乃木坂46の遠藤さくらさんを描いてみました!
乃木坂46の遠藤さくらさんを描きました。
女性らしい顔立ちなので、どこから描けばいいのか迷います。
目鼻口のバランスに注意しながら、各パーツの精度をアップさせました。
誰を描いたのか分かるでしょうか。
乃木坂46の遠藤さくらさんを描きました。
女性らしい顔立ちなので、どこから描けばいいのか迷います。
目鼻口のバランスに注意しながら、各パーツの精度をアップさせました。
誰を描いたのか分かるでしょうか。
乃木坂46のメンバーを、連続して描いてみました。
今回は賀喜遥香さんです。
女性の似顔絵を描くことが苦手で、その理由は「似せられない」からでした。
しかし、「嘘」を描かなければ絶対似る訳で、今回の賀喜遥香さんでもそう感じます。
実は初めて賀喜遥香さんの顔を見て、特徴的な感覚がありませんでした。
つまり、どう描けばいいのか分からなかったのです。
しかし、見えたままを信じて描いていくと、ある段階から「賀喜遥香」さんっぽさを感じられました。
目や鼻、口の形に大きな特徴などありません。
しかし、全く特徴がない訳ではなく、細かな違いを正確に描いてみると、結果的に「賀喜遥香」さんが見えてきました。
乃木坂46の与田祐希さんを描いてみました。
カップスターのCMで登場した時のワンシーンを選んでみました。
個人的に頭の周囲が切れている構図は苦手ですが、与田祐希さんの雰囲気が表現できていたら嬉しいです。
それでも齋藤飛鳥さんを描いてみたくて挑戦しました。
大きくズレていないはずなのに、でも全体として印象が似てきません。
似顔絵で、特徴を誇張して誰かを連想させる手法とは異なり、微妙なバランスを通して寄せる女性の人物画は、苦手です。
個々の目鼻立ちを詳細に描き込み、さらに全体像でもバランスを取り直し、何度も齋藤飛鳥さんを見て、その印象がどこにあるのかを探ったのですが、結局はここまでしか分かりませんでした。
やはり、女性を描くのは難しい。
描きやすい正面でも、かなり苦戦しました。
もっと上手くなりたいなぁ。
イラストを描く時、単体だけを描くことも多いはず。
でも、風景的なワンシーンを描くことができると、伝えたい情報がかなり増えます。
右のイラストは、東京03の三人が「開店祝い」というコントを披露しているシーンを描いたもの。
カラフルなテーブルの上に赤色のコンポがあって、それを修理した豊本さんがCDを再生してみたシーンです。
脇には飯塚さんが手を合わせて祈っていて、さらに後方で角田さんも手を合わせているのが見えるでしょう。
東京03のコントはネタとしても深みがあって、映画やドラマ、小説のようなドラマ性もあるのですが、イラストを描く上では、3名の描き分け、それぞれの体格や仕草、さらにその場面の雰囲気などと、テーマや課題できるポイントがあります。
舞台の広さや奥行き感にも言えますが、描いたものの存在感が描けることは重要だと思います。
焦点距離が無限に近い、水平線と空のような構図もアート的な魅力がありますが、日常的なスケール感を表現できると、例えば店舗のインテリアやデザインにも転用できます。
一昔前なら、一般的には二点透視図法を使って機械的に描くこともありますが、より見た目に近い印象を与えられる意味ではイラストでの表現も添えられると意図がより鮮明です。
とは言っても、最近では3dによる再現も簡単ですから、イラストによる画力がどこまで求められているのかは少し疑問も残ります。
ただ、AIによる自動化が進んだとしても、自身である程度描くことができれば、それに越したことはないでしょう。
思えば、見たままを描くことに取り組み、東京03のコントシーンをいくつも描いて来ましたが、その意味ではもうこみちが自主トレとして取り組む必要性は無くなってしまったようにも感じます。
最近、YouTube に掲載する動画も、縦長構図を使っています。
それは、従来の動画ではなく、ショート動画(1分未満)を見越しているからです。
もう少し場面展開などを予定しているなら、従来の画角でいいのですが、ワンシーンだけを描くならショート動画の面白さがあります。
その意味では、面白味のあるアングルで、描いてみたいと思いますし、例えば先日掲載したトマトを乗せた料理みたいに、イラストで描くには骨が折れる場面なども含めて、描くモチーフの幅を広げて行きたいと思います。
今後も細々と、好き勝手に描いて行くとので、良かったら暇な時にでも覗いてみてください。
似顔絵を描いている人なら、長州力さんを描くのってちょっと躊躇いませんか。
目鼻立ちに特徴がある人とは違い、長州力さんの顔立ちは特徴が掴みにくいから。
こみちの描く時の基本は、「(今の画力で)描けるかなぁ?」と思って挑戦すること。
今回のイラストは、長州力さんが神奈月さんとYouTube のコラボで見せてくれた嬉しそうにはしゃぐ表情が描きたくて。
神奈月さんはプロのモノマネ芸人。
長州力さんが「オレ真似できる?」と振ったことで、神奈月さんがそっくりの長州力さんになりきる。
あまりに似過ぎていて、長州力さんのテンションが上がった表情がとても印象的なんです。
「東京03とスタア」という番組で、日向坂46のメンバーと共演されていた角田さんたち。
カフェ店を舞台に繰り広げられるコントで、リストラされた?中高年を角田さんが演じている。
そこにあったワンシーン。
角田さんのアップをピックアップして、気になるシーンを描いた。
YouTube のショート動画としても掲載されているので、よかったら試聴してみてください。
絵を描いていきたいと思いつつ、YouTube での収益化にはチャンネル登録者を集めなければいけない。
なので、よかったらぜひ登録もお願いします。
子どもの頃に見ていた「ガンバの冒険」。
そんな話題が、岡田さんから紹介されたのは、「AIが絵師の仕事を奪っていくのではないか?」と質問を受けたから。
改めて「ガンバの冒険」をYouTube 探すと、運良く1話から3話までが公開されていて、何だか懐かしく、でも大人になって分かるのはとても「深い話」だということ。
それは、「絵」という表現だけの話ではなく、我々が生きる中で「創造するとは何か?」を考えさせてくれるものでした。
さらに、別の動画で最終回の内容を知ったのですが、主人公のガンバが対峙するべきイタチに、真っ向から挑むのではなく、自然の摂理を理解し、味方を募り、時を待って周到な準備をして誘い込むのです。
つまり、AIに人間の我々以上の絵が描けるかどうかが問題ではなく、「生きること」をどう考えて我々が今を生きているのかを問うなら、その方がずっと大切だということでした。
さらに言えば、自分の存在を認めてもらうための「絵」には価値などなく、「絵」は誰かのためになるからこそ意味があるのです。
誰が描いたのか以上に。
つまり、AIが描いてくれるのであれば、我々は「生きること」の意味を考えればいいだけですし、もしもAIが描けずに困っているなら、それを我々が描くことで補えばいいのです。
まさにガンバたちが自然を味方にして強敵を向かい打ったように。
そんな考えに行き着くと、自分の絵を認めて欲しいと焦る必要はありません。
むしろ、もっと噛み砕いて、もっと分かりやすく、誰かの迷いに通ずる何かを伝えられたら、絵を描くことの意味や目的は果たせたことになるでしょう。
どんなに時代が変わっても、しっかりと作り込まれた作品は色褪せることがありません。
それは、「生きること」のかなり近い部分を我々に伝えてくれるからで、そのような作品はどんなに大人になってからでも、新たな発見と生きる勇気を与えてくれます。
なんだか、上手い下手の意識で絵を描くことが恥ずかしく感じました。
メイウェザー選手と言うと、ボクシングで無敗のスーパースター。
彼が若い頃の映像を見た時、とてもクリーンな印象で、好青年という感じがしていました。
ところが現役を引退してからの彼は、少しイメージが変わってしまいました。
それがまた一変したのは、インタビューを受けている時に見せる「素の表情」で、根の優しさが伝わってきました。
そこで、彼の表情を描きたくて、似顔絵を描きてみました。
どうでしょうか。
質問を待つわずかな瞬間に見せてくれたメイウェザー選手の表情が伝わったでしょうか。
イラストを描く楽しさは、「この場面、自分の画力で描けるかなぁ?」と挑むこと。
その意味では、最初は「花」など、手に乗せられる大きさのモノを描くことでしょう。
「りんご」や「レモン」などもおすすめです。
これらも、複数になったり、花なら花瓶に生けられた状態までを含むと難易度も高まります。
それは単純に花瓶の質感との描き分けが必要になるからです。
とは言え、難しいことは抜きにして、先ずは「花」などを使って描く楽しさ、描けた楽しさを感じることでしょう。
始めたらばかりの時は、頭を動かさずに描きたいモノと描くスケッチブックとが同じ視野内で収まる方がいいはずです。
頭を大きく動かすと、それだけ「軸」がずれやすく、上手く描けない原因になるからです。
よくデッサンなどをする人がイーゼルという脚立のようなものに立て掛けて描くのも、より視線を動かさないための工夫です。
初心者向けが手に乗せられるモノだとしたら、中級者は「奥行き」がモノを扱うことでしょう。
こみち自身が現場で描こうとしてなかなか描けなかった景色として、駅のプラットフォームがあります。
自身がホームの端に立ち、自身のサイドと線路を挟んで向かいのホーム、さらに雨除けの屋根などを描く構図には苦労しました。
理由は描く景色が目の前に広がり、どうしても頭を大きく動かして描いてしまいます。
結果として、「遠近法」による描写に寄せてしまいます。
絵としては狂って見えなくできるのですが、それではそこで見た景色や視野をそのまま描くことになりません。
同じことで、車の中を描くことも難しかったです。
やはり人物画、特に女性を描くのは難しいです。
理由として、女性は化粧をしていますが、化粧は「錯覚」を利用しています。
つまり、目鼻の位置をずらして見せるために色味を付けることが「化粧」の目的にもなります。
なので線画で下絵を描く時に、見えた感覚が狂いやすいのも女性を描く難しさの根拠です。
見えたままなら間違えていないのに、何かズレているように感じるという違和感がいつもありました。
そこで意識するようになったのは、「見えたまま」を描くようにしました。
でも、それをするのがとても大変で、どうしても落ち着くポジションがあって、そこに落とし込もうとしてしまいます。
右上のイラストは、初心者にもおすすめのトマトですが、その周りキャベツの千切りを置きました。
キャベツの千切りは、目には見えるのに、それをそのまま描くことが簡単ではありません。
言い換えると正しく描ければ千切りに見えるはずですが、それができないのです。
とは言え、段々と描けるものが増えていくと、描くのが益々楽しくなっていきます。
女性は男性と比較して、肌の透明感が繊細です。
ちょっとしたトーンの違いで、印象が大きく変化してしまうこともあって、苦手意識があります。
唇を尖らせた表情を描くこともあって、さらに難易度も高い構図になっています。
ついつい描き込み過ぎてしまうので、控えめにしつつも、目元をしっかりと描きました。
久しぶりにデッサンをして、ネットで「デッサン」を検索すると、美大受験を目指す人向けの予備校を見つけた。
デッサンとは何か。何から始めるべきで、どんな意識で練習すればいいのかを紹介している。
個人的な印象を言うと、もしもこみちが来年美大受験を考えていて、どこかの予備校を探しているなら、あれこれと説明されるよりも「ウチの講師陣が描くとここまでできる」という指針を示して欲しい。
というのも、理屈や理由は分析や調査の結果に過ぎない。
高いレベルまで到達した人が「〇〇だ」というのと、そこまで到達していない人が「〇〇です」というのは言葉こそ同じでも差している内容や理由が違う。
事前にノウハウやテクニックを漏洩させたく無い事情もあると思うが、「合格者作品」を公開している予備校が親切なくらいだ。というのも、「デッサン」の意味や目的を理解するのはこれから受験に向けて嫌というほど考えることになる。
そして憧れの学校に合格するには、その基準を超えるだけのデッサンでなければいけない。
1点でも不足していたら、10点不足していても同じくらいの扱いだ。
ということは、この先生ならどれくらいの画力で、どこまで惚れ惚れするデッサンが描けて、これから1年かけてその先生に近づける練習や訓練をするのか受験生としても意気込みができる。
ちなみに、右上のイラストは左下のイラストに加筆したもの。
印影を中心に書き加えた。
個人的には右上の方がよく掛けていると思っているが、中には左下の方がよかったと思う人だっているかもしれない。
そもそもどちらもダメだということもあるが…。
つまり、レベルの高い集団に入れば、「なぜ上手いのか?」が分かってくる。
それは頭でというよりも、パッと見て気づくからだ。
合格ライン前後の作品と自分を比べてしまうと、どうしてもストップが掛かってもう一歩が突き抜けられない。
もちろん基本や基礎があってだと思うが、「目標」を見つけることで限られた期間でどれだけ成長できるかが問われる受験期間をより有意義に信頼して過ごせると思う。
デッサンが上手くても、デザイナーなどとして社会で働くとやはり大変なことに変わりはない。
それは「描く」以上に「話す」ことが業務では多いからだ。
クライアント(依頼者)が求める方向性をくみ取り、それを具現化するというのは、予め完成図が見えているデッサンとは作業が全く異なる。
予備校時代の優秀者と実際に学校で頭角を現す人とが違うのも、求められる要件が異なるからだろう。
デザイナーではなく、アーティストという立ち位置なら、自身の創造性に生きることができるけれど、「生きていく」意味では別の何かがないと日々の暮らしもままならない。
だとするなら、「美大用のデッサン」に特化するよりも、生涯を支えてくれるデッサンを目指した方がいいのかもしれない。
今、個人的には石膏デッサンを描くことよりも、例えばその人が持っている雰囲気をいかに表現できるかを目指している。
右のイラスト、東京03の豊本さんを描いたものになるが、彼らしい表情というのはもっと他にある。
つまり「似顔絵」を描くなら、よりその人らしい特徴がある方が描きやすいだろう。
しかしそこで表現できるのはある限られた範囲になってしまう。
実際、人は思いもよらない表情をするし、一瞬で誰か分からないこともある。
でもそれさえも間違いなく本人で、そんな表情を描くことでしか到達できない領域があると思っている。
イラストでの豊本さんは、目の前にいる相手に嫌味なセリフを発している。
決して笑みではないし、悲しさでもない。怒っているのでもなく、嫌味を言っている。
その心理状態を今の画力でどこまで描けるかが課題なのだ。
そう思うと、石膏デッサンというのは原点であって、ゴールではないことが分かる。
手や静物画を練習として描くこともあると思うが、やはり何を描こうとして対象物と見ているのかを考えたい。
例えば「りんご」を描こうとした時に、「赤く丸い果物」というイメージで描く人と、産地や銘柄の違い、生産者のこだわりを知って描く人とでは着眼点が違う。
仕事として「りんご」を描く時も、生産者が手にした時と店頭に並んだ時とでは描く色調から違うだろう。
描くことは楽しいけれど、何をどう描くのかを考えると、もう「画力」以前に目指すべき方向性が無いと続けられないと思う。
同じ受験生同士なら、「優れたデッサン」が認識できたとしても、広く一般に向けて、映像や写真など他の表現方法と比較して「描く」良さを追い求めるのは大変だ。
その意味では「写真そっくり」という完成形を求めたくないし、それならもう写真でいいと認めたようなものだ。
無いのにあるという不思議な体験を伝えることができるのも描くことの良さだと思うから、例えば受験を終えてからても描くことを楽しみ、ライフワークとして活かせて欲しいと思うのは、ずっとこれまでどんな時でも定期的に描き続けてきたこみちが思う感想だ。
「この感じ、描けるかなぁ?」
そう思うと、いつも携帯している小型のスケッチに、思うままに線を引いて、目処がつけば「描けるぞ」、全く歯が立たないと「ダメかぁ」と残念に思ってきた。
スマホでパシャリと撮影すれば済んでしまうのだけど、やっぱり「描けるかなぁ?」という好奇心を持っていたい。
デッサンというと、やっぱり石膏デッサンを思い出す人も多いのではないでしょうか。
右のイラストは下書きですが、雰囲気だけ「ブルータス」を描いてみました。
多くの人がブルータスを苦手とする理由は、「アゴ」の処理ではないかと思います。
「鼻」についても同様で、鼻を見上げるアングルってどう描いていいのか悩みますよね。
まず大きな誤解があるとするなら、「デッサン」と「創造性」は異なる能力ですし、「デザインのセンス」とも違います。
なので、素晴らしい芸術作品を生み出す人でも「デッサン」は苦手という人もいるくらいです。
では「デッサン」って何の目的があるのでしょうか。
それは単純で、「見たまま」を写しとるという訓練です。
下書きとして挙げた「ブルータス」も、まだ実物と比較すればかなり線が狂っています。
どう「狂っているのか?」を比べて、それを直し続ければ、理屈では実物そっくりに描けてしまうとことです。
つまり、自分が描いた「線」がどれだけ間違えているのかが分かれば、正しく修正すれば良いだけです。
音楽で言うと「音程」を取るようなもの。
どれだけ音を外しているのかも意識しないで、歌って(描く)も時間を掛けた割に上手くなりません。
ただ歌い慣れる(描き慣れる)と言うことはあって、音を外していても継続していると好きなテイストの絵ならば上手に絵描けるようにはなります。
そう考えると、「デッサン」は、いろんなテイストの絵を描くための訓練とも言えるでしょうか。
線画にしても、色付きの絵にしても、見た情景を紙に落とし込む作業は、明度や彩度の変化をどこまで詳細に感じ取れるかでその完成度が変わります。
その意味では、見えた「色」が「何色か?」よりも、「どんな成分の色で構成されているのか?」を考えることが大切です。
そのためには、CMYとかRGBという色味の構成を学んだ方が上達も早いはずで、より幅広く絵を理解するには一度でも「美術」の基礎を学んでみると面白いでしょう。
今にして思えば、上手く描こうと意気込み過ぎず、もっと見たままを描けばいいと気づいていたら、絵との関わり方も違っていたと感じます。
ただ、こみちは上手でも下手でも、描くことが好きなのですが…。
東京03の面々を描くことが多く、それぞれの顔立ちに似せることに加えて、表情やそこから連想される感情まで描けたらと思っています。
右のイラストは豊本さんですが、コント中に角田さんに向かって「赤の他人でしょう!?」と冷たく言い放つシーンでも表情を描きました。
真顔でも、角度によっては描くのが難しいと感じる豊本さんですが、このやや下からのアングルも苦手な角度の1つです。
冷めた表情と嫌悪感を滲ませたような表情が混在していて、目鼻口という具合に描くと描ききれないことが分かるでしょう。
また、衣装である割烹着が少し大きめで、豊本さんの両肩から浮いていることで膨らみ、シルエットが曖昧になっているので、身体の厚みや奥行き感を描くことも何気に画力を問われて苦戦しました。
結果的には、こみち自身の評価は★★★☆☆で、60点くらいだと思います。
もう少し表情をしっかりと描けていたら良かったのですが、今の実力ではこの辺りまでが限界でした。
東京03の人気コントは、東京03の公式チャンネルで公開されています。
そんな名作揃いのコントの中から、「東京の両親」というコントを選んで描いてみました。
コントの設定は、東京の食堂で、その店主が角田さん。
豊本さんが女房役を演じ、飯塚さんは常連客として通っていたという設定です。
そんな飯塚さんが夢をあきらめて就職し、久しぶりに店に顔を出したという流れです。
角田さんたちを「東京の両親」だと慕い、これまでの感謝を伝えるシーンもあって、冒頭から人の温もりを感じられる展開でした。
ところが、夫婦喧嘩が角田さんと豊本さんの間で勃発し、その仲裁に入った飯塚さんがいます。
描いたイラストでも、画面の右側に「息子が見ていますから…」と言いながら喧嘩をやめさせようと試みる飯塚さんがいます。
しかし、角田さんの表情を見てもらうと分かりますが、とても不満気で「誰が息子だよ!」と飯塚さんに迫ります。
似顔絵として角田さんっぽく描けたことも嬉しいですが、怒りの表情も加えて描くことができてきたのは進歩だと思います。
ちなみに、こみちが運営しているYouTube チャンネルには、描いていく行程も掲載しているので、時間がある方は是非、閲覧してもらえると嬉しいです。
もっともっと描いていきたいと思っていて、YouTube チャンネルも頑張るつもりなので、良かった「チャンネル登録」お願いします。
東京03の人気コント「その日までに」は、お三方が三兄弟という設定で演じられるストーリーです。
その中で、豊本さんがいきなり熱演する場面があって、その印象的なシーンを描いてみたのが右のイラストです。
「似顔絵」として寄せて描くことに加えて、画面の多くを占めるシャツの「白」い部分は、描き手を試す構図でしょう。
というのも、真っ白では画面全体が淡白になり過ぎますし、マンガチックに線で済ませてしまうと急に漫画のような仕上がりになります。
個々に掲載したイラストは、原画をトリミングしたものですが、さらに付け加えるなら奥行き感や存在感をどこまでしっかり描けるかもポイントです。
今回の仕上がりを自分なりに評価すると、「肩幅」をどこまで意識できているのかを見ることで理解できます。
少なくとも、実際の肩幅よりは狭く見ていて、それだけ「奥行き感」が不足していることになります。
その理由として、右の脇腹辺りの描写が甘いことが挙げられるでしょう。
もう少ししっかりと腕が作り出した影を落とし込むことで、肩先と脇腹との落差が感じられて、それが結果的に画面全体の奥行き感にも繋がるからです。
そのためには、シャツにできたシワを違和感なく描くことが求められます。
まだ、シワの形状ばかりに意識が向いて、身体に回り込んだ印象まで描けていないことも平坦に見えてしまう要因です。
こうやって失敗しながら、段々と思うように描けるようになるので、次回はもう少し意識してみたいと思います。
男性に比べて女性は肌のトーンが微妙に変化するので、描くのが難しいです。
ただ少しコツを感じたので、試しで描けてみました。
前回に比べてもう少し描いてみたので紹介したいと思います。
上のイラストが新たに描きこんだものです。ちなみに、前回のイラストが下側になります。
とは言え、完成したものではないので、耳や髪の毛など、一目見ても手が加えられていない部分も残っています。
ただ、両方のイラストを比較して、肌の艶っぽさや、左側から回り込む光をさらに表現できたと感じます。
最近、鼻先の描き方を覚えたことで、より顔立ちをしっかりと描けるようになったと思います。
雰囲気として見た時に、方向性としていい感じだと思うのですがいかがでしょうか。
今回のイラストはまだYouTube チャンネルにはアップしていませんが、東京03のイラストを中心に掲載しているので、よかったら覗いて見てくださると嬉しいです。
最も新しいイラストが以下のものです。
人物画も顔だけを描く場合とは異なり、全身を含む構図では注意しなければいけないポイントがあります。
また、複数名を同じ構図で描く場合には、さらに各人物の位置関係にも注意しなければいけません。
右のイラストは、東京03のコント「その日までに」のワンシーンですが、飯塚さんに詰め寄られて、慌てて言い訳する角田さんを描いているのですが、ここでも角田さんは少し膝を折って自身を小さく見せることで、「責められている」という印象を大切にしているのが分かるでしょう。
もしも、各人物がしっかりと描けていても、位置関係が損なわれていれば、「似顔絵」としては十分でも、「人物描写」としては意図に合いません。
東京03のコントは、ネタの構成も素晴らしいのですが、各人物の位置関係も実にしっかりと練られていて、描く上でとても勉強になっています。
今回のイラストでは、角田さんの右腕にできた「シワ」、飯塚さんの左腕にできた「シワ」も生地による違いも意識して描いてみました。
顔だけとは異なり、衣類も描くことになるのが全身を含む場合で、身体の重視や姿勢、腕や手の動きなどポイントが増加します。
ただ、顔だけとは異なり、全身を描くことで、背景を活かしたストーリー性を盛り込むことができます。
実はこのイラストも、数枚の中の一枚で、数枚を連続して見ることで、一枚では表現できない「ドラマ性」が伝わると思いました。
いずれにしても、全身を描くことで表現の幅が広がります。
Ado さんの曲はよく聴いています。
彼女の圧倒的な声量に癒されるからです。
そんな中で、「新時代」の曲もすぐに惚れ込んで聴いていました。
ある時、「新時代」を鈴木愛理さんが歌っていたのに驚き、Adoさんとはまた異なる魅力で歌い上げていたには驚きました。
その歌っている姿を見て、「描いてみたい」と思ったものの、苦手な女性のイラストなのでかなり躊躇したのも事実。
ただ、最近、描き方が少し変わって、その方法で挑戦してみたらどこまで描けるだろうかと思いたち、試しに描いてみたのが今回の一枚。
下絵から着色したので、全体のバランスも整っていない段階ものですが、奥行き感女性らしい肌のトーンなど、まだ試行錯誤段階ではありますが、何か化ける感覚があります。
この続きを描くのかは分かりませんが、もしもそうなった時にはまた報告させてください。
絵を描くと言っても、目的や目標は様々だろう。
学生時代、こみちも先生の似顔絵をノートに描いては切れ端を回して、授業を受けているクラスメートたちの邪魔をした。
絵のタッチというのは、筆跡や筆つがいを指す言葉だと思うが、学生時代にこみちが描いたイラストはクラスメートなら誰みが言い当てられるほど、「癖」が強かった。
厳密には、真っ直ぐにつもりで引いた線に、わずかでも描き手の癖が出て、最終的に完成した絵をみると、何となく誰が描いたのか分かってしまう。
イラストレーターという仕事では、そんな癖も個性となってくれる。
しかし、例えば美大のデッサン練習では、主題が「模写」だから、癖のある線でできた余計な印象はむしろ減点の対象だろう。
さてさて、そんな先生の似顔絵書きから始まったこみちの落書きも、もう少し経つと「風景画」のスケッチへと変化して行く。
その頃のテーマは、スケール感や空間の広がりで、大きいもの、小さいものをしっかりとそれらしく描くことを目指してきた。
例えば、一台の車を描けるようになったら、さらにもう一台も描くといいだろう。
駐車場に止まった数台の車をしっかりと描くには、かなり画力がないと難しい。
実際、こみちも向きが変わったり、遠くに止まっている車らしく描くことに随分と苦労した。
それこそ、無意識に遠近法を活かしたり、描き続けることで「車」に対する過度なプレッシャーがなくなたりすることで、段々と全体を意識して描けるようになって来た。
人物画で言うと、同じ画面に複数の人がいた時に、違和感なく描くことに似ている。
さらに言えば、今回描いたイラストのように、人物同士が重なったり、接していたりすると、さらに距離感がしっかり保てないと画面全体として窮屈に感じる空間ができてしまう。
アップしたイラストでは、角田さんの身体に手を伸ばす飯塚さんがポイントで、彼の両肩から伸びた腕が、いかに違和感なく描かれているのかが画力として現れる部分だろう。
角田さんの身体の厚みや、頭の奥行き感なども同様で、この辺りが不正確になる程、画面全体が平坦に見えてしまう。
まだまだこのイラストも完成度が高いとは言えないし、実はかなり描き直したいと思ってしまうほど反省点が多い。
ここからさらに数時間掛けて描きこめば、質感もかなり変化すると思うけれど、その踏ん張りができないまま「もういいかな?」と手を止めてしまう辺りは、「作品作り」よりも「メモしたい気持ち」で描いてしまう癖だろう。
機会があれば、ぜひ、動きのあるシーンを描いてみてはいかがだろうか。
静物画とはまた異なる意識で描けるので、上手く描けても、描けなくても、絵を描くことって楽しいなぁと再確認できるだろう。