「ウェットスーツ」の面白さ
コント「ウェットスーツ」は、サイズ違いのウェットスーツが脱げない山内さんに、濱家さんが脱がせようとする中で笑いが起こる。
いい感じでボケる濱家さんに突っ込む山内さんのタイミングが絶妙。
描いたのは、濱家さんが無理矢理に山内さんを脱がそうとするシーン。
このイラストを見るだけでも、かなりやばい展開だと想像できる。
コント「ウェットスーツ」は、サイズ違いのウェットスーツが脱げない山内さんに、濱家さんが脱がせようとする中で笑いが起こる。
いい感じでボケる濱家さんに突っ込む山内さんのタイミングが絶妙。
描いたのは、濱家さんが無理矢理に山内さんを脱がそうとするシーン。
このイラストを見るだけでも、かなりやばい展開だと想像できる。
今回は、東京03の人気コント「救世主」のワンシーンを描いてみたいと思った。
このコントは、角田さんのプレゼント用の「ラジコン戦車」を豊本さんが壊してしまったということで始まる。
そこに飯塚さんが遅れて登場し、ラジコン戦車を修理することになる。
コントのタイトル「救世主」は、正に飯塚さんの奮闘を称している。
さてさて、ワンシーンを描いてみて、明らかに難易度が高い構図だ。
その理由は、映像的に観るとしっかり伝わるシーンではあるが、ワンシーンだけで象徴されてはいないから。
不安そうに見つめる飯塚さんの脇で、両腕を胸の辺りまで持ち上げて何かを叫んでいる角田さんの表情。
この場面をいかに正確に描写するかが問われるシーンになっているが、「似顔絵」以上に「表情」を描くのは難しい。
今のこみちの画力では、この辺りが限界だった。
東京03のコントが好きな人なら、「あのシーンね!」と気づいてもらえるかもしれない。
若手営業マンとして奮闘している角田さんと豊本さん。
社内の休憩室で談笑している。
目下の話題は本部から異動してきた上司の飯塚さんの印象。
角田さんは既に飯塚さんの言動に一人ストライクを決行していると言い出し、豊本さんも釣られて段々と本音を暴露し始めた。
そんな中で、当事者である飯塚さんも休憩室に現れる。
目と目が合い、少し気まずそうな角田さん。
一方で背を向けている豊本さんは気づかずに「陰口」を続けている。
「そろそろ、行こうか?」
少し想いを吐き出して、仕事場に戻ろうと休憩室から出ていこうとする二人。
振り返った豊本さんは、飯塚さんが立っていることに気づく。
「オイ、ホラ!」
飯塚さんの前を平然と横切り、戸惑う豊本さんを手招きして連れ出そうとする角田さん。
しかし、飯塚さんに止められてしまう。
イラストに描いたのは、丁度この後の展開。
気になる方は、ぜひ東京03のYouTube 公式チャンネルでご覧ください。
ロッチのコントは、中岡さんのボケっぷりが好きです。
この「XPhone5」でも、発売日の朝に寝てしまうという大失態を中岡さんが役の中でやってしまうところから始まります。
さらに次々と思っていない展開が起こり、それを困惑しつつも受け止める中岡さんがいい感じです。
描いたワンシーンは、正に幾つもの困難を振り返る中岡さんと、それを見守る店員役のコカドさんの姿です。
「ちょっと待って〜」と聞こえてくれたら、嬉しいのですが。
いつまでも待っていると恋人に告げて、自身の愛の大きさを伝えたはずの角田さん。
恋人である「トヨミ」が約束の時間を5分過ぎただけで、立ち去ろうと歩き出す。
「角田くん」
呼び止められて、トヨミが来たと知り、「待っていたよ」と迎えたのだが。
東京03のコントは、まるで映画のワンシーンみたいで感情が伝わる。
そして、展開の妙もあって、引き込まれてしまう。
昨日、久しぶりにテレビを観て、プレバトの色鉛筆画のコーナーで芸能人の作品に触れました。
こみち自身も色鉛筆は昔から好きで、ファーバーカステル社のものを使っていました。
国産の色鉛筆も使っていましたが、緑色や肌色の深みや艶っぽさがイメージ通りに出せなくて、試行錯誤を経て高価ですがファーバーカステル社のものに行き着いた感じです。
そうそう、番組内の芸能人はみんな普通に上手い。
何でもできる才能豊かな人が芸能人になると思うので、やっぱり凄いなぁと感心するばかりでした。
一方で、今の自分ならどれくらい描けるだろうといつものprocreate で描いてみました。
というか、気になると描いてみたくなるんです。
その時に描いた「ピザ」がこちら。
めちゃくちゃ途中ですが、こみち的にはこれでも満足です。
何となく仕上がり具合も想像できたので。
気ままに絵を描くのは楽しいですね!
今回のライジン34で中村大介選手は、山本空良選手と対戦しました。
少し前に山本選手の存在を知り、とてもいい選手だと注目していたのですが、今回の対戦では相手選手である「中村大介」選手が気になってしまいました。
というのも、戦う時の構えが独特で、しかも黒いパンツは子どもの頃に見ていた「プロレス」を思い出させます。
何より、中村大介選手の試合後インタビューは、中年男の理想のような姿があって、相手をリスペクトする姿勢や試合を盛り上げようとする意識、さらには挑戦を続ける姿など、とてもカッコイイと感じました。
そんな訳で、今回のイラストは中村大介選手です。
イラストサイズとの関係で、ドアップにリメイクしての掲載ですが、YouTubeの「こみちチャンネル」にはもう少し周辺も描いたフルバージョンがあるので、良かったらぜひ。
「隔たってるね。」は東京03がリモートワークが浸透した約一年前にYouTube で公開した単独公演の映像です。
舞台とは異なり、パソコンのカメラに向かって東京03がフリートークのような雰囲気でネタを見せてくれます。
個人的には、「下から出て来た角田さん」にクスクスと笑ってしまいました。
右のイラストは、ちょうど角田さんが現れて、飯塚さんは大笑いし、豊本さんはほくそ笑んだところです。
角田さんの笑いを取りに行っていると見えない表情が、余計に笑いを誘います。
勢いに乗る萩原京平選手との一戦でした。
開始早々の萩原選手の蹴りを受けて後ろに倒れた所をあわや踏みつけかという場面で緊迫した場面を迎えた。
しかし、ドミネーター選手は打撃戦を繰り広げつつも、総合力を活かして寝技へと引き込んでいく。
立ち技でのパワーバランスも、寝技ではドミネーター選手がかなり優位で、萩原選手は防戦が続く。
そしてドミネーター選手がきっちりと萩原選手からタップを奪い勝利。
この一勝の意味は大きくて、比較的上達が速い立ち技も、グラウンドでは経験がものを言う寝技が問われる。
今回の試合でも、ここ数年で駆け上がって来た萩原選手を経験上回るドミネーター選手がくだした形となった。
東京03のコントは、いつも映画のワンシーンを見ているようだ。
この「夢破れて」も、漫画家を目指して長くアシスタントとして頑張って来たものの、帰郷することになった角田さんを同僚たちである飯塚さん、豊本さんが駅のホームまで見送りに来た場面を描いている。
アシスタント時代の思い出を既に美化して熱く語る角田さんに対して、いい感じで飯塚さんたちがツッコむ。
今はYouTube のチャンネルでは公開されていないコントではあるが、機会があれば是非とも観て欲しい一本である。
皆さんは、バカリズムさんの名作「抜けなくて・・・」を見たことがあるだろうか。
あまり女性や子どもには勧められないが、男性諸君ならきっと「ツボる」だろう。
しかもぐるっと回っても、ど真ん中で勝負しているから天才だ。
電車の中で動画視聴はなかなか勇気が必要だが、一人になって少し落ち着いた時に正座してネタを観てほしい。
YouTube でも公開されているから、バカリズムさんのチャンネルに飛んでみてはいかがだろうか。
実物から写真、さらにイラストとデータ量を省くことで、メリットもある。
例えば、「喜怒哀楽」のような表現が容易になることだ。
満面の笑みを浮かべてくれたら、どれほど見ている方も癒されるだろうか。
一方で、善悪のように、誰が見ても優劣がはっきりとすることは意外と少ない。
作品として考えた時に、主人公が過去に1つだけ大きな過ちを犯していたとしよう。
しかし、その後は改心し、その過去を知らない誰もは主人公を「良い人だと評する」。
ところがふとある人物が主人公の前に現れる。
そう、あの時のことを知っている人物だ。
物語のストーリーとしてはどこにでもある転換だろう。
それよりも、ポイントは「どこから」である。
つまり「今」を基準にすると、主人公はいい人と判断してもいいだろう。
では過去から知っている人からはどうか。
どのような過ちだったのかにもよるが、取り返しがつかないほどのことだとしたら、今の改心した姿で帳消しにできるだろうか。
つまり、人物には長い過去がある。
たとえ仕方がなかったことかも知れないが、それでも「事実」は消せない。
主人公が満面の笑みを心から浮かべて喜べたとしたら、ある人物はそれを嬉しくは思わない。
「忘れたのではあるまいな」
償いとは、ある瞬間に全身全霊を込めて思うことではない。
どんな時でもいかなる時でも、自身が生きている限り「思い続けること」だと思う。
幸せに触れた時も、今だけは少し忘れて…。
そんな考えが起こるのは、どんな時でもずっと悲しんでいる人を忘れてしまったからだろう。
ここで何が言いたいのかというと、喜怒哀楽の四つで心の動きを描写できるのかということ。
「目は口ほどにものを言う」ということわざがあるけれど、表情にはタイミングや場面によってもいろんな意味を含む。
それだけ繊細な意識が顔に表れる。
実際の場面を写した写真でさえ、当時の気温や風、匂いや周りの状況など、いろんなものが写ってはいない。
ある角度から見えた「一瞬」に過ぎないからだ。
だからこそ感じられる「思い」もあるが、他方では省かれた感情もある。
それがイラストになってしまうと、目さえ線だけで描かれてしまうし、瞳に反射した光も白い点にすり替わる。
わずかな目の見開き方でさえ、そこには心模様が感じ取れるが、イラストでそこまでを描き分けるのは容易ではない。
「モナリザの微笑」という有名な絵画があるが、「モナリザの大爆笑」ではこれほどまでに後
絵が上手い人には2パターンあって、見たままを描写する巧さと、対象物にある本質を読み取る感覚の凄さだ。
割と練習で補えるのは「デッサン」とも言われる描写力だろう。
一方、本質を読み取る感覚は天性の部分と後天的に学習で補う部分がある。
十代で才能を発揮するタイプは天性だろうし、後天的に学習した人は歳を重ねて段々と本質に近づいていくのだろう。
例えばカフカの「城」は、初めて読むと意味がわからない。
もしも高く評価されている作品という評価を知らなければ、読んだ人は作品に低評価を与えるだろう。
しかし、文学的に優れた作品で、ずっと語り継がれるのは分かる人にはその凄さがきちんと伝わるのだ。
イラストにしても、映像にしても、小説や映画、ドラマにも言えるが、誰もが理解できる基礎をどう設定し、そこから本当に伝えたい部分までをどう伝えるかが作者に問われる。
しかし、あまりに基礎を基礎にしてしまうと、到底伝えられないこともある。
例えば「愛」とか、「生」のような言葉は、基礎が人によって違い過ぎる。
男女がハグをして笑っているから「愛」なのか?
例えば、西陽が差し込む冷たい雰囲気の手狭な台所に無理矢理置いたようなアンバランスのテーブル。
その上には日常生活の臭いがプンプンするほど、どうでもいいガラクタが無秩序に置いている。
しかしその一角に誰かが即座に作ったスペースがあって、ラップの掛かった焼き魚の乗った皿がある。
例えば、その皿をリアルに描写した絵があって、作品のタイトルが「愛」だとしたら見た人はどう思うだろうか。
最初に思うのは、誰が誰に作って置いたのかだろう。
映像でも写真でも、それを見た時、無意識に感情が掻き立てられる時がある。
自分で意図的に引き出すことはできなくても、作品によって感情が揺れ動く。
喜怒哀楽の四つで本当良いのかと考えると、こみちはそこに含まれない微妙な感情も表現してみたい。
だからこそ、ものの本質がどこにあるのかと思いながら、描くようにしている。
きっと、こみちのように描くのは好きな人は、描き取りたい「感情」があってそれが上手く描けると嬉しいし、上手く描けない時はまた頑張ろうと思うのだろう。
「許せる心」は、人里離れた場所で喫茶店を経営するマスターのアフリカでの体験がキーを握っている。
角田さんが演じるマスターは、悲しいことに人に裏切られた。
そんな悲しい体験を癒すために、日本を飛び出して世界各国を巡った。
そしてある時、アフリカ大陸のある国を訪れる。
そこは、広大なコーヒー畑。
それまでコーヒー豆の栽培がこんなにも重労働だとは知らなかった。
なのに現地で働く彼らはとても明るい。
「何故ですか。そんなに重労働なのに?」
人からの裏切りで傷ついた心も、過酷な労働でも明るく前向きに生きる彼らの優しいに癒されていく。
「喜んでもらえたなら、それで良いじゃないですか?」
そして、日本へと帰り、コーヒー店を営み始めた。
スズキが販売している「アルト」と聞いて、どんなイメージを持つだろうか。
こみち自身は、免許を取って知り合いの車を初めて運転させてもらったのが「アルト」でした。
もちろん、大昔の話なので、マニュアルの重ステというそれなりに「車」らしい一台でしたが、当時はバイクしか乗っていないかったので、雨風が凌げる車にとても感動した記憶があります。
とは言え、アルトももう9世代になるそうで、YouTube にもたくさんのレビューが掲載されていますが、かなり正常進化している印象です。
しかも昨今の軽自動車がコンパクト自動車の価格に肉薄している現状を考えても、スズキ自動車はこみちのような庶民に優しい価格設定でアルトを販売していると感じました。
安全性をサポートしてくれるシステムや、万が一の事故などで運転手や搭乗者を守ってくれる対策は安心して運転できるポイントでしょう。
必要最小限のサポートで低価格のモデルを選ぶこともできますが、電気による発進時のアシストを行う上級モデルもライナップされていて、いい意味で知っている「アルト」ではなくなりました。
逆に、夫婦二人や自分しか運転しないという事情なら、大きな車ではなく「アルト」を選んでも十分に感じます。
しかも、数年前の軽自動車でも十分に驚かされたのに、多くの自動車評論家の面々が「十分な性能とより上質な乗り心地」を誉めていて、「これがアルトなの?」という感じだそうです。
きっと、「これが」の意図は皮肉ではなく、「最小限のシンプルな車」という認識だったはずのアルトが、それだけ十分に整えられた車になって登場したことで、例えばスズキのワゴンRやハスラーなど、同じ軽自動車に対する期待値も上がってしまうということでしょう。
機会があれば、ぜひ試乗してみるといいですね。
そんなこみちもいつか、ディーラーに行ってみたいと思いました。
東京03のコントは、まるで映画を一本観ているような気分になる。
3人の演技力と、しっかり練り込まれた台本が成せる技だ。
この人気コント「鬼才」は、先輩役の飯塚さんができの悪い後輩の角田さんをいじるところから始まる。
「コイツ、新幹線に乗る直前に、いつも乗車券を無くして…」
どこかの店のカウンターには、飯塚さんの同僚、豊本さんもいて、二人に挟まれる位置関係で話に耳を傾けていた。
「いつも? 鬱陶しいなぁ!」
なぜなら、飯塚さんの説明では、無くした乗車券を探すために、駅の改札口で手荷物を全部床に広げていた角田さんがいた。
「毎回。なぁ、角田。いつもだよなぁ!」
一方的に捲し立てる飯塚さんが席を外した画面で、「我慢するしか無いんですかねぇ」と角田さんがため息を交えて、豊本さんに話を振った。
「落ち込んでいるのか?」
「いいえ。飯塚さんは少し話を盛るんですよ。分かりますか?」
「アイツ、ちょっとそう言うところあるよな」
「そうでしょう!」
飯塚さんがいない僅かな時間で、角田さんは豊本さんからのアドバイスをもらえる。
そして、今回描かせてもらったのは。あまりに悪者扱いされることに我慢できず、角田さんの反撃が始まった。
その中「飯塚‘Sカットされている」と角田さんが不満顔で、一方の飯塚さんは話を少し盛ってしまったことを指摘されて、ニヤリと笑う。
正にその瞬間に見せた表情を今回のイラストに描いている。
鈴木千裕選手は、ライジンに出場されるハードパンチが魅力の選手です。
キックボクシングのチャンピオンでもある鈴木選手ですが、ライジン初戦ではベテランの昇侍選手とバチバチに打ち合い、2戦目では山本空良選手を迎えて勝ちに徹した技巧派になるなど、戦い方の幅も広がる注目度の高い選手と言えます。
また、3月6日に開催されるランドマーク2では、K1で活躍され総合格闘技へ転向した平本蓮選手と戦うことが決まっていて、その成長ぶりを見せられるかがポイントでしょう。
鈴木千裕選手は、YouTube チャンネルも運営されていますが、裏表がなくとても真っ直ぐな性格で、その人柄を知れば誰もがきっと応援したくなる魅力を持っています。
一緒に、ライジン3戦目となるランドマーク2での試合に注目しましょう。
そんな訳で、今回はMMAファイター「鈴木千裕」選手を描いてみました。
YouTube チャンネルでは、制作過程も公開しているので、良かったらそちらもご覧ください。
ふと、聴きたくなるのが「あいみょん」の曲。
根っからの大ファンとは公言できないほど、気まぐれで聴かせてもらっている。
でも、彼女の曲を聴くのもそうだけど、MVがカッコいい。
スポットライトを浴びて、熱唱している姿は、本当に「アート」。
少し前に「トレパク」とか、模倣作品という話が世間に広まって、例えば「著作権って何?」みたいな話も出たはず。
ずっと絵を描いてきたこみちが、「トレース」をしない理由は少し哲学的な意味もある。
というのは、「線」って生きていると思っていて、トレースでは描けないから。
なぞることで「形」は書き写せても、「存在」までは描けない。
それは、実物よりも「質が下がる」完成度を見れば理解できるだろう。
つまり、とても質の高い対象物をつかえば、知らない人には「凄い」と思ってもらえる模倣品ができる。
でも、本物を知っていると、「何だこれは?」となってしまうのは、明らかに程度の悪い物を見せられるからだろう。
例えば、掲載した「絵」みたく。
でね、あいみょんさんの音楽が、いつでもこみちの心にダイレクトに響く。
いろんな人の演奏を聴くけれど、なぜかあいみょんさんの歌を聴いていつも思うのが、「音楽って良いなぁ」ということ。
こみちは古い人間なので、イラストレーターを「絵師」と呼ぶことも最近まで知らなかった。
その微妙な違いも。
ただ、芸術家とイラストレーターの差は明確にあって、クライアントのために描く人が「イラストレーター」だと思っている。
誤解を恐れずに言えば、イラストレーターが描く「絵」は芸術家の「アート」ではない。
「アート」には描き手の想いや主張があるから。
クライアントに修正を依頼されて、「従うこと」「自身の作品を貫くこと」を天秤に掛けた時に、「修正しますね」と言えるのは、自身の想いを込めた「アートではない」からこそ。
もちろん、こみちだって、あいみょんさんを描く時、目指すのは彼女の音楽を聴いた時に感じた「心の震え」だ。
でもそこには画力というものが立ちはだかり、今のこみちでは100を100では描けない。
それは分かっているけれど、言葉ではなく、「図」として感じるままを描きたくなるのが「絵」を描くモチベーションだろう。
似顔絵で真正面の構図も好んでは選ばない。
なぜって、その人の個性が消えやすいから。
選ぶメリットは、左右対称で、奥行きが無くても違和感が少ないから、描きやすいってこと。
本当なら、似顔絵も「見た目」を描くのでは無くて、対面して感じた「その人なり」を即興で描けたら凄いし、そこに価値があると思っている。
だから、こみちが描いているのは「アート」でもないし「絵」でもない。
ただ、直接的にはトレースしていないけど、「目」を使って写しとっているだけ。
こみちは、肩書きとして「イラストレーター」を名乗ることはないけれど、絵でお金を稼いだこともある。
その時は、3つくらい画風を変えて、望まれたタッチで、雰囲気で描くようにしていた。
それこそイラストで精密画を描いて、「写真」以上に価値ある「絵」にできるなら、それは意味はある。
でも、写真を目指して描くのなら、「それって描く必要あるの?」ってこと。
あいみょんさんが、映像でも伝えようとしているのがとても分かるから、観ている内にこみちの心も動かされてしまうのだろう。
でもこれこそが「アート」。
思うままを貫き通してくれるから、聴いている方も心が動く。
これが最初から「下心」だけで誰かの「真似」をしたいと思っているなら、本当は「アート」ではないんだろう。
結局のところ、あいみょんさんはミュージシャンだけど、「アート」を作る人なんだよ。
昨年、朝倉未来選手との対戦を前にしたインタビューでは、少し斎藤裕選手の表情だけでなく、身体から溢れ出す雰囲気がどこか以前と異なっていた。
それはきっと気づかない内に背負ってきた多くのファンの想いが大きくなり、それに応えなければという斎藤裕選手の葛藤があったからだと思う。
しかし、試合には負けてしまったが、最近の斎藤裕選手の表情を見ると何か吹っ切れたような、晴れ晴れとした落ち着きが戻ってきた。
今回描かせてもらったのは、若いファイターに向けたアドバイスを兼ねたインタビュー動画でのワンシーン。
いつもの練習場でのトレーニング後なのか、両膝を抱えるように座り込み、カメラに向かって質問されたことに丁寧な言葉で答える姿が印象的。
そんな表情が描けていたら嬉しいのだが。
画面の中心に置かれたモチーフ(対象物)は、初心者でも描きやすい構図です。
さらに言えば、花や果物など、同じ形が存在しないモチーフなら、少しくらい形が狂っても大きな失敗には繋がりません。
何か初心者の方でも描きやすいものはないかなと想像した時に、思いついたのが「いちご」でした。
YouTube などでも描き方を紹介している動画がたくさんあって、確かに基本スキルが組み合わせれば、割とそれっぽい作品に仕上げられるはずだと思います。
右のイラストは、完成したものではありません。
ただ少し工程を紹介すると、赤いいちごの逆三角形部分を同じ「赤色」でベタ塗りし、上の光が当たる部分と白いテーブルによって反射した弱いけれど明るくなった下側の部分を円錐形を意識して塗り込みます。
中央部に少し明度の低い赤を塗っているのは、あまりに完璧な円錐形では「いちご」らしくないので、少し窪みっぽさを意図的に作りました。
さらに、いちごの表面はツルツルとしていて、実物などを観察すると光の当たる部分が際立ちます。
つまりぼんやりとグラデーションになるというよりも、明るいエリアとそうではないエリアを少し誇張して描くとそれっぽくなります。
あとは無数にある種の部分をどこまで詳細に描くかですが、こみちは上部のいくつかを描いたところで段々と飽きてしまい、掲載したような未完成のイラストになりました。
ただ、近くからでは粗さが明確ですが、少し遠目にみると「いちご」っぽさも感じられるはずです。
画面中央部に一粒のいちごという作品にしては、このクオリティーでは不十分だと思いますが、別の何かがメインで、その脇にある添え物程度ならこれくらいでもありでしょう。
そうそう、言い忘れましたが、これ赤単色ではありません。
裏の色として「黄色」や「オレンジ色」を使っています。
このように、見える色数を増やすことでも、より本物っぽい感じに仕上がるので、例えばタブレットのお絵描きアプリなどで遊んでみたい人は、割と簡単に描けるので「いちご」を挑戦してみてはいかがでしょうか。
右の掲載した自動車は、日本特種ボディーという会社が製造販売しているちょっと変わった「キャンピングカー」です。
別のブログで以前に紹介した「EAGLE」という車種名のキャンピングカーなのですが、少し簡単に紹介させてもらうと、一見すると何か配送中のトラックにも見えませんか。
イラストをよく見てもらうと分かりますが、ちょうど荷台部分に窓の他にドアのようなもの見えるでしょう。
実は電動式のステップが出てきて、荷台部分の「箱」の中に子どもでも簡単に入ることができます。
そして、中にはキッチン(冷蔵庫、電子レンジ、水道)の他に、テレビやトイレ、エアコンまで装備しています。
さらに大人4〜6名ほどが座れるコの字型のソファーもあって、そこでひと家族が数日間を過ごせるだけの充実ぶりです。
一般的なキャンピングカーと大きく異なるのは、運転席部分と後方の居住スペースを分離させたこと。
これまでの多くのキャンピングカーでは、雨降りや運転直後にも居住スペースに移動できるようにと連携させることを行ってきました。
しかし、そのメリットの反面、車としてのねじれを制限し、通常のトラックなら問題ないような状況でもしっかりと走行できない(ねじれ不足から生じるタイヤの追随性)が起きていました。
そこで、この「EAGLE」では、連携させるメリットよりも、状況を問わずにしっかりと車として走ることはできる走破性に趣をおき、キャンピングカーとしての新たな提案を行ったモデルとなります。
実は自慢させて欲しいのは「このキャンピングカー」のことではなく、こみちが画像をもとに描いたイラストそのものです。
ポイントは「その大きさ」をイメージ出来ること。
人物が描かれていないので、スケール感の基準は少ないですが、絵を見て大体の大きさが想像出来るのはとても大切です。
空間を描いた時に、どれくらいの大きさや広さなのかは、似せて描く以上に難しいからです。
もうずっと昔の話ですが、奥行きがイメージ出来るイラストを描くことができなくて、その場所がどれくらいの奥行きのスペースなのかを「絵」のみでは伝えられませんでした。
最近、ようやく大きさを伝えられるようになって、描くのがまた楽しくなりました。
すいません。ちょっと「自慢」させてもらいました。