評価も頭打ちです。
低評価をつけられることもありますが、ある意味でわざわざ関わってくれて、教えてくれたのですから次に活かそうと思います。
少し前、これだけ誰もがスマホを持ち歩き、高画質で鮮明に撮影できる時代になって、絵を描く意味を考えたりしますが、描く楽しさという意味では苦労して描く中で、発見することがあるから楽しいと感じます。
例えば、似顔絵を描く時に、ある一本の線があるとないで全く違うことがあります。
つまりその一本が究極の線で、それ無しには成立しないという大切なものです。
例えば、絵を普段全く描かない人が、トレースして描いたとしても、その線をぜんたに眺めるといい感じで対象物を感じられます。
なぜなら、トレースはすでに撮影されたものを使うので、既に意味を持った物体になっていて、それを無意識でもなぞることで、形を呼び起こせます。
しかし、デッサンになってしまうと、経験が少ない人では急に存在感が消えてしまい、さっきまであった雰囲気が失われます。
例えば、絵が好きで描いていても、誰か別の人が描いた作品を見て、ハッと気づくことがあります。
同じように描いているのに、自身が描いた時には感じなかったのに、誰かの作品では感じることができる不思議が感覚がそれこそ究極の線だと思います。
ある意味で宿るようなもので、すぐにその洗礼を受けられる人もいれば、長く描き続けることで身につける人もいます。
一方で、好きで描いているのに、一向に上手くならないという人もいて、究極の線に出会えることがとて有り難く、でも毎回遭遇できるとは限りません。
癖が強くと言ってしまえばそうなのですが、究極の線に出会えることが楽しくて、またそんな出会いの良さを多くの人に感じてもらうために、どんな方法があるのかとも考えたりします。
何をどう描くことが、描くことの楽しさなのかといろいろ考えてみるのですが、当たり前に思い過ぎることも多くなって、実は大切にするべきだというポイントを見失ってしまっているのかもしれません。
単体の人物を描く時に比べ、複数人になるとそれぞれのボリューム感を整えなければいけません。
加えて、構図的に重なる場面では、特に距離感をしっかりと描かなければ不思議になってしまいます。
これまでにも東京03の似顔絵でも複数人を描くことはありましたが、重なる構図を選ぶのは初めてではないかと思います。
場面としては後ろに立つ角田さんが、耳元で「やってんねぇ」と囁き、その言葉に耳を傾けている飯塚さんの表情を描きこともテーマでした。
ヒソヒソと周囲に聞こえないように囁く雰囲気がどこまで描き切れたのか。
シャツのシワを含めて、まだまだ苦手な課題はたくさんありますが、絵を描くことはとても楽しくてやりがいがあります。
絵を描くことが好きなこみちですが、描いている途中で満足してしまいます。
しかし、後で見返した時に思うのは「もう少しやり切っておけば良かった」ということ。
この辺りは描くのが遅いことも理由ですが、なかなか直せない癖です。
今回は先にこのブログにて制作途中をアップしてみましたが、ここからどれだけ自身が納得できるまで取り組めるのかが課題です。
今日中は難しいかもしれませんが、明日くらいまでには「ゴール」に到着したいです。
正しい線を引けば、結果的に描きたい物が描けるようになる。
こみちは絵以外にもランニングが趣味で、2つは似たような感覚がある。
「走る」ようになったのは、約1年前から。
運動不足解消というよりは、気分転換が大きな理由だった。
あの頃、いろんな面で上手く行かなくて、気持ち的に行き詰まっていた。
笑えなかったし、楽しめなかった。
「流れ」を作ることができればいいけれど、何も感じなければいいけれど、そんな風にもならないから、前にも後ろにも行くことができなかった。
上手いとか、下手とかではなく、単純にこみちにとって「絵を描くこと」が振り返った時に残ったもので、絵を描くことだけは嫌いになりたくなった。
右上の絵は、東京03のコントシーンを描いたもの。
以前からよくモチーフとして描いているけれど、最近は少し画力が試される構図に挑戦している。
顔のアップを基本としたシンプルな構図。
実際に描いてみると、表情や仕草がしっかりと描く必要がある。
こみちは、正面からの顔を描くことが好きではなくて、理由はシンプルに「その構図の良さを活かしきれない」から。
奥行き感のない絵は、とても狭い世界に見えてしまう。
まだ、こみちは自分の描いた絵を作品とは思っていなくて、「図」に近い。
以前にも紹介したように思うけれど、文字で伝える情報とは異なるアプローチで「絵」を使っている。
だから、スケール感や重量感、色味や空気感のような「雰囲気」を描くことはとても大切だと思っていて、言えばそこ場面を自身のフィルターに通して描くことも心掛けている。
こみちがこれまでに何枚も描く中で、癖というかタッチというか、描いたものの中にこみちらしいテイストが生まれて、「こみちっぽい絵」になることで伝えられるものがあると思う。
そのためにも、よりシンプルな構図をしっかりと描くことが大切で、ここ最近はそのことを意識して絵を描くようにしている。
ランニングを全くされない人には、具体的なイメージが浮かばないかもしれないが、最初は誰だって300mだって走ることができない。
でも、「走る」という動きをいくつかの視点や動きに分解すると、それぞれの意味やポイントが見えてくる。
つまり、できない理由や原因があるからこその結果で、逆を言えばそれらが全くないのであれば、結果的に現状は今に留まっていなくて次のステージへと向かっているだろう。
上手くいかないことって、やっぱり理由があって、その原因を解消しないとずっと変わらないままだ。
絵は、自分でコントロールできるし、苦手を克服すれば段々と思うようになってくる。
絵を描くことしかできない理由はそこにあって、もしも描くことを取り上げられたらこみちには何も残らないように思えてしまう。
今回選んだワンシーンは、振り返った豊本さんの少し驚いた表情。
目鼻口のバランスがなかなか掴めずに、苦労しました。
似顔絵というよりも、今回はしっかりと表情を描いて行こうと思って挑戦した回になります。
一瞬を表情なので、時に普段の見慣れた顔立ちと異なることもあって、知っている「豊本さん」との違いがあまりに大きいと、描いていても迷ったり、自己修正が入ってしまったりします。
今回はボーダー柄の上着はササっと軽く印影を付けただけで描きました。
まだまだ特長を掴みきれていませんが、そんな焦ったさも含めて、描くのってやはり楽しい作業です。
「見たままの情景を描きたい!」という気持ちは、絵を描くことが好きな人であれば、誰もが持っているのではないだろうか。
東京03人気コント『部長のいい話』は、部長役の角田さんがかつての部下である飯塚さんや豊本さんに「いい話」をするネタだ。
「自分一人では何もできない。だから、他人を受け入れる心を持つこと」
そんな感じの「いい話」を今は部下を持つ立場になった彼らに伝える。
でも、お酒も飲んでいたらトイレにも行きたくなるもの。
いい話の直後に彼らは連れ立って席を立ち、角田さんは一人ぼっちになってしまう。
「いい話をした自負がある」
感想や余韻が欲しいタイミングで一人にされると、余計にもの寂しさが強くなってしまう。
描いたのは、そんな場面を迎えた時の角田さんだ。
背中の曲がり具合。
不満気な口元。
身長が多分、170センチから175センチくらいの角田さんだから、そのスケール感も極端過ぎてはいけない。
なぜなら、プロポーションを整え過ぎると、急にリアリティが失われ、例えば今回の描きたい「孤独感」や「もの寂しさ」が薄れてしまう。
「場の雰囲気」をどこまで描けるのかが最近のテーマだから、できる限り感じた印象そのままを再現したかった。
強いて言えば、もう少し背景との距離感やそこにある空気感まで表現できれば良かったけれど、スーツのシワや体の厚みや存在感は、今の画力なら上手く描けた方ではないかと思う。
胸から上の、しかも描くのは1人だけ。
人物画としては馴染みのある構図です。
でも、定番の構図故に、逃げや言い訳ができないとも言え、プレッシャーが掛かります。
今回は角田さんの表情に挑戦しました。
結果から話せば、思うような表情を描くことができませんでした。
ここから、いろいろと弄って、表情の根源となるポイントを見つけるのですが、結果見つけることができなくて、寄せきれませんでした。
「誰を描く」ではなく、「どんな雰囲気を描く」のかにこだわっているので、全く印象が違って見えるので、今回の一枚は反省の多いものになりました。
こみちの場合、描きたいものが全て描ける訳ではなくて、最初はリンゴとかコップのような「形」を追うことに終始して来ました。
そこから例えば人物とかに対象が変わるのですが、今でも女性は苦手です。
理由はいくつかありますが、「形」としては難しくないのですが、「人間っぽさ」という意味で難易度がもの凄く高いからです。
人形ではなく、生身の人間という表現が不足していて、例えば、20歳の女性と40歳、60歳と描き分けられるのかというとその画力がありません。
誇張された喜怒哀楽が描けても、含みを持たせた微妙な表情となると、やはりまだまだ描けなくて失敗続きです。
今回、東京03の飯塚さんのこの表情に挑戦したのですが、コントのタイトルにもあるように「義兄弟」である角田さんが自分よりも年下だと気づいて、「俺の方が年上かよ」と態度が豹変したシーンです。
怒るという表情でもなく、悲しむというものでもなくて、年齢というそれぞれの中にある敬いのような感覚が、態度や言葉遣いまでも変化させる東京03らしい感性が現れた場面で、じゃあその表情を「写真的」ではなく、感情的にどこまで描くことができるのかと興味を感じて来ました。
多分、半年前の画力ではここまで細かな表現はできなくて、コツコツと描く中での気づきが蓄積されて、できなかった表現方法に到達できるのかと思います。
なぜ描くのか?
特に特徴のない風景でも、BGM次第で印象が変わります。
明るい音楽なら、何かワクワクした気持ちを連想させますし、暗い音楽なら何か人の内面に触れるようなもの寂しさを感じるでしょう。
こみちにとって描くとは、目で見えている「景色」ではなく、「BGM」の方が対象で、つまり東京03の飯塚さんを描いているというよりも、その瞬間にそこにいる飯塚さんの「雰囲気」や「存在感」を描きたいと思っています。
真正面の無表情な人物画を写真のように描くことはあまり興味がなくて、でも一周回って、「感情を失った時の表情」という意味ではまた描く目的が生まれます。
ある意味、描ける範囲が広がることで表現力も増えると思います。
まだまだ描けない領域がたくさんあって、描いているものでも、本当に描きたい領域まで踏み込めていなかったりもして、「描くこと」の難しさと楽しさをいつも感じています。
こみちは才能がある訳ではなくて、好きでずっと描き来ましたが、結局ののところ、描くことしか出来ない人間かもしれません。
写真を撮ったり、ギターを弾いたり、ランニングもするのですが、「絵を描く」ということほど向き合ってはいません。
きっとそれぞれの分野にも、絵を描くことと同じくらいいろんな要素があって、向き合い方があるはずです。
でもそこまではまだまだ到達していませんし、絵でいう目の前のりんごを描いて楽しんでいる感覚です。
もっと上手くなりたいなぁと思っていますが、先に進むほど時間の割に進歩が感じられなくて、数ヶ月とか半年くらい経て変化を感じるようなところでしょうか。
今回の一枚も、まだまだ不完全ですが、それでも半年前ならここまでは表現できなかったと思います。
だから描くのは面白いですし、「コレ、描けるかなぁ?」という興味は、形としてだけではなく、存在感や空気感まで含まれているように思うのです。
今回、描いたシーンはコントラストが強い場面。
選んだポイントは、角田さんと飯塚さんの二人がいて、飯塚さんが手を伸ばして角田さんに触れていたから。
似顔絵を描く時に、一人だけの場合は必要ないけれど、複数人になるとサイズ感や色味など、いろいろと関係性が気になってくる。
その辺りの描写力は、とても重要だと思っていて、例えば街並みを描いた時も建物や道路だけではなく、そこに居合わせる人など「関係性」があってこそ。
今回のシーンでは、不満顔の角田さんに手を伸ばして制している飯塚さんという関係があって、理由が原因は別としても、左腕を押さえられて立ち上がることが阻まれた雰囲気を描きたかった。
さらに細かなことを言えば、柔らかい生地であろうポロシャツを着た角田さんに対し、綿のTシャツにシャツを羽織った飯塚さんがいることも、光の当たり方で表現できていたら嬉しい。
今回の場合はブラック系の単色で、でも二人の後ろにある奥行き感が感じ取ってもらえたら、さらに嬉しく思う。
写真(画像)の完全コピーも、描画力を向上させる大切な練習ではあるけれど、機械的なコピーにならないように、描いた側の癖やタッチがいい感じに残されていて欲しい。
多分、今回のイラストは、トータルで10時間くらい掛かっていると思うけれど、これをさらにあと50時間使うと画質はかなり向上できると思う。
でも描くという意味では、「高画質」であることよりも「雰囲気をどう伝えられるのか?」にこだわりたい。
前回のイラストでは、角田さんと飯塚さんが抱き合っているシーンで、人が「奥行き」として存在し、それが二人になって抱き合った時にも、人としての厚みを損なわず、存在感を残して描くことを目指したかった。
東京03の「返信メール」は、想いを寄せる相手からなかなか返信メールが届かない飯塚さんが落ち込んでいる場面から始まる。
そこに豊本さんが突っ込み、さらに角田さんが現れて落ち込む飯塚さんに絡み始める。
勢い余って、角田さんが飯塚さんを抱き寄せた。
そのタイミングで、飯塚さんが放った「強めに抱く〜」というセリフが特に好きで、今回はそのシーンを描いてみた。
二人とも白い衣装で、しかもシワが出来やすい。
描く上では、画力が試されるモチーフなので、どこまで描けるか個人的にも試してみたかった。
「絵が上手い」と言われるためには、卓越された画力を目指すことだろう。
でも絵描きと呼ばれる人の大半は、「上手い」ということを重視していないのではないだろうか。
こみちの場合、「コレ、描けるかなぁ?」という気持ちが描くモチベーションになっている。
〇〇さんに似せた絵。喜怒哀楽が伝わる絵。
本音を言えば、もうその辺りには興味が薄い。
例えば、テーブルの上にりんごが1つ置いてあって、それを描くことになったとしよう。
「りんご」を描くとか、写真に見えるほどリアルに描くとか、確かに描こうというモチベーションにはなり得るけれど、描く前から完成度ってある程度見えていたりもする。
でも、描こうとしたりんごに、何か特徴的なキズがついていて、そのキズを見たら別の情景を連想させるような事情があったなら、絵描きはその背景を「描けるだろうか?」と張り切るだろう。
料理にしても、店で食べる味と家で食べる味に差があるのは、「味」には環境や雰囲気のようなものが強く影響するだと思うし、その描写に対して社会経験が伴っていない鑑賞者だと何を意図しているのか気づかないことも多い。
その意味では、りんごを「りんご」として描いたり、「写真っぽく」描いたりことは、見る側に予備知識がなくても鑑賞できるような絵だったりする。
一方で、絵描きが描きたい絵とは、段々とそんな類いから逸れて、見た瞬間に過去の経験や感情と結びつき、「もしかして?」と心を揺さぶることに目的があるのだろう。
つまり、描かれた「りんご」を見た時に、幸せそうな情景が浮かんだり、何か物寂しさが感じられたり、そんな「りんご」を通じて感情表現できたら、絵は存在価値を持つのだろう。
学生時代は喜怒哀楽の全てを満遍なく描いてみるのも大切だけど、社会人になって描くのであれば、自分にしか伝えられないような「気持ち」を表現したい。
人物画、風景画というジャンルに偏りがあったとしても、絵を見ただけで誰が描いたのか分かってしまうほどの感性を絵に盛り込めることが重要だからだ。
いつだったか、漫才のネタは同じなのに、漫才師が変わるとウケ方が違ってくるという映像を見たことがある。
「誰が何を喋るのか?」以上に、漫才師の仕草や間が笑いに大きな影響を与えているという証拠だ。
「あの人、絵が上手いよね!」
そう言わせてしまう原因は、まだまだ絵に中身が伴っていないからとも言える。
「上手い」と褒められることは嬉しいことだけど、その情景や空気感までも描き、見た瞬間に「この気持ちって何だろう?」と言いようのない感情の揺さぶりまでできるようになりたい。
今回はこのシーンを選びました。
人物画を描く時に気をつけているポイントがあって、いわゆる「似顔絵」的なものではなくて、その人の雰囲気を目指しています。
具体的には背丈や重みから来るその人の存在感をどこまで描けるのかを意識しています。
飯塚さんと豊本さんの場合、多分身長的には豊本さんの方が高いはずで、また意外と肩回しも大きくて、でもだからこそ二人が並んだ時には少し猫背気味に立つ癖とかも描きたいと思っていました。
また、絵を描く人にとっては、衣類のシワをどう描くのかは気になる所ですが、雰囲気でパターン的なシワで誤魔化すこともできますが、イラスト的な仕上げではなく、写実的な仕上がりにしました。
腰に巻いたツナギの上着部分のボリューム感も今回の課題になるので、ベース色の青色を基本に、数段階色を使って描きました。
背景のロッカーも加え、立ち位置との距離感も明確になって、画面全体に統一感が出て来たら嬉しいです。
描くことがこみちにできる唯一のことでもあるので、少しずつでも成長できていたら良いのですが…。
みなさんは絵を描いているでしょうか。
右の一枚。
個人的には、「描けるかなぁ?」という気持ちになったモチーフです。
ポイントとしては、ロウソクに灯った炎。
「嗚呼、火がついているなぁ」と無意識に感じ取れるくらいに描けたことです。
そして、もう一つのポイントが、その炎の明かりで照らし出された手や袖の反射具合を表現できること。
最後がグラスを忠実に描くことですが、これに関しては今回特に課題にはしませんでした。
鮮明な元画像を再現するのとは異なり、ある程度の粗さがある場合には、描き手が不鮮明な部分を補いながら描くことで、経験値を活かそう思う部分と、見えたままをどれだけ無で描けるのかという矛盾を抱えます。
今回もトレースやグリッドによるガイドを使っていないフリーハンドなので、元画像と全く同じに描くことはできません。
その代わりに、場の雰囲気や空気感を優先的に伝えることが期待でき、今回の描画でその何割かが再現できていたら嬉しいと思います。
冒頭に挙げたいくつかポイントの他に、両腕を前に伸ばしたことで、胴体との空間が作られています。
それはロウソクの炎の明るさによって視覚的に伝わるものですが、反省点としては腕部分のハイトーンをもう少し抑えることで、全体の距離に統一感が生まれたと思います。
手に関しても、階調としてはもう少し段階を分けて描くこともできたのですが、制作時間にも限りがあったので、時間との兼ね合いで省略したことが全体的の完成度を下げてしまったように感じます。
単純に人物画を似顔絵として描くのではなく、表情や仕草からその場の雰囲気や内面まで描けたらと思っていますが、今回に関しては顔が含まれてはいないので、気持ちというよりももっと美術的な要素として描くことを楽しみました。
暗闇を描くとか、照らされた部分と影の部分を描き分けるような表現は、必ず必要になるものなので、現時点でどれくらいの描写ができるのか確認できる課題でもありました。
修正点や課題もありますが、全体的には満足できる部分も多く、描いてよかったと思います。
どうでしょうか。
今回は特に描きたいと思ったシーンを選んでみました。
ただ、画力が露呈するので、ちょっと自信はありませんが…。
豊本さんが演じるモトコさんに掛かってきた電話が気になって、後ろから忍び寄る角田さんを描きました。
まだまだ細かな部分は描ききれていませんが、雰囲気が伝わっていたら嬉しいです。
ふつう、コントなどのタイトルは、その内容を象徴するようなものから命名させます。
つまり東京03の「誰?」というタイトルのコントでは、誰か誰かに正体を聞きたくなる場面があって、そこに何らかのドラマが潜んでいることになります。
実際、冒頭シーンでは角田さんと豊本さんが二人並んでソファーに腰掛け、豊本さんが演じるモトコちゃんの失恋が根底にあって、不安な気持ちを癒そうとして角田さんが話掛けていたはずです。
今回描いたワンシーンは、角田さんが片手を高く上げて遠くを指さして、「誰〜!」と叫んでいます。
ある意味で、このコントのタイトルが命名された代表的なシーンです。
それ故に笑いがあって、コントとしても大きな盛り上がりになる部分です。
東京03の作るコントは、タイトルから連想されるストーリーとは別角度の「裏設定」があたりします。
その意味では、この「誰?」についても同様で、最後の「オチ」は意外なひと言で終わります。
さらに、この「誰?」では冒頭から繰り返しの「セリフ」が登場し、無意識のうちに視聴者の頭に大きなフリとして認識することでしょう。
話が進むにつれて、その「セリフ」を意識して、ジワジワと笑いを生み出します。
今回、ピックアップしたワンシーンは、コントの冒頭シーンですが、東京03が人気である所以は、仕草の一つひとつがしっかりと演出されていることでしょう。
見ていただいている「絵」ですが、角田さんと豊本さんの役柄はどんな風に見えるでしょうか。
男女だから恋人同士?
でも角田さんの姿勢は少し手すりに寄りかかるようで、親身な間柄には思えません。
しかも、女性役の豊本さんも両手を組んでいて、決してリラックスしているだけではなく、どこか緊張しているようにも見えないでしょうか。
また、膝頭の向きと手の位置に着目しても、角田さんがどこか落ち着かない様子に見えますし、豊本さんは膝頭を角田さんに向けてもいません。
もしもカップルのような関係なら、きっと二人の距離が離れていたとしても、どこか向き合うような空間になることでしょう。
実際、この『誰?』では、角田さんが以前にフラれた経験のある友だちで、豊本さんの家に来ている設定です。
絵を描きながら、東京03の作るコントはストーリーもそうですが、演技という意味でもとても魅力的です。
だからこそ、その雰囲気を感じ取って描いてみたいと思うのです。
場面としては、もっと注目度の高いシーンがあるのですが、絵を描く者としてはあえてこのシーンを選んでみました。
なぜなら、単純に「男女がベンチに腰掛けている」ということではなく、今まで紹介したような設定があって、それに相応しい表情や仕草で彼らは演じているからです。
目標として、描かれた人物が誰なのか分かるということではなく、ある意味で心理のようなものまで感じ取れる絵を描けたらと思っています。
まだまだその域には到達できていませんが、今後もコツコツと描き続けて行きます。