東京03のイラストを描いてみました!
この風景を描いてみようと思うモチベが見つからず、なかなかイラストを描くチャンスがなかったのですが、東京03の「心理テクニック」で見た角田さんの表情に触発されました。
精密な描写というよりも、雰囲気が伝わったら嬉しいなというライトなタッチですが、描いてみるとやっぱり楽しい作業です。
この風景を描いてみようと思うモチベが見つからず、なかなかイラストを描くチャンスがなかったのですが、東京03の「心理テクニック」で見た角田さんの表情に触発されました。
精密な描写というよりも、雰囲気が伝わったら嬉しいなというライトなタッチですが、描いてみるとやっぱり楽しい作業です。
みなさんは、子ども頃足が速かったですか?
こみちは平均くらい。
でも、走る時は全力ですが、何をどう意識していたのかはよく分かっていませんでした。
健康維持と向上で始めたジョギングで、最初は息が切れてまともに走れませんでした。
それが段々と繰り返し内に走るようになって、その内に「走るって何?」という疑問に行き着きます。
ここではランニングのうんちくは控えますが、youtube で「為末大学」を観るようになって、段々と「走る」ということがどういう動作なのか理解できるようになりました。
腿上げをするというようなことよりももっと基本の、足の動きや腕の動きなど、「陸上競技」とは何をどう競い合うことなのかが分かります。
タイムは全く別だとしても、何をどうしようとしているのかを知ることで、走ることが分かって来て、さらにランニングが楽しくなります。
そんなキッカケを作ってくれた「為末大」さんを描いてみました。
ランニングを趣味として始めて、日々のタイム計測が日課になって、「キロ〇〇分」というランニングペースを示すことを当たり前に使うことが増えた。
そんなこともあって、キロ3分台や2分台のスピードで疾走する陸上選手のパフォーマンス力に感心させられる。
そして、不破聖衣来選手が注目されていることを知った。
駅伝大会で、ごぼう抜きしたり、区間新記録を量産したりと、どこからあんなパワー溢れる走りができるのかと思ってしまいます。
どんな選手なのかまだよく知らないという方は、youtube にもたくさん不破選手の走りが見られる動画が見つかると思うので、ぜひご覧ください。
似顔絵を描く時に、パッと見て特徴がある人は割と描きやすいはず。
逆に、美人とか、淡白な顔立ちになると、その微妙なバランスが大切になる。
富田鈴花さんを描く時も、昔であれば描こうとは思わなかった。
理由はシンプルで難しいから。
でも今回、あえて選んだのは、今の画力でどこまで印象を伝えられるのか試してみたかったから。
描いていると段々と感覚がマヒして、どれくらい似ているのか分からなくなる。
これを見て、「分かる!」と言ってもらえたら嬉しいし、「誰?」となったらまだまだだ画力を磨かなければいけない。
女性の似顔絵は、ちょっとしたアングルの違いでもイメージが変わってしまうことがある。
しかも、イメージ化したイラストではなく、割と見本に寄せて描くので違和感を感じていると最後まで似せられないで失敗する。
今回はそんな失敗があってからのリベンジ。
五百城茉央さんの表情には特有の雰囲気があって、その印象をどこまで伝えられたかがポイントになっている。
手応えとしては、こみちの画力ではよく描けたと思っているが、やっぱり他人に伝わるかで決まる。
みなさんはどう思っただろうか。
youtubeでも制作シーンを公開しているので、よかったらそちらも覗いてもらえると嬉しい。
最近、あまり描くことがなくなった単品のモチーフ。
でも「描く」基本がそこにはある。
料理でいうところの目玉焼きや玉子焼きのようなもので、初心者でも始めやすいものであり、中上級者でもテクニックを発揮させられる奥深さがある。
その昔、こみちは大きなキャンバスに描くことができなかった。
理由は単純で、描く面積が広くなっても、描くための情報を観察して汲み取れないからだ。
例えばこの描いたバナナ。
全体の色は黄色だと思う。
形だってそう複雑ではなく、少しくらい実物と異なっていても、それを気にする人はいないだろう。
その意味では人物画と比べて、初心者にも手を出しやすいモチーフと言える。
一方で、全体を黄色(y100)で塗ればいいのかというとそうではない。
こみちはオレンジ色や緑色、時に水彩画など描くなら紫色や青色まで使うだろう。
また、バナナ一本を見ても、円柱形ではなく、角があって、六角形のような多面体をしている。
光に照らされた時に、エッジとなる部分は他とは異なる特有の反射があって、それはわずかな色味の差となって感じ取ることができる。
もっと言えば、最も中央にある一本とその奥に見える一本の境界線は曖昧だ。
バナナは一本ずつの集合体と思うあまり、一本ずつきちんと描いてしまうと、急にイラストっぽさが増して、リアルさが薄れてしまう。
描く目的によっても描き方が異なるのは当然だが、色味の差が極めて少ないならそこに無駄な線を加えないことも大切だろう。
つまり、球体の描き方を覚えたからと言って、その技法を尊重し過ぎてしまうと、どうしても「絵」っぽくなってしまう。
個人的にはデッサンの段階でもそれを感じていて、最も顕著なのはトレースによる弊害だ。
例えば写真を下絵になぞり書きすると、その下絵は間違いなく撮影された焦点距離で再現されてしまう。
カメラ設定に詳しくない人には伝わらないかもしれないが、肉眼では見えるはずにない構図か否かはカメラ好きな人なら気づくだろう。
そのこと自体がダメという話ではなくて、トレースをして、色情報までコピーしてしまうと、簡単に実物そっくりに描けるけれど、そこに描き手の感性があるのかという問題が起こる。
不思議なもので、描き手のタッチや癖は簡単には築くことができない。
さらに言えば、それこそが描く理由であり、描き手が最も大切にしなければいけないポイントだ。
デッサンが感性に依存するものではなく機械的な技法とするなら、描くことはそのデッサンを基礎とした感性の再現とも言える。
つまり、今回描いたバナナがバナナに見えるか否かではなく、こみちが普段から見ているバナナとは「こんな感じですよ!」ということが見た人に伝わることが重要だ。
だから、「バナナだからと言って黄色一色でいいのか?」ということにこだわりたい。
まだ熟れていないバナナなのか、かなり熟れてきたバナナなのか。
もっと言えば、産地や品種の特徴まで再現したバナナなのか。
初心者向けには、デッサンもそれほど難しくないりんごやバナナなどを使って、描く楽しさを体験してもらうといい。
また中上級者には、貴方にとって「バナナ」がどう見えているのかを再現して欲しい。
そこには、「見たままを描く」という行程を超えて、「生き方」のようなものまで問われて来るだろう。
一方で画力向上の目的なら、ライティングなどに工夫を凝らしても面白い。
今回は割とオーソドックスに描いてみたけれど、やっぱりどう感じた結果の「絵」なのかがポイントで、そこに描く理由があると思う。
前回のキャラメルコーンに続いて、今回はビーノを描いてみた。
ある意味でパッケージの描写は、そのままデッサン力だと思うので、描く力をアップさせたいならおすすめのモチーフと言えるだろう。
ただ、前回よりも今回の難易度は高くなって、こみちの実力ではかなり苦戦した。
描く上でポイントとしているのは、まず描いているものを見た人にどれだけ伝えられるのかだと思う。
その点では、まずビーノのパッケージを描いていることだろう。
さらに言えば大きさや重さ、袋の存在感など、「これを買って来て!」と絵を見せて選んでもらえるだけの描写になっていたい。
その意味では個人的に視覚で伝えるメモとしては満足できる仕上がりになった。
しかし、中央部のイメージ写真として使われるお菓子の描写など、まだまだ画力として不十分な部分も多い。
正直なところ、今回のイラストはかなり苦戦した。
目で見てそれを絵に落とし込みたいと思って、そうなるように描くという作業の中で、直したい箇所があまりに多過ぎて、完成の目処が立たなくなってしまった。
多分、納得できるまで描こうとしたら、あと一週間は費やすことになるだろう。
それくらい、全体的に緑系の色味しかないパッケージを描くのは難しく感じた。
色の幅が限られているだけに、わずかな色味の違いも見逃せないから、形だけでなく色味を合わせるのが容易ではなかった。
これは女性の肌を描くのが難しいことにも通じるけれど、肌の色をハイライトで逃げてしまうと、どうしてもリアルさが伝わらないのと同じで、同系色しか無いパッケージを描く時もその繊細さをどう感じ取れるかで仕上がりが格段に変わってしまう。
スイカとトマトを描く時の難易度の違い
例えば、スイカを描く時に、全体を緑で塗り、柄となる黒を加えたら、それっぽい雰囲気になるだろう。
しかし、トマトを描く時に、ボテっとしたフォルムではなく、プチトマトのような形だとトマトとしての特徴が薄れてしまう。
色づけによってはリンゴやイチゴのような別の物にも見えてしまうし、大きさや重さまで伝える画力を目指そうとすると、一気に難易度が上がる。
大きさを比較できるような別の物と組み合わせたり、水滴を付けるなどして表面の艶っぽさを表現しやすくしたりすることも必要になる。
さらに言えば、トマトはいわゆるREDではなく、イエローが含まれているし、反対色の青系や紫系をどこまで使うのかもポイントだ。
いずれにしても、本気で描こうとすればするほど、単純な形状ほど難易度は高い。
もちろん、スイカだって本気で描こうと思ったら、やっぱり難しいことに変わりない。
描く時にその存在感を損なうことなく伝える難しさに気づくと、描く奥深さを楽しめるし、まだまだ画力が足りないと凹む。
今回は良い機会になった。
キャラメルコーンを描いてみた!
パッケージに光沢があって、光にキラキラと反射するキャラメルコーンの袋を描いてみる。
形ばかりを追うのではなく、キャラメルコーンの袋の重量感や表面にできた折り目など、描く題材としても勉強になるモチーフ。
パッケージに描かれたロゴなども多く、途中で少し中だるみをしてしまったけれど、どうにか最後まで描くことができた。
奥行き感なども含めて伝わっていたら嬉しい。
先生の作品を見て、脳が勝手に写真だと認識し、遅れて手描きだったと驚いた記憶があります。
今回、その時に見た作品の一部を模写させていただいたのですが、自分の絵がどう下手なのかを知る経験にもなって、とても勉強することができました。
掲載したイラストは、髪の毛部分があまり描けれていませんが、再度描いた別の一枚では前髪にテーマを求めて再度挑戦したりもしています。
やっぱり、描くことは楽しくて、それは自身の目に触れた光景を自身の手で描き残せるからだと思います。
今はスマホで簡単に撮影できてしまいますが、満足感という意味ではそのシーンを描き取るぞという想いとそれが自分なりに達成できた喜びが魅力です。
イメージしている表情だったので、それをどこまで再現できるかと挑戦してみました。
人物画は、やっぱり難しく、特にその人特有の表情を再現するのはさらに難易度も上がります。
でも、絵を描くならそこまで到達したいと思っていて頑張るのですが、なかなか成果が現れません。
さて、今回はどこまで描くことができたでしょうか。
「markers」の所で完全に迷子になってしまいました。
youtube 上にある関連動画を見ていると、口の動きを再現する時に使っている感じですが、日本語でいう母音ごとに指定するための作業なのか、単に口をパクパクさせる動画なのかさえ分かっていません。
最も課題なのは、ライブラリーに登録した時に、なぜかフレーム1の部分だけしかmarkersに出て来ないこと。
分かってしまえば、なんて事ない話だと思いつつも、そもそも何のためにしていることかも理解できないまま、動画と睨めっこしながら、手順を再現しているのですが。
いろんな方の動画を見比べながら、何度も巻き戻したり、スロー再生したりしていますが、核心が分かりません。
もう少し時間が掛かりそうです。
toonsquid めちゃくちゃ難しいじゃん!!
追記
その後も何度かやり直していたら、分かりました!
ポイントは、Libraryに登録する時に、登録したいフレーム(ずっと1フレームしか選んでいませんでした)すべてを選んだ状態にしてから行う必要がありました。
すると上手くできなかった「markers」も見本通りになって、後から呼び出して簡単に修正できます。
いやぁ、理解が悪くて大変です。
でも、また少し理解できたので、次の課題に進むことにします。
立ち姿って、顔ばかり大きくなって全体のバランスが崩れたりしませんか。
こみちの苦手意識があって、今回もちょっとドキドキしながら描き出しました。
顔だけの時と違い、サイズ感とかも気になったりで、やはり難しかったです。
正面右からの日差しもあったりで、よく言えば空気感も盛り込めたら良かったのですが。
立ち姿の場合、立っている感じがないと急に変になってしまうのですが、今回の感じはどうでしょうか。
以前から、アニメーションを作りたいと思っていた。
でもそれは100%イラストで作るというものではなく、例えば実写映像のテロップや演出として活かせるアニメーションも含まれる。
そこで、ipadでも使えるアプリで、何がいいのかなぁと思っていた時に、「toonsquid 」に出会った。
残念ながら日本語版がなく、英語版のみなのが気になるけれど、キーフレーム機能が使えるという一点だけで、とりあえず使ってみることにした。
使い方は、youtube の動画を探して、チュートリアル的なものから見始めた。
まだ全部は見ていなくて、ワークスペースを開いた時にあるボタンの説明や使い方を一つずつ調べている段階だ。
2時間くらい連続して使ったから、久しぶりに頭が疲労している感覚で、なんだか少し心地よい。
まだ初めての作品を公開できるまでは時間が掛かるかもしれませんが、イラスト制作に加えて表現の幅を広げられたらと思っている。
新しいものに触れる体験は、やっぱり楽しいものです。
似顔絵やコントの場面の描写など、描くことを中心に制作活動を続けて来ました。
もう数年前からですが、細々とyoutube チャンネルも運営していて、主にイラストの制作過程を紹介する動画をアップしていました。
しかし、作品というよりも、描いたイラストがどんな風に作られたのかを見せるだけの簡単なものばかりだったので、少しアニメーションも作ってみたいと思っています。
動画製作というと、flashを思い出します。
確かもうそのソフトは廃盤になったと思いますが、確かに最近は聞きませんよね。
その頃に、簡単なアニメーションを作ったことはありましたが、今回の『Toonsquid』はどんな風に使うアプリなのか、現時点では何も分かっていません。
これから少しずつyoutube にあがっているいろんな解説動画を見て、使い方を覚えて行こうと思います。
また、何かサンプルができたら、紹介したいです。
最近、似せようとはしていない。
見えるまま、描いている。
しっかりと照明が当てられたワンシーンではなく、動画内で見つけたかなり明暗の強い一枚。
見えるものを見えるままに描くことよりも、濃い影となってほとんど識別できないような濃淡の強い被写体は、デッサン力が如実に現れる。
右のイラストでも、本来なら左頬はもっと暗く、右頬はハイトーンで明るい。
目鼻口のバランスを整えることが人物像では必須だけど、さらに濃淡をどこまで再現できるのかで、イラストはより実写に近づいて行く。
その意味では、今回のイラストはまだまだ忠実さが不足していて、しっかりと影を落とした部分に躊躇いがある。
一方で、正面画に近いこの構図は、人物画ではよくあるもので、比較的描きやすいだろう。
しかし、だからこそ、頬や唇の奥行き感を忠実に再現していないと、平面で奥行きのないイラストになってしまう。
もしも、バックに少しでも明るい照明を描いていたら、もっと作品としての印象が変わったかもしれない。
いつかはしっかりと描けるようになりたい構図なだけに、もう一歩という感じの中途半端な仕上がりになってしまった。
神宮球場で、乃木坂46の賀喜遥香さんが始球式の大役を見事に果たしました。
笑顔でマウンドから降りて来たシーンを描いてみました。
ヤクルトスワローズの人気者、つば九郎と対面し、ちょうどグータッチに応じようとしているところです。
youtube にも制作シーンをアップしたので、興味があればそちらも覗いてくれたら嬉しいです。
とても多くの方々から支持されている人で、こみち自身もその方のテクニックに感心させられていました。
しかし、ある時に気付いたことですが、ちょっとした違和感を持ちました。
それがモチーフ(描こうとしている対象物)のイメージを追っていないように見えたこと。
つまり、大きなものを大きいように描くとか、小さく見失ってしまいそうなものをそう感じるように描こうとするのは、絵を描く人なら誰でも意識しているとこみちは思い込んでいました。
最初は、どうしても形を追うことに夢中で、大きさや重さ、色味に対して二の次になってしまうことがあります。
しかし、段々と描き慣れてくると、なぜ描きたいのか?という部分に疑問を持ち、その答えとしてモチーフの存在感を強く意識するようになるはずです。
もちろん、意識してもそれが完璧にできるとは限りません。
また一流である人ほど、繊細でわずかな違いまでも再現してしまうでしょう。
「これくらいでいいだろう」と思って、紹介されたなら分かります。
こみちも自身としてはまだ納得できていない時に、時間的な制約もあって無理無理に完成させた経験があるからです。
とは言え、こみちの場合、今回はここだけは手を抜かないぞと決めた部分があって、そこに関しては手応えを感じるまでは頑張っています。
本当に作品として評価されるなら、隅々まで意識させなければいけないとは思いますが…。
それにしても、その絵を見た時に、「ん?」となりました。
というか、本当に本人が描いたのだろうかとさえ疑いました。
それほど、描いた絵に感じ取るものがなかったからです。
位置関係のズレも大きく、バランスも悪いし、事実全く別物にしか見えないくらい違っています。
それで何を描こうとしたのかと思ってしまいました。
こみち自身も日頃からハガキサイズくらいのスケッチブックを持ち歩き、鉛筆で5分くらいの走り書きのような絵を描くます。
バランスを取るというよりは、雰囲気を描き取ることが目的です。
でも、自身ではその絵を見て、雰囲気を思い出せたりするのは、ポイントだけは描き取れているからでしょう。
逆を言えば、そこまで到達するまでに多くの練習をして来たと言っても過言ではありません。
何よりそんな風に描けるようになりたかったからです。
こみち自身がそう思って描き続けて来たので、尊敬する人も同じように思い込んでいました。
でも、もしかしたら誤解していたのかもしれません。
ちょっと残念になったという話でした。
芸術とビジネスは直接的に無関係な位置にある。
例えば、『絵』も芸術家が筆を取って描くだけでは、ビジネスにならないだろう。
「絵では食っていけない」と言われる理由はそこにある。
しかし、よくよく考えるとゲーム配信をして、それがビジネス化できるのは、例えばyoutube のような視聴に対する収益化のシステムが背景にあるからだ。
つまり、「行動」と「収益」を結びつけられる仕組みがあるか否か。
同じように『絵』だったとしても、イラストになればイラストレーターとして稼ぐことができる。
美大のような専門的なデッサンなど学ばなくても、雰囲気のある絵や描く人にネームバリューがあれば、人は興味を持ってくれるだろう。
専門教育を受けた人ほど、「美術」という概念を重んじるだろうから、パースの狂った絵を見て批判したくなるのも分かる。
しかし、「正しい」ことが大切なのではなく、「役に立つ」ことに意味があるのは、ビジネス的な意味合いからだ。
純粋に美術として絵を描くなら、食っていけないことに悩むべきではない。
稼ぐ仕事を見つければいいし、実家が裕福ならそこに甘えて、美術を貫けばいいからだ。
好きな絵を続けながら、収益化も考えるなら、それこそニーズに応えるしか方法はないだろう。
以前、こみち自身は似顔絵師にはなれないという話をした。
例えばデフォルメされたイラストで、その腕前を評価されても、こみち自身はちょっと困惑してしまう。
なぜなら、顔の特徴をさらに誇張し、それで確かに似ている雰囲気を出すけれど、そこだけを描くことに躊躇いがあるからだ。
だったら、紙面で使うようなイラストを描く方が好きだ。
実際に、それができれば食っていけるだろう。
しかし、美術として絵を描く人は、きっと描きたいものが明確で、こみちが考えるような「表面的な造形」など描いていないだろう。
それはデッサンの段階で終わっているだろうし、カメラの性能に追随しても絵としての価値が見出せるとは思えない。
言い換えると、絵としては不正確でも、そこにどう味や雰囲気を盛り込み、描き手の想いを載せられるかがポイントだろう。
以前も話題になったけれど、なぞり書きして下絵を作ることがダメだろうか。
今思うのは、デッサンをしていると、トレースするか否かは大きな問題ではなくて、技法や時短の領域だと思う。
1ミリもずれないようにトレースはしないし、欲しいポイントさえ目星が付けば、逆に細部までなぞることで持ち味を損なうこともある。
しかし、塗り絵的に描く場合、多くはデッサンに自信がない時や完コピを目的に行っているから、何もかもなぞって再現してしまう。
結果的に、元絵そっくりなモノができて、そこに描き手の見せ方や見せ方が感じられないこともある。
つまり、それは「絵」なのかという話だ。
だったら、コピー機で複写してもいいという話だろう。
細かい話はどうでもよくて、この雰囲気好きだなぁという景色が描けるなら、描き手としては十分だろう。
ただそれが、ビジネスに転換できるかは仕組み次第で、やはり描くことだけでは食っていけないのも当然だ。
今はそんな風に感じて描いていたりする。
最近のこみちは、見た目を描くことよりも、その場の雰囲気や状況を伝えられる場面を描きたくなる。
以前から好きな曲として、King Gnu さんの『愛燦々』があるけれど、この曲のMVもまたクリエイティブで好きだ。
引き(全体の関係性がよく分かるアングル)ではなく、かなり大胆なくらい寄って、顔だけが映し出される。
後になれば、自転車に乗っていることも理解できるのだけれど、まだその時点では大写になった顔だけが画面からはみ出して、上下に動くのしか伝わらない。
しかも、時折り表情が険しくなったり、視線があちらこちらに動いたりで、何か緊迫感が伝わる。
言葉にすると、そんな感じになる情景を、映像ではある意味でサラッと伝えてくれる。
King Gnu さんの曲を聴いた時の気持ちをどう「絵」として再現できるだろうか。
そんな思いもあって、今回はその冒頭シーンを描いてみた。
あまり野球のルールを知らない人や、普段はプロ野球や高校野球にも関心が薄い人でも、大谷選手の活躍をテレビを通じて知ったのではないでしょうか。
実力差のある相手に、終始余裕を見せて勝つということよりも、実力が拮抗していて、どちらが勝つのか分からない中で、ドキドキしながらも応援していると、勝利した時にこれまでには味わえなかったような感情が身体からみなぎります。
例えば、大谷選手の素晴らしい活躍を、人工知能によって再現できたとして、そこにあの時と同じ感動があったのかというと、決してそれは無かったでしょう。
つまり、絵を描くことも、元ネタがあって、それらをAIがそれっぽく作ることはできます。
しかし、技術的には上級者と変わらないレベルになったとしても、「なぜその場面を描こうと思ったのか?」という描く上で最も重要なポイントが抜け落ちているのも事実です。
写真の画像から階調を落とせば、それだけでも描いたような雰囲気になります。
顔にある特徴点をより多く見つけられれば、一般的なデッサンと同じようなロジックになるでしょう。
しかし、デッサンにも言えることですが、目の前に置かれたモノをどれだけ正確に描けるのかは、アートではなく、技術練習に過ぎません。
ある意味、アーティストが目指すのは世界観であって、巧みな技術の披露ではないはずです。
その意味では、トレースによって写真そっくりの絵を描くことも技術向上としては有益ですが、一方で最も幅広い感情を描くなら、描写技術の他に、モチベーションとなる感情が伴わないといけません。
ある意味、全く同じ景色を描いたとしても、そこに異なる感覚をどれだけ盛り込めるのかが腕だと思っているからです。
逆を言えば、そうではないならカメラで撮影した方が変に心許ない画力で描くよりもずっと鮮明に映せるでしょう。
そんな葛藤もあって、描きたいものがなかなか見つからず、かと言って興味の薄いことを無理して描く気持ちにもなれません。
感情が追いついていない感じになるからです。