苦手な女性を描く

 少し描き加えてここまで来たけれど…

女性を描く難しさはいろいろありますが、例えば「肌」などもその一つです。

男性に比べて、明度差も色相差も少ないので、同じような色味の中で違いをしっかりと描き分けなければいけません。

アニメっぽく、単色でベース色を塗り、ハイライトやローライトをポイントで加えて三段階で表現することも方法です。

しかし、もう少し存在感を表現したいので、色設定を増やして描きたいです。

右上のものは、部分的には三段階もありますが、もう少し色味を増やしていたりします。

まだ空気感がないので、斜めに三人が並んでいるのに、そんな感じには見えません。

個別の描写に加えて、全体としての色味のバランスが整えば、その段階で空気感も生まれると思います。

とは言え、現状ではまだまだペラペラ感しかないので、その辺りがこれからの課題です。

今にも歌い出しそうな雰囲気まで再現できたら、個人的な課題はクリアなのですが。

何を描きたいですか?

 風景画って何だろう?

いつ描いたものか忘れましたが、右に掲載したものは皇居を訪れた時にスケッチしたものです。

この下書きを使って作品を作るというよりも、気になった景色を自由に描くというつもりで描いたものです。

何が言いたいのかというと、最近の悩みとしては「風景画」って何だろうという話なんです。

よくあるのが、「道」や「線路」、「川」などと「空」とを組み合わせた風景を描く際の構図ですが、「描いた意図は何か?」という部分で画力向上の練習課題と作品作りとでは大きな隔たりを感じます。

ちなみに、描いた下書きは櫻田門になりますが、櫻田門がどんな建造物なのかを理解し、そこにどんな思いや意図を乗せて描いたのかがあってこそ作品としての意味もあると思っていて、遠近感の描写練習とは全く制作意図が変わって来ます。

こみち自身、単純に画力を向上させて、いろんな見たものを自身の手で描きたいと思って来た一人ですが、この下書きも練習の範囲であって制作ではありません。

言ってしまえば、右の下書きも着色してどんなにリアルに描けたとしても、「だから何?」という問いに答えられるものではありません。

風景画を見て、どう感想を持てばいいのかと思うのです。

なぜなら、川と空を組み合わせた構図を、日常生活でそんなに見かけるものではありませんし、見かける機会があったとしても、「いいねぇ、この川の流れ」とは思ったりしません。

人物画の場合、それを描く目的は対象となる人物を少しでも自身の腕で描きたいと思い、実際に少しでも描けた部分や感じられる雰囲気があると、それが伝わると嬉しいからです。

しかし、そもそもの前提として、「風景画」をどう描くことがいいのかがこみちには理解できていません。

もちろん、風景画も目の前に見える造形として描くのであれば、人物画同様にこの部分を表現できるだろうかと個別の課題には落とし込めます。

ですが、カメラやスマホで撮影した画像と何が違い、そこにどんな意味を乗せられるのかに悩むのです。

カメラを使っている人なら伝わると思いますが、レンズを通してしまうと肉眼で見る時とは少し異なっています。

その違いがあったとしても、そこにこだわりカメラの撮影を否定する人はいないでしょう。

逆を言えば、撮影は一瞬で終わるのに、数時間を費やして描く意味とは何かの方が悩みます。

風景画というものを否定しているのではありません。

風景画を描きたいけれど、「意味がありますか?」という話なんです。

こみち自身としては画力向上という課題にはできますが、例えば別の誰かが描いた風景画を見て、どんな風に感じるものなんでしょうか。

例えば、水彩画では、一般的なデッサンレベルで対象物をそのまま描いたりはしません。

ある意味で、全体的な雰囲気を描き手の感性で省いたりしながら印象的に絵作りするイメージがあります。

それもまた制作意図ではあるのですが、例えばその時に「木」が既に何の木なのかも分からないレベルで描かれてしまったら、その元の風景はどこまで重要なのでしょうか。

渓流の水しぶきを風景画として見せられて、例えばあまりの迫力で思わず仰反るほど水量に驚くでしょうか。

水の流れる音や風を感じられるでしょうか。

行ったこともない場所に一瞬で移動し、そこに立っているような錯覚をその風景画から感じられるでしょうか。

こみちとしてはそんな風に考えてしまうので、カメラで動画撮影した映像以上に風景画を見て感じる絵作りに自信が持てません。

見たままを描くことは、練習課題にはなりますが、見たままの絵を見て、スケール感や重さまで伝えられるのは簡単ではありません。

しかもそれはカメラ以上となるとかなり難易度が上がり、わざわざ描く意味が現代だからこそ見つけられないのです。

対象物の本質を理解する難しさに直面し、「コレを描こう」と思うのは簡単でも、「描いたもの」に何か意味あるメッセージを乗せるのは簡単ではありません。

今言っているのは、テーブルにリンゴそっくりな鉄の塊が置いてあって、それは本物そっくりに着色もされているけれど、その普通の重さではない感覚をどう絵として描けるのかということに似ています。


今描いているのは…

 久しぶりに女性を描いています!

描いているのは「XG」で、3人の立ち姿になります。

男性とは異なり、ファッションや髪など、女性を描く際に欠かせないポイントがあるので、それをどこまで再現できるかが問われます。

右の段階は下書きをして、個々に色を載せたところですが、ここからの微調整が最も完成に影響を与えるので、注意しなければいけません。

苦手意識があるので、少しでも上達を感じられる手ごたえが得られたら嬉しいのですが。


完成しました!

 描いていた東京03の角田さん!

今回描いていたのは、東京03の舞台でハーモニカを吹く角田さん。

スポットライトに照らされた雰囲気まで表現したくて、挑戦した一枚です。

柄の多い衣装で、しかも大きなシワがあって、それらをどこまで正確に描写するのかも問われた構図ですが、完璧には再現できなかったものの、全体としての雰囲気は上手く伝えられたのではないかと思います。

パッと見て、今にもハーモニカの音色が聞こえそうだったら、大成功なのですが…。

手すりの描写など、結構省いている部分もありますが、そのシーンを見たことで、舞台がさらに印象深いものになれば嬉しいです。


制作途中の一枚

 今回も東京03です!

舞台に立ちハーモニカを奏でている角田さんを描いています。

今回の制作で課題にしているのは、照明に当たっている様をどこまで再現して描けるのかです。

完成までまだまだ修正したい部分がありますが、大まかに色を乗せたところで、ここから細かな修正をします。

今日は少ししっかりと描いて、明日はどこかのタイミングで動画としてアップしたいです。

「理想の線」と「本当の線」と「描いた線」の話

 「線」とは何か?

絵を描く時に、「形」を追って線を引いてしまいます。

例えば、右側載せたイラストは単なる線ですが、見方によっては何か意味あるものにも見えてきます。

トレース(なぞり書き)をしたことがある人なら、境界線を引いているだけなのにそこに作り出された線の集合体が急にリアル情景に見えて驚いたことがあるでしょう。

また、描く人によって現れる「癖」は作風となり、本当の線ではないけれど、それとは異なる意味を持つものへと変化します。


例えば、その下に載せた線の集合体も、「線」と言ってしまえば線でしかありません。

しかし、何か意味や作為を探してみると、自身の経験から呼び出される記憶があります。

ただ、絵を描く上では、明度差を探して線を引こうと思っても、空に浮かぶ「雲」や衣類の「シワ」を描写するのは困難です。

しかも、不慣れなら描きたい線とは異なる線を引き、集合体として確認してもそれは意図したものとは別ものです。

その意味でも、「線」として対象物を観察してもいいのかという疑問に行き着きます。

例えば、最近の話では「線」として描くのは下書きだけで、その後は「面」として考えていることが増えました。


一番下に掲載した男性二人のイラストで、特に右側の人物の顔を「線」として描くのは手間が掛かります。

理論的には「線」でも「面」でも同じ結果ではありますが、描く手間としては「面」として描く方が感覚的に楽に感じます。

今回は「線」という身近なものから、広がって行く創作の世界観を考えてみました。


今回描いた一枚

 今回も東京03の面々

人物画を描こうと思った時に、その人の顔立ちに似せたくなります。

また、全身を描くならプロポーションも同じで、実際と近い方が臨場感も生まれます。

「絵」だから無意識に加工しやすいのですが、理想に近づけて描いてしまうとどれも同じような仕上がりになって、描く意味が失われます。

意外と椅子に腰掛けた人物を証明方向から描けないということはないでしょうか。

股関節から膝頭までの「距離」を意識するあまりに、それを描こうとしてバランスを崩してしまうことがあります。

しかしながら、どんなに長い「棒」も点と点が重なるようなアングルで覗くと、当然ですが距離は感じられなくなるはずです。

つまり、イスに腰掛けた時の太もも部分の長さも短く見えて不思議はありません。

青色のネクタイの人が飯塚さんですが、微笑むように画面の外にいる角田さんを見つめています。

今回描いた理由でもあるのですが、飯塚さんの角田さんに話す時にこのアゴの角度が「あるある」なんです。

特に東京03のコントを見ていない人にすれば、気にもならない表情なのですが、この表情を見て「フリ」なんだと気づきました。

「フリ」というのは、ストーリーを展開させる演出方法で、あえて先に見せることで印象を深めて、展開後に「嗚呼、なるほど!」と伏線が回収されるためのキッカケです。

実際、東京03のこのコントでも、先輩役の角田さんに見せた「この表情」がフリとなって、後に続く展開がより際立っています。

顔だけではなく、両肩の傾き具合や背骨の斜めっている部分も、結果的ではなく、実際にそんな風に飯塚さんは座っていました。

手足の単純な長さやバランスだけではなく、その人物の人柄が表れていたら、そこまで描けるようになりたいです。


今回描いた一枚

 今回描いた一枚

今回もまた東京03の舞台シーンから選んだワンシーンを描きました。

電話で話している角田さんとその相手の黄色いコート姿の後輩との会話に、飯塚さんが少し不満げに見つめている場面です。

実際のシーンではあり得ない構図ですが、舞台ならではの演出で、きっと客席からその関係性がよく伝わったことでしょう。

今回描くにあたり、主人公となる角田さんに一番照明があたり、後輩の方にも光が当たっているのが分かるでしょうか。

一方で、このシーンではサブになる飯塚さんには彼らよりも弱い照明です。

描写の部分では、座面に深く腰掛け、それは先輩らしい風格を表しているのかもしれませんが、角田さんの座り方や両膝頭の突き出し感をしっかりと観察しなければいけません。

また、飯塚さんとの関係では、二人の間にある木製テーブルも存在感を出し過ぎないようにしつつもしっかりと描きたいところです。

後輩の方には、いわゆるマゼンタ色の照明が当たっていて、黄色のコートの衿もとが淡いピンク色に見えます。

さらに最も後ろの濃紺の背景との空気感を含めて、舞台のワンシーンらしさをどこまで描けるのか試してみました。

何か単体を描くというステージ抜けて、今は関係性や全体的な広がりまで描けるようになりたくてそんなシーンを好んで挑戦しています。

今回もまだまだ修正や精度を上げられる課題は残っていますが、概ね描きたい雰囲気にはなっていると思います。

少し見上げるようなアングルが…

 今回も描いたのは東京03です!

ここの所、描きたいのは「雰囲気」です。

例えば東京03がコントで見せる表情や雰囲気を描くこと。

三人それぞれを似顔絵として寄せて描くのも大切ですが、例えば飯塚さんと豊本さんの立ち方が僅かに違っていて、それは性格や役柄が影響しているはずです。

また、自転車に跨ったまま二人に話し掛ける角田さんのどこか愉しげな雰囲気もまた、三人に関係性を表しています。

さらに言えば、舞台の奥行き感や照明による演出なども、かなり実際とは異なるのですが、手を抜いた割に雰囲気は伝わって欲しいという欲張りな気持ちで描きました。

細かく見てしまうと、かなり粗い描写なのですが、三人の温かな雰囲気が感じ取れるような仕上がりになっていたら嬉しいです。

「音」や「匂い」まで描くために考えること

 例えば「木」を描いた時

地面をなる水平線を一本引き、垂直方向に幹を描き、さらに枝葉を加えたとしましょう。

確かピカソだったと記憶していますが、「模写」している内は描き手としてまだまだなんだそうです。

彼曰く「木」という形を習得すると、実際に存在する木々と変わらない描写ができると言います。

つまりそれが意味するのは、りんごでも花でも、人物でも、そこに生きている物としての生命感や躍動感を描き手がどこまでくみ取り、学んだのかということでしょう。

桜の木と松の木、杉や檜の枝ぶりの違いを理解していなければ、正確な描写は不可能ですし、さらに言えば、地域性や気候との関係性を知らないと景色として不自然な配置になってしまいます。

「創造」という描き手の空想も大切ですが、最近何を描けばいいのか悩むことが増えたのも、今の画力でデッサンできるのかという視点ではなく、それをなぜ描くのかという意味で根拠が見つからないからです。

例えば、推しのタレントがいて、その方の似顔絵を描いた時に、他人が誰を描いたのか分かることに意味やモチベーションを感じられません。

それこそ、その風景の音や匂いまで描くような気迫にはならないのです。

「上手く描いたね」という感想を最高点とするなら、目的を持たないままの作画はそこを越えられません。

写真は、レンズの品質を通して、光を受け取り目の前の対象物を再現しています。

感情としてではなく、光学的な扱いとして成立しています。

では我々がそれとは異なるアプローチで、対象物をより深く感じ取ることはできるでしょうか。

レンズでは、音までは再現できません。

音は不可能だとしても、そんな何かを描くことはできるでしょうか。


やはり「女性」を描くのは難しいという話

「描くこと」で気をつけていることは

絵を描く時に心掛けていることは、「見たままを描く」こと。

なのでモチーフを見る時も、下書き段階では水平や垂直に対してどれだけの角度で傾けているのかを見抜くこと。

さらに着色段階では、明度や色相、彩度をRGBに置き換えて、ピンポイントで色味を観察します。

しかしながら、人間の眼は錯覚を起こしやすく、例えば水平も垂直も簡単に間違えてしまいます。

よくあるミスが目の前に広がる景色を全て描こうと思ってしまうような構図になった時。

カメラでいう超広角レンズでやっと撮影できるような構図は、少なくともこみちには追い切れません。

安全なのは、角度では60度くらいまでで、真っ直ぐにモチーフを見て全てが視界に収まる構図であること。

しかし、そのような構図で屋外スケッチする時に困るのが、視力の悪さから来る観察不足問題です。

「化粧」という錯覚

悪い意味ではなく、化粧をすると顔の骨格さえ見誤ります。

顔の縦横の比率は、髪型でも惑わされますが、意図的に施された顔表面の色味の変化で、凹凸や丸みを間違えます。

上から辿った線と下から起こした線が、想定される位置で交わらず、別の位置どりから再確認しても、さらに交点となるポイントが僅かに合いません。

それは、化粧によって錯覚するからで、丸顔だと思い込んでいたら、面長だったというようなことが女性を描く時に起こります。

また男性と比較して、女性のファッションは骨格を感じさせたりさせなかったりと上手く誤魔化されので、シルエットを追う時でも身長やサイズ感の点で男性とは異なる難しさがあります。

また、男性に比べて、女性の顔はトップライトの色味から比較的暗い部分までの変化が緩やかで、色調の変化がとても繊細です。

その辺りも含めて、画力の乏しいこみち実力ではまだまだ「女性」をしっかりと描くことができません。

ただ最近は東京03の面々を積極的に描いていますが、合間を見て「女性」を描くことにも取り組んでみたいと思っています。

そのためには、苦手な「化粧」以外に、「髪」の描写も不可欠なので、課題がかなり増えます。

ボチボチとマイペースで、今後も取り組めたらと思うので、また描いた際には報告させてもらえたら嬉しいです。

東京03人気コント『バンドマン』より 気になるワンシーンを描いてみた!

今回は革ジャンを描いてみました!

描く時は、何らかのテーマを見つけて、それを達成できるようにモチベーションを上げています。

例えば、今回取り組んだ東京03の人気コント『バンドマン』より、飯塚さんと角田さんのお二人を描かせて頂いたのですが、「似顔絵」という表向きの課題とは別に、「革ジャン」を描くことにも取り組みました。

同じ衣類でも、表面がツルツルした革ジャンは、光を反射しやすく、シワの尖った部分が線となって光って見えます。

つまり、革ジャンを革っぽく描写するには「シワの描写」が必須で、適当にそれっぽく描くことも不可能ではありませんが、正面からしっかりと描こうとするとデッサン力が試される課題です。

また、同じ革ジャンを羽織った二人ですが、より高級感のあるのが右側に立つ飯塚さんのもので、革特有の光具合が少し穏やかでツヤツヤとした革の光沢感が感じられます。

一方で角田さんが羽織る革ジャンは革が硬く、体のシルエットに少し合っていない雰囲気も特徴です。

骨格を想像し、そこに衣類を重ねるように描くことで、衣類の持つ厚みまで描くことができると思います。

この辺りの描写力はまだまだ試行錯誤が必要ですが、描くという意味で、何をどこまで表現するのかの範囲を広げられるような課題は描いていて楽しいと感じます。


「絵」に何を求めていますか?

現代において「描く」意味はどこにあるのか?

「絵」を描く目的や意味を考えると、「スマホ」の存在を意識してしまう。

「スマホ」には「カメラ機能」が付いていて、しかも圧倒的にキレイが映像も画像も手軽に撮影できてしまう。

そんな時代において、アナログ、デジタルを問わず、「手書き」する必要性はどこにあるのだろうか。

例えば「トーレス」や「グリッド法」を用いれば、手書きでもかなり画像に寄せて描くことができる。

しかし、日頃からカメラレンズの焦点距離による違いを知っている方であれば、肉眼でみたモチーフを描いたものか、カメラで撮影した画像を使っているのか、「焦点距離の見え方の違い」からでも識別できるだろう。

だから何?ということではない。

むしろ、スマホであれだけ簡単に、しかも正確で美しく撮影できてしまうのに、長い時間と手間ひま掛ける意味はどこにあるのかということ。

この文章を書いている時、たまたまNHKの日曜日美術館がテレビに映っていて、その内容を片耳で聞いていると子どもたちや美術にあまり関心がない人でも分かりやすく、楽しめる作品があることを紹介していました。

絵を描く目的は、上手いことではなく、それを見ている時間に何か心が動いてくれたかということ。

「ヘェ〜」でも「何だろう?」でもよくて、一瞬でもその作品を見て心が反応してくれたらそれで十分なのでしょう。

見られることもなければ、心が動くこともありませんから。


東京03角田晃広さんを描いてみる!

 立体的に描いて行くために…

絵を描く時に感じる分岐点があるとするなら、平面の「紙」に平面の「絵」を描く段階から、「紙」に奥行きを感じて「立体」として描こうとする意識が芽生えた時だろう。

そのためには、トレースして描くことをやめて、しっかりとデッサンを基本から学ぶことだ。

デッサンも毎日描き続ければ、才能のある人なら一年でも相当に上手くなるだろうし、こみちのような凡人でもどうにかここまでくらいなら描けるようになった。

デッサンの重要性は単に正確に描けることだけではなく、例えば右の絵で分かるように、角田さんが座っている周辺に置かれた物の大きさや距離感まで描けるようになることだろう。

空気感というような表現をすることがあるけれど、対象物を正確に描くだけではなく、それがどんな環境の中にあるのかまで再現するには「基礎力」が欠かせない。

個人的には、対象物の形はもとより、重さやサイズ感まで伝えられる表現力はぜひ手に入れたい部分だと思うし、それができるようになるには「描くこと」を改めて見直す必要がある。

まだまだ表現できない場面もあるけれど、少しずつ表現できるシーンが増えて行くのは嬉しい。

今後の課題

角田さんについても、照明の照り返しなどいくつか表現力を欠いている部分がある。

ある意味ではこれをベースに、全体とのバランスを整える行程があると表現力はさらに向上させられるだろう。

また、右側の植物もかなり手を抜いているので、そこの描き込みができると深みが増しそうだ。


東京03 角田晃広さんをいろいろと描いてみました!

 複数枚を描くことで

以前、漫画家さんが同じ登場人物をいとも簡単に描いているのが凄いと思っていました。

今回、東京03人気コント『ピザ』の中で、個人的に特に気になった表情を3つ選んで描いてみました。

表情としては、突っ込み、無表情、思惑と角田晃広さんの変化を描けてみることにしました。

人物画というと、どうしても真正面のすまし顔を選んでしまうのですが、こみちとしてはいろんな角度から、「表情」を描きたくなります。

個人的な満足度はまだまだですが、例えば一番左側の一枚は、東京03のメンバー飯塚さんに向かって「ちょっと待った!」と声を掛けた場面です。

真っ直ぐに向いて発する言葉ではなく、少しアゴを上げ顔を傾けている辺りがさらにポイ感じを印象づけます。

顔を描く時に、中心軸が斜めにズレていると、どうしても描写がブレてしまいます。

今回は苦手な角度ではありましたが、この角度をあえて描いてみたいと思って挑戦しました。

描ける角度を増やしながら、苦手な描写にも手を出して、段々と画力を高めていきたいです。

マルゲリータを描いてみた!

 マルゲリータを描いてみた!

今回は、ピザのマルゲリータを描いてみました。

イラストとして描く場合、花や草木は、大まかなバランスが破綻していなければ、それっぽく見えるので、初心者向けにも適したモチーフと言われます。

同様にピザも、少しくらい違って描いたとしても、それだけで全く異なるものになってしまうことはないので、割と取りかかりやすいのではないでしょうか。

主に、黄色からオレンジ、茶色、赤色くらいまでの色相が多く、丸い円形のピザ生地に熱せられたチーズをどこまで再現できるのかが課題です。

チーズを黄色やオレンジ色の一色で塗ってしまうと、急にウソっぽくなるので、光に反射し白く光っている部分や、光がチーズの内部まで照らし、時に淡い緑色に見えたりする部分までを丁寧に観察することが大切だと感じました。

また、リアリティを出す方法として、ピザ生地の厚みや外側の焦げ具合、また木製の皿との接する部分などもよく観察することでしょう。

個人的には、このピザのイラストの完成度は70点くらいだと思っていて、「ピザに見える」と思ってくれたら嬉しいです。

原画と比較すると、位置や色味が異なる部分はまだたくさんあるのですが、デッサンとして描いているのではないし、作品として「ピザ」を表現したかったということでもありません。

「マルゲリータ」というピザがあることに意味があって、そのイメージとして使いたくて手がけたものです。

とは言え、チーズのとろみ感をどこまで雰囲気として描けるのかも気になっていたので、現段階の画力ではこんなレベルだったという基準ができました。

また機会があれば、食品なども描いてみたいと思います。

何を描いていいのか分からないので

 とりあえず描いてみる

描いたのは、目の前にあったクリップ。

実はコレ、こみちにとっての原点でもあります。

というのも、こみちにとって「描く」とは、文字を使わない「伝達方法」という位置付けなので、例えば右のクリップを見て大きさとか、色味とか、見たことで何となく伝わる情報があるはずです。

つまり、「上手い絵」とは、その伝えたい情報を適切にコントロールできているもの。

決して「写真そっくり」という基準ではありません。

このクリップは金属製で、緑色の塗装が施されています。

もしもこれが木製で、木を切り出して作ったクリップだったら、描いた時にその違いまで表現することができるでしょうか。

つまり、こみちが思う画力とは、そのわずかな違いを描き分けられる観察力と描画力の高さです。

例えば、画力のある人だと思える基準は、硬くくっきりした物ではなく、雲のように見えているけれどその曖昧さが観察力や描画力がないと再現できない場合です。

光の反射や透け感なども、繊細な描写を必要とするので、それがしっかりと表現できると高いスキルの持ち主だと思います。

一方で、形のはっきりしたものでも、スケール感の描写ができるとそれは評価するポイントになるでしょう。

何も比べるのもが横にないのに、一見してその大きさや重さが感覚的に伝わるようなものです。

石膏のデッサンなどでも、そのものの描写ではなく、周囲に伝わる空気感や空間を再現できていると上手いなぁと感じます。

というのも、モノの形や色は、周囲の影響があってできるので、その描写がないものは情報量の面で損をしています。

つまり、りんごを描いた時に、何となくハイライトを描き加えてしまう癖がつくと、描いたものからリアリティが減って、どこか平凡なものになってしまいます。

どこにでもあるりんごではなく、ここにあったりんごを描くために、何が必要なのか考えて描きたいからです。

みなさんは、どんなことを考えて描いているでしょうか。

自己満足な世界だとしても、あまりに適当過ぎると描いても楽しく感じないのは、描く楽しみがモノとのコミュニケーションにあるからかもしれません。


バイきんぐ「小峠さん」を描いてみた!

 約3年前にも描いた小峠さん

小峠さんの似顔絵は、実際に描いてみると気づくのですが、「線」で描くだけではなかなか似せられません。

そこで、「面」として形を追う必要があるのですが、それでも思うようには描けなくてかなり苦戦しました。

結局、描けたのは右のような一枚ですが、見ていただくと気づきますが、やっぱり小峠さんっぽさが引き出せていません。

ただ、描くことは楽しいことで、上手く描けないこともいい経験になります。

実際、3年前にも描いたのですが、その時と比べて基本は変わっていませんが、最近取り組んでいるシワの描写などにももう少し上手くなりたいです。


東京03因をさがしてより

 豊本さんを描いてみた!

今回はテントの中に隠れようとするシーンを描いてみました。

豊本さんを描くのはもちろんですが、テントの質感なども再現したくて挑戦しました。

またここから加筆する予定ですが、さらにどこまで質を上げることができるでしょうか。

修正や調整したい箇所もまだまだあるので、どこまで丁寧に向き合えるのか。

いつもここからが焦ってしまうので、一歩進めるように作業します。

「絵を描いて生きて行く」ためには…という話

 「絵を描いて生きて行く」のは難しい!?

絵を描くことが好きな人なら、絵を描いて生きて行きたいと思ったことがあるだろう。

こみちもそんな風に思っている。

思いつくのは、デザイナーやイラストレーターなどの職種で、「絵描き」という職業は「芸術家」色が強くて生業にするには難しいと思う。

なぜなのかと言えば、「描いた価値」が簡単に評価されないから。

好きな絵描きさんの個展を見に行ったことがあるけれど、人気のあるその人でさえ、入場料や即売会の販売収益で生きて行くのは大変だと思った。

実際、その絵描きさんは都内で週に何度か絵画教室の講師をされていて、でもそれだって誰にでもできることではない。

今の時代なら、例えばyoutube を上手く活用するという手段もあるけれど、「絵を描いて生きて行きたい」人の中で限られた人だけができることだろう。

一昔前前なら、「絵を描いて生きて行く」なら、デザイナーやイラストレーターの方がずっと裾野は広かった。

デザイナーと言っても、担う仕事は幅広いからだ。

それに、特別な経歴や資格などは必要ないし、タイミングよくどこかのデザイン事務所に入れれば素人からでも「プロ」になれてしまう。

とは言え、現実的にはデザイン事務所に入ることも簡単ではなく、自身の世界観を示す意味でも作品を作る必要があるだろう。

自動車の運転がほぼマニュアル車からオートマ車に移行したように、例えばデッサンができなくても、写真と見分けのつかない絵を作ることができてしまう。

特に最近はAIで絵を描くことができる時代になり、「描く」というスキルで評価がされることが段々と難しくなるだろう。

その点を理解して、「何をどれくらいの質で描けばいいのか?」と改めて考えた時に、正直、今は何を描けば評価されるのかこみちには分からない。

例えば、「似顔絵を描く」ということも、スマホで顔写真を一枚撮れば、写真そっくりなタッチからイラストチックまで、圧倒的な速さで描いてくれるだろう。

つまり、「写真を撮る」ことができれば、その後の作業はもう描いた経験など必要なくなる時代なのだ。

絵を描く人なら経験あると思うけれど、例えば洋服のシワをある程度正確に描くのは中級者くらいでないと思うように描けない。

なぜなら、基礎的なデッサンができないと複数のシワが組み合わさった時にどうしても不自然になってしまうからだ。

とは言え「描くスキル」そのものは難易度が高い技術だとしても、すでにAIはそれを再現するレベルにあって、今さらイラストレーターやデザイナーがどれだけの描写力を持っているのか気になるだろうか。

デザイン事務所のオーナー目線で考えたら、それこそイラストレーターやデザイナーを雇うよりも、プログラマーを雇いAIで画像を作るスキルを求めるだろう。

つまり、「なぜ描くのか?」という部分が重要で、そこに尽きるのかもしれない。



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