乃木坂工事中でMCを務める設楽統さん
最近、乃木坂46のメンバーを描くことが多い。
苦手にしていた女性も描けるようになりたいから。
そんな中で、久しぶりに男性、バナナマン設楽統さんを描くことにした。
似顔絵なら、日村さんの方が特徴も多く描きやすいはずだけど、こみちのイラストは厳密に苦手ではない。
「似せる」という意識ではなく、より見えたままを正確に描こうとしているだけなのだ。
それでも、設楽統さんに雰囲気が似ていたら嬉しいのだが。
最近、乃木坂46のメンバーを描くことが多い。
苦手にしていた女性も描けるようになりたいから。
そんな中で、久しぶりに男性、バナナマン設楽統さんを描くことにした。
似顔絵なら、日村さんの方が特徴も多く描きやすいはずだけど、こみちのイラストは厳密に苦手ではない。
「似せる」という意識ではなく、より見えたままを正確に描こうとしているだけなのだ。
それでも、設楽統さんに雰囲気が似ていたら嬉しいのだが。
乃木坂46の5期生、川﨑桜さん。
彼女を含む5期生メンバーが、富士登山に挑戦した番組から、今回のシーンを選びました。
カメラ特有の歪みもあって、参考に選んだシーンが分かり難いものだとも感じていました。
ただアングルとしては、描きごたえもあって選んだのですが、YouTube チャンネルにアップさせてもらったショート動画の反応はあまりよくありません。
このイラストが似ているというできではないことも原因ですが、まだまだ川﨑桜さんの顔をこみち自身が認識できていないこともあります。
これから、また機会が巡れば描くチャンスもあると思うので、楽しみながら上達できたらと嬉しいです。
似顔絵を描く時、女性の方が男性よりも難しい。
さらに、女性でも美人なほど難しく、理由は絶妙なバランスにあると思う。
今回の冨里奈央さんの場合、もちろんアイドルとして他の方々同様の難しさはあって、さらに若い人特有のシンプルさがさらに難易度を上げている。
つまり、素で美人だと、髪型や眼鏡、髭などで誤魔化せないのだ。
さらに、今回選んだ表情は、冨里奈央さんが時折見せる特徴的な表情で、それをどこまで描けるのかも課題としていた。
乃木坂工事中の番組で、ショッピングを楽しむ企画が放送された。
賀喜遥香さんは気になるドライヤーを物色し、その時に見せてくれた表情を今回は描いてみることに。
番組のMC、バナナマンのお二人に感想を振られて、「どれも一緒?」とまさかのコメントで笑いを誘う。
似顔絵としては、微妙なバランスで似なくななるので、途中までは全く賀喜遥香さんにはなっていなかった。
それでも、目や鼻などを観察し、しっかりと形を取り直して、ここまで描くことができた。
賀喜遥香さんだと伝われば嬉しいけれど、どうだろうか。
今回、山下美月さんを描こうと思ったのは、彼女が出演されていた乃木坂工事中という動画があったからです。
占いに興味ある山下美月さんが、自身の性格や今後の活動などを占ってもらった時に見せた表情がとても印象的で、そんな表情をどこまで描けるかと挑戦してみました。
とても美人な顔立ちなので、似顔絵を描くのも大変です。
表情は僅かなズレでも異なる顔に見えます。
目や鼻、それぞれの形を忠実に描くことも大切ですが、それぞれの位置関係を保つことは最も重要で、例えば今回のイラストでは、右目を基点に、左目との距離感や右目瞼の曲線から頬、顎先までの輪郭線、加えて鼻の付け根から鼻先までのハイライト部分、そして口。
左頬のハイライト部分を目安に、いわゆる正面から側面への回り込みを、やや緑を強くした色調で塗り分けたりもしています。
また、前髪の毛先の流れは、その方らしさを変化させるので気が抜けません。
今回は今回感じで仕上がりました。
次回も気になる人やシーンを見つけたら、また挑戦したいと思います。
よかったら、YouTube チャンネルも運営しているので、そちらも覗いてみていくださいね。
今回選んだシーンは、新曲のキャンペーンで佐賀や福岡を齋藤飛鳥さんや与田祐希さんと訪ねた時のもの。
賀喜遥香さんらしい表情ですが、よく見ている表情とは異なることもあって、その違いまでしっかりと描き込めるのかが問われました。
こみちとしては「どこまで描けるだろうか?」とモチベーションも上がったのですが、実際に描いてみると難しさに気づきます。
でも、賀喜遥香さんらしさを探して、いろいろと試行錯誤できたのは楽しい作業でした。
乃木坂46の遠藤さくらさんを描きました。
女性らしい顔立ちなので、どこから描けばいいのか迷います。
目鼻口のバランスに注意しながら、各パーツの精度をアップさせました。
誰を描いたのか分かるでしょうか。
乃木坂46のメンバーを、連続して描いてみました。
今回は賀喜遥香さんです。
女性の似顔絵を描くことが苦手で、その理由は「似せられない」からでした。
しかし、「嘘」を描かなければ絶対似る訳で、今回の賀喜遥香さんでもそう感じます。
実は初めて賀喜遥香さんの顔を見て、特徴的な感覚がありませんでした。
つまり、どう描けばいいのか分からなかったのです。
しかし、見えたままを信じて描いていくと、ある段階から「賀喜遥香」さんっぽさを感じられました。
目や鼻、口の形に大きな特徴などありません。
しかし、全く特徴がない訳ではなく、細かな違いを正確に描いてみると、結果的に「賀喜遥香」さんが見えてきました。
乃木坂46の与田祐希さんを描いてみました。
カップスターのCMで登場した時のワンシーンを選んでみました。
個人的に頭の周囲が切れている構図は苦手ですが、与田祐希さんの雰囲気が表現できていたら嬉しいです。
それでも齋藤飛鳥さんを描いてみたくて挑戦しました。
大きくズレていないはずなのに、でも全体として印象が似てきません。
似顔絵で、特徴を誇張して誰かを連想させる手法とは異なり、微妙なバランスを通して寄せる女性の人物画は、苦手です。
個々の目鼻立ちを詳細に描き込み、さらに全体像でもバランスを取り直し、何度も齋藤飛鳥さんを見て、その印象がどこにあるのかを探ったのですが、結局はここまでしか分かりませんでした。
やはり、女性を描くのは難しい。
描きやすい正面でも、かなり苦戦しました。
もっと上手くなりたいなぁ。
イラストを描く時、単体だけを描くことも多いはず。
でも、風景的なワンシーンを描くことができると、伝えたい情報がかなり増えます。
右のイラストは、東京03の三人が「開店祝い」というコントを披露しているシーンを描いたもの。
カラフルなテーブルの上に赤色のコンポがあって、それを修理した豊本さんがCDを再生してみたシーンです。
脇には飯塚さんが手を合わせて祈っていて、さらに後方で角田さんも手を合わせているのが見えるでしょう。
東京03のコントはネタとしても深みがあって、映画やドラマ、小説のようなドラマ性もあるのですが、イラストを描く上では、3名の描き分け、それぞれの体格や仕草、さらにその場面の雰囲気などと、テーマや課題できるポイントがあります。
舞台の広さや奥行き感にも言えますが、描いたものの存在感が描けることは重要だと思います。
焦点距離が無限に近い、水平線と空のような構図もアート的な魅力がありますが、日常的なスケール感を表現できると、例えば店舗のインテリアやデザインにも転用できます。
一昔前なら、一般的には二点透視図法を使って機械的に描くこともありますが、より見た目に近い印象を与えられる意味ではイラストでの表現も添えられると意図がより鮮明です。
とは言っても、最近では3dによる再現も簡単ですから、イラストによる画力がどこまで求められているのかは少し疑問も残ります。
ただ、AIによる自動化が進んだとしても、自身である程度描くことができれば、それに越したことはないでしょう。
思えば、見たままを描くことに取り組み、東京03のコントシーンをいくつも描いて来ましたが、その意味ではもうこみちが自主トレとして取り組む必要性は無くなってしまったようにも感じます。
最近、YouTube に掲載する動画も、縦長構図を使っています。
それは、従来の動画ではなく、ショート動画(1分未満)を見越しているからです。
もう少し場面展開などを予定しているなら、従来の画角でいいのですが、ワンシーンだけを描くならショート動画の面白さがあります。
その意味では、面白味のあるアングルで、描いてみたいと思いますし、例えば先日掲載したトマトを乗せた料理みたいに、イラストで描くには骨が折れる場面なども含めて、描くモチーフの幅を広げて行きたいと思います。
今後も細々と、好き勝手に描いて行くとので、良かったら暇な時にでも覗いてみてください。
似顔絵を描いている人なら、長州力さんを描くのってちょっと躊躇いませんか。
目鼻立ちに特徴がある人とは違い、長州力さんの顔立ちは特徴が掴みにくいから。
こみちの描く時の基本は、「(今の画力で)描けるかなぁ?」と思って挑戦すること。
今回のイラストは、長州力さんが神奈月さんとYouTube のコラボで見せてくれた嬉しそうにはしゃぐ表情が描きたくて。
神奈月さんはプロのモノマネ芸人。
長州力さんが「オレ真似できる?」と振ったことで、神奈月さんがそっくりの長州力さんになりきる。
あまりに似過ぎていて、長州力さんのテンションが上がった表情がとても印象的なんです。
「東京03とスタア」という番組で、日向坂46のメンバーと共演されていた角田さんたち。
カフェ店を舞台に繰り広げられるコントで、リストラされた?中高年を角田さんが演じている。
そこにあったワンシーン。
角田さんのアップをピックアップして、気になるシーンを描いた。
YouTube のショート動画としても掲載されているので、よかったら試聴してみてください。
絵を描いていきたいと思いつつ、YouTube での収益化にはチャンネル登録者を集めなければいけない。
なので、よかったらぜひ登録もお願いします。
子どもの頃に見ていた「ガンバの冒険」。
そんな話題が、岡田さんから紹介されたのは、「AIが絵師の仕事を奪っていくのではないか?」と質問を受けたから。
改めて「ガンバの冒険」をYouTube 探すと、運良く1話から3話までが公開されていて、何だか懐かしく、でも大人になって分かるのはとても「深い話」だということ。
それは、「絵」という表現だけの話ではなく、我々が生きる中で「創造するとは何か?」を考えさせてくれるものでした。
さらに、別の動画で最終回の内容を知ったのですが、主人公のガンバが対峙するべきイタチに、真っ向から挑むのではなく、自然の摂理を理解し、味方を募り、時を待って周到な準備をして誘い込むのです。
つまり、AIに人間の我々以上の絵が描けるかどうかが問題ではなく、「生きること」をどう考えて我々が今を生きているのかを問うなら、その方がずっと大切だということでした。
さらに言えば、自分の存在を認めてもらうための「絵」には価値などなく、「絵」は誰かのためになるからこそ意味があるのです。
誰が描いたのか以上に。
つまり、AIが描いてくれるのであれば、我々は「生きること」の意味を考えればいいだけですし、もしもAIが描けずに困っているなら、それを我々が描くことで補えばいいのです。
まさにガンバたちが自然を味方にして強敵を向かい打ったように。
そんな考えに行き着くと、自分の絵を認めて欲しいと焦る必要はありません。
むしろ、もっと噛み砕いて、もっと分かりやすく、誰かの迷いに通ずる何かを伝えられたら、絵を描くことの意味や目的は果たせたことになるでしょう。
どんなに時代が変わっても、しっかりと作り込まれた作品は色褪せることがありません。
それは、「生きること」のかなり近い部分を我々に伝えてくれるからで、そのような作品はどんなに大人になってからでも、新たな発見と生きる勇気を与えてくれます。
なんだか、上手い下手の意識で絵を描くことが恥ずかしく感じました。
メイウェザー選手と言うと、ボクシングで無敗のスーパースター。
彼が若い頃の映像を見た時、とてもクリーンな印象で、好青年という感じがしていました。
ところが現役を引退してからの彼は、少しイメージが変わってしまいました。
それがまた一変したのは、インタビューを受けている時に見せる「素の表情」で、根の優しさが伝わってきました。
そこで、彼の表情を描きたくて、似顔絵を描きてみました。
どうでしょうか。
質問を待つわずかな瞬間に見せてくれたメイウェザー選手の表情が伝わったでしょうか。
イラストを描く楽しさは、「この場面、自分の画力で描けるかなぁ?」と挑むこと。
その意味では、最初は「花」など、手に乗せられる大きさのモノを描くことでしょう。
「りんご」や「レモン」などもおすすめです。
これらも、複数になったり、花なら花瓶に生けられた状態までを含むと難易度も高まります。
それは単純に花瓶の質感との描き分けが必要になるからです。
とは言え、難しいことは抜きにして、先ずは「花」などを使って描く楽しさ、描けた楽しさを感じることでしょう。
始めたらばかりの時は、頭を動かさずに描きたいモノと描くスケッチブックとが同じ視野内で収まる方がいいはずです。
頭を大きく動かすと、それだけ「軸」がずれやすく、上手く描けない原因になるからです。
よくデッサンなどをする人がイーゼルという脚立のようなものに立て掛けて描くのも、より視線を動かさないための工夫です。
初心者向けが手に乗せられるモノだとしたら、中級者は「奥行き」がモノを扱うことでしょう。
こみち自身が現場で描こうとしてなかなか描けなかった景色として、駅のプラットフォームがあります。
自身がホームの端に立ち、自身のサイドと線路を挟んで向かいのホーム、さらに雨除けの屋根などを描く構図には苦労しました。
理由は描く景色が目の前に広がり、どうしても頭を大きく動かして描いてしまいます。
結果として、「遠近法」による描写に寄せてしまいます。
絵としては狂って見えなくできるのですが、それではそこで見た景色や視野をそのまま描くことになりません。
同じことで、車の中を描くことも難しかったです。
やはり人物画、特に女性を描くのは難しいです。
理由として、女性は化粧をしていますが、化粧は「錯覚」を利用しています。
つまり、目鼻の位置をずらして見せるために色味を付けることが「化粧」の目的にもなります。
なので線画で下絵を描く時に、見えた感覚が狂いやすいのも女性を描く難しさの根拠です。
見えたままなら間違えていないのに、何かズレているように感じるという違和感がいつもありました。
そこで意識するようになったのは、「見えたまま」を描くようにしました。
でも、それをするのがとても大変で、どうしても落ち着くポジションがあって、そこに落とし込もうとしてしまいます。
右上のイラストは、初心者にもおすすめのトマトですが、その周りキャベツの千切りを置きました。
キャベツの千切りは、目には見えるのに、それをそのまま描くことが簡単ではありません。
言い換えると正しく描ければ千切りに見えるはずですが、それができないのです。
とは言え、段々と描けるものが増えていくと、描くのが益々楽しくなっていきます。
女性は男性と比較して、肌の透明感が繊細です。
ちょっとしたトーンの違いで、印象が大きく変化してしまうこともあって、苦手意識があります。
唇を尖らせた表情を描くこともあって、さらに難易度も高い構図になっています。
ついつい描き込み過ぎてしまうので、控えめにしつつも、目元をしっかりと描きました。
久しぶりにデッサンをして、ネットで「デッサン」を検索すると、美大受験を目指す人向けの予備校を見つけた。
デッサンとは何か。何から始めるべきで、どんな意識で練習すればいいのかを紹介している。
個人的な印象を言うと、もしもこみちが来年美大受験を考えていて、どこかの予備校を探しているなら、あれこれと説明されるよりも「ウチの講師陣が描くとここまでできる」という指針を示して欲しい。
というのも、理屈や理由は分析や調査の結果に過ぎない。
高いレベルまで到達した人が「〇〇だ」というのと、そこまで到達していない人が「〇〇です」というのは言葉こそ同じでも差している内容や理由が違う。
事前にノウハウやテクニックを漏洩させたく無い事情もあると思うが、「合格者作品」を公開している予備校が親切なくらいだ。というのも、「デッサン」の意味や目的を理解するのはこれから受験に向けて嫌というほど考えることになる。
そして憧れの学校に合格するには、その基準を超えるだけのデッサンでなければいけない。
1点でも不足していたら、10点不足していても同じくらいの扱いだ。
ということは、この先生ならどれくらいの画力で、どこまで惚れ惚れするデッサンが描けて、これから1年かけてその先生に近づける練習や訓練をするのか受験生としても意気込みができる。
ちなみに、右上のイラストは左下のイラストに加筆したもの。
印影を中心に書き加えた。
個人的には右上の方がよく掛けていると思っているが、中には左下の方がよかったと思う人だっているかもしれない。
そもそもどちらもダメだということもあるが…。
つまり、レベルの高い集団に入れば、「なぜ上手いのか?」が分かってくる。
それは頭でというよりも、パッと見て気づくからだ。
合格ライン前後の作品と自分を比べてしまうと、どうしてもストップが掛かってもう一歩が突き抜けられない。
もちろん基本や基礎があってだと思うが、「目標」を見つけることで限られた期間でどれだけ成長できるかが問われる受験期間をより有意義に信頼して過ごせると思う。
デッサンが上手くても、デザイナーなどとして社会で働くとやはり大変なことに変わりはない。
それは「描く」以上に「話す」ことが業務では多いからだ。
クライアント(依頼者)が求める方向性をくみ取り、それを具現化するというのは、予め完成図が見えているデッサンとは作業が全く異なる。
予備校時代の優秀者と実際に学校で頭角を現す人とが違うのも、求められる要件が異なるからだろう。
デザイナーではなく、アーティストという立ち位置なら、自身の創造性に生きることができるけれど、「生きていく」意味では別の何かがないと日々の暮らしもままならない。
だとするなら、「美大用のデッサン」に特化するよりも、生涯を支えてくれるデッサンを目指した方がいいのかもしれない。
今、個人的には石膏デッサンを描くことよりも、例えばその人が持っている雰囲気をいかに表現できるかを目指している。
右のイラスト、東京03の豊本さんを描いたものになるが、彼らしい表情というのはもっと他にある。
つまり「似顔絵」を描くなら、よりその人らしい特徴がある方が描きやすいだろう。
しかしそこで表現できるのはある限られた範囲になってしまう。
実際、人は思いもよらない表情をするし、一瞬で誰か分からないこともある。
でもそれさえも間違いなく本人で、そんな表情を描くことでしか到達できない領域があると思っている。
イラストでの豊本さんは、目の前にいる相手に嫌味なセリフを発している。
決して笑みではないし、悲しさでもない。怒っているのでもなく、嫌味を言っている。
その心理状態を今の画力でどこまで描けるかが課題なのだ。
そう思うと、石膏デッサンというのは原点であって、ゴールではないことが分かる。
手や静物画を練習として描くこともあると思うが、やはり何を描こうとして対象物と見ているのかを考えたい。
例えば「りんご」を描こうとした時に、「赤く丸い果物」というイメージで描く人と、産地や銘柄の違い、生産者のこだわりを知って描く人とでは着眼点が違う。
仕事として「りんご」を描く時も、生産者が手にした時と店頭に並んだ時とでは描く色調から違うだろう。
描くことは楽しいけれど、何をどう描くのかを考えると、もう「画力」以前に目指すべき方向性が無いと続けられないと思う。
同じ受験生同士なら、「優れたデッサン」が認識できたとしても、広く一般に向けて、映像や写真など他の表現方法と比較して「描く」良さを追い求めるのは大変だ。
その意味では「写真そっくり」という完成形を求めたくないし、それならもう写真でいいと認めたようなものだ。
無いのにあるという不思議な体験を伝えることができるのも描くことの良さだと思うから、例えば受験を終えてからても描くことを楽しみ、ライフワークとして活かせて欲しいと思うのは、ずっとこれまでどんな時でも定期的に描き続けてきたこみちが思う感想だ。
「この感じ、描けるかなぁ?」
そう思うと、いつも携帯している小型のスケッチに、思うままに線を引いて、目処がつけば「描けるぞ」、全く歯が立たないと「ダメかぁ」と残念に思ってきた。
スマホでパシャリと撮影すれば済んでしまうのだけど、やっぱり「描けるかなぁ?」という好奇心を持っていたい。
デッサンというと、やっぱり石膏デッサンを思い出す人も多いのではないでしょうか。
右のイラストは下書きですが、雰囲気だけ「ブルータス」を描いてみました。
多くの人がブルータスを苦手とする理由は、「アゴ」の処理ではないかと思います。
「鼻」についても同様で、鼻を見上げるアングルってどう描いていいのか悩みますよね。
まず大きな誤解があるとするなら、「デッサン」と「創造性」は異なる能力ですし、「デザインのセンス」とも違います。
なので、素晴らしい芸術作品を生み出す人でも「デッサン」は苦手という人もいるくらいです。
では「デッサン」って何の目的があるのでしょうか。
それは単純で、「見たまま」を写しとるという訓練です。
下書きとして挙げた「ブルータス」も、まだ実物と比較すればかなり線が狂っています。
どう「狂っているのか?」を比べて、それを直し続ければ、理屈では実物そっくりに描けてしまうとことです。
つまり、自分が描いた「線」がどれだけ間違えているのかが分かれば、正しく修正すれば良いだけです。
音楽で言うと「音程」を取るようなもの。
どれだけ音を外しているのかも意識しないで、歌って(描く)も時間を掛けた割に上手くなりません。
ただ歌い慣れる(描き慣れる)と言うことはあって、音を外していても継続していると好きなテイストの絵ならば上手に絵描けるようにはなります。
そう考えると、「デッサン」は、いろんなテイストの絵を描くための訓練とも言えるでしょうか。
線画にしても、色付きの絵にしても、見た情景を紙に落とし込む作業は、明度や彩度の変化をどこまで詳細に感じ取れるかでその完成度が変わります。
その意味では、見えた「色」が「何色か?」よりも、「どんな成分の色で構成されているのか?」を考えることが大切です。
そのためには、CMYとかRGBという色味の構成を学んだ方が上達も早いはずで、より幅広く絵を理解するには一度でも「美術」の基礎を学んでみると面白いでしょう。
今にして思えば、上手く描こうと意気込み過ぎず、もっと見たままを描けばいいと気づいていたら、絵との関わり方も違っていたと感じます。
ただ、こみちは上手でも下手でも、描くことが好きなのですが…。