バナナを描いてみた!
最近、あまり描くことがなくなった単品のモチーフ。
でも「描く」基本がそこにはある。
料理でいうところの目玉焼きや玉子焼きのようなもので、初心者でも始めやすいものであり、中上級者でもテクニックを発揮させられる奥深さがある。
その昔、こみちは大きなキャンバスに描くことができなかった。
理由は単純で、描く面積が広くなっても、描くための情報を観察して汲み取れないからだ。
例えばこの描いたバナナ。
全体の色は黄色だと思う。
形だってそう複雑ではなく、少しくらい実物と異なっていても、それを気にする人はいないだろう。
その意味では人物画と比べて、初心者にも手を出しやすいモチーフと言える。
一方で、全体を黄色(y100)で塗ればいいのかというとそうではない。
こみちはオレンジ色や緑色、時に水彩画など描くなら紫色や青色まで使うだろう。
また、バナナ一本を見ても、円柱形ではなく、角があって、六角形のような多面体をしている。
光に照らされた時に、エッジとなる部分は他とは異なる特有の反射があって、それはわずかな色味の差となって感じ取ることができる。
もっと言えば、最も中央にある一本とその奥に見える一本の境界線は曖昧だ。
バナナは一本ずつの集合体と思うあまり、一本ずつきちんと描いてしまうと、急にイラストっぽさが増して、リアルさが薄れてしまう。
描く目的によっても描き方が異なるのは当然だが、色味の差が極めて少ないならそこに無駄な線を加えないことも大切だろう。
つまり、球体の描き方を覚えたからと言って、その技法を尊重し過ぎてしまうと、どうしても「絵」っぽくなってしまう。
個人的にはデッサンの段階でもそれを感じていて、最も顕著なのはトレースによる弊害だ。
例えば写真を下絵になぞり書きすると、その下絵は間違いなく撮影された焦点距離で再現されてしまう。
カメラ設定に詳しくない人には伝わらないかもしれないが、肉眼では見えるはずにない構図か否かはカメラ好きな人なら気づくだろう。
そのこと自体がダメという話ではなくて、トレースをして、色情報までコピーしてしまうと、簡単に実物そっくりに描けるけれど、そこに描き手の感性があるのかという問題が起こる。
不思議なもので、描き手のタッチや癖は簡単には築くことができない。
さらに言えば、それこそが描く理由であり、描き手が最も大切にしなければいけないポイントだ。
デッサンが感性に依存するものではなく機械的な技法とするなら、描くことはそのデッサンを基礎とした感性の再現とも言える。
つまり、今回描いたバナナがバナナに見えるか否かではなく、こみちが普段から見ているバナナとは「こんな感じですよ!」ということが見た人に伝わることが重要だ。
だから、「バナナだからと言って黄色一色でいいのか?」ということにこだわりたい。
まだ熟れていないバナナなのか、かなり熟れてきたバナナなのか。
もっと言えば、産地や品種の特徴まで再現したバナナなのか。
初心者向けには、デッサンもそれほど難しくないりんごやバナナなどを使って、描く楽しさを体験してもらうといい。
また中上級者には、貴方にとって「バナナ」がどう見えているのかを再現して欲しい。
そこには、「見たままを描く」という行程を超えて、「生き方」のようなものまで問われて来るだろう。
一方で画力向上の目的なら、ライティングなどに工夫を凝らしても面白い。
今回は割とオーソドックスに描いてみたけれど、やっぱりどう感じた結果の「絵」なのかがポイントで、そこに描く理由があると思う。