池田瑛紗さん
イメージしている表情だったので、それをどこまで再現できるかと挑戦してみました。
人物画は、やっぱり難しく、特にその人特有の表情を再現するのはさらに難易度も上がります。
でも、絵を描くならそこまで到達したいと思っていて頑張るのですが、なかなか成果が現れません。
さて、今回はどこまで描くことができたでしょうか。
イメージしている表情だったので、それをどこまで再現できるかと挑戦してみました。
人物画は、やっぱり難しく、特にその人特有の表情を再現するのはさらに難易度も上がります。
でも、絵を描くならそこまで到達したいと思っていて頑張るのですが、なかなか成果が現れません。
さて、今回はどこまで描くことができたでしょうか。
「markers」の所で完全に迷子になってしまいました。
youtube 上にある関連動画を見ていると、口の動きを再現する時に使っている感じですが、日本語でいう母音ごとに指定するための作業なのか、単に口をパクパクさせる動画なのかさえ分かっていません。
最も課題なのは、ライブラリーに登録した時に、なぜかフレーム1の部分だけしかmarkersに出て来ないこと。
分かってしまえば、なんて事ない話だと思いつつも、そもそも何のためにしていることかも理解できないまま、動画と睨めっこしながら、手順を再現しているのですが。
いろんな方の動画を見比べながら、何度も巻き戻したり、スロー再生したりしていますが、核心が分かりません。
もう少し時間が掛かりそうです。
toonsquid めちゃくちゃ難しいじゃん!!
追記
その後も何度かやり直していたら、分かりました!
ポイントは、Libraryに登録する時に、登録したいフレーム(ずっと1フレームしか選んでいませんでした)すべてを選んだ状態にしてから行う必要がありました。
すると上手くできなかった「markers」も見本通りになって、後から呼び出して簡単に修正できます。
いやぁ、理解が悪くて大変です。
でも、また少し理解できたので、次の課題に進むことにします。
立ち姿って、顔ばかり大きくなって全体のバランスが崩れたりしませんか。
こみちの苦手意識があって、今回もちょっとドキドキしながら描き出しました。
顔だけの時と違い、サイズ感とかも気になったりで、やはり難しかったです。
正面右からの日差しもあったりで、よく言えば空気感も盛り込めたら良かったのですが。
立ち姿の場合、立っている感じがないと急に変になってしまうのですが、今回の感じはどうでしょうか。
以前から、アニメーションを作りたいと思っていた。
でもそれは100%イラストで作るというものではなく、例えば実写映像のテロップや演出として活かせるアニメーションも含まれる。
そこで、ipadでも使えるアプリで、何がいいのかなぁと思っていた時に、「toonsquid 」に出会った。
残念ながら日本語版がなく、英語版のみなのが気になるけれど、キーフレーム機能が使えるという一点だけで、とりあえず使ってみることにした。
使い方は、youtube の動画を探して、チュートリアル的なものから見始めた。
まだ全部は見ていなくて、ワークスペースを開いた時にあるボタンの説明や使い方を一つずつ調べている段階だ。
2時間くらい連続して使ったから、久しぶりに頭が疲労している感覚で、なんだか少し心地よい。
まだ初めての作品を公開できるまでは時間が掛かるかもしれませんが、イラスト制作に加えて表現の幅を広げられたらと思っている。
新しいものに触れる体験は、やっぱり楽しいものです。
似顔絵やコントの場面の描写など、描くことを中心に制作活動を続けて来ました。
もう数年前からですが、細々とyoutube チャンネルも運営していて、主にイラストの制作過程を紹介する動画をアップしていました。
しかし、作品というよりも、描いたイラストがどんな風に作られたのかを見せるだけの簡単なものばかりだったので、少しアニメーションも作ってみたいと思っています。
動画製作というと、flashを思い出します。
確かもうそのソフトは廃盤になったと思いますが、確かに最近は聞きませんよね。
その頃に、簡単なアニメーションを作ったことはありましたが、今回の『Toonsquid』はどんな風に使うアプリなのか、現時点では何も分かっていません。
これから少しずつyoutube にあがっているいろんな解説動画を見て、使い方を覚えて行こうと思います。
また、何かサンプルができたら、紹介したいです。
最近、似せようとはしていない。
見えるまま、描いている。
しっかりと照明が当てられたワンシーンではなく、動画内で見つけたかなり明暗の強い一枚。
見えるものを見えるままに描くことよりも、濃い影となってほとんど識別できないような濃淡の強い被写体は、デッサン力が如実に現れる。
右のイラストでも、本来なら左頬はもっと暗く、右頬はハイトーンで明るい。
目鼻口のバランスを整えることが人物像では必須だけど、さらに濃淡をどこまで再現できるのかで、イラストはより実写に近づいて行く。
その意味では、今回のイラストはまだまだ忠実さが不足していて、しっかりと影を落とした部分に躊躇いがある。
一方で、正面画に近いこの構図は、人物画ではよくあるもので、比較的描きやすいだろう。
しかし、だからこそ、頬や唇の奥行き感を忠実に再現していないと、平面で奥行きのないイラストになってしまう。
もしも、バックに少しでも明るい照明を描いていたら、もっと作品としての印象が変わったかもしれない。
いつかはしっかりと描けるようになりたい構図なだけに、もう一歩という感じの中途半端な仕上がりになってしまった。
神宮球場で、乃木坂46の賀喜遥香さんが始球式の大役を見事に果たしました。
笑顔でマウンドから降りて来たシーンを描いてみました。
ヤクルトスワローズの人気者、つば九郎と対面し、ちょうどグータッチに応じようとしているところです。
youtube にも制作シーンをアップしたので、興味があればそちらも覗いてくれたら嬉しいです。
とても多くの方々から支持されている人で、こみち自身もその方のテクニックに感心させられていました。
しかし、ある時に気付いたことですが、ちょっとした違和感を持ちました。
それがモチーフ(描こうとしている対象物)のイメージを追っていないように見えたこと。
つまり、大きなものを大きいように描くとか、小さく見失ってしまいそうなものをそう感じるように描こうとするのは、絵を描く人なら誰でも意識しているとこみちは思い込んでいました。
最初は、どうしても形を追うことに夢中で、大きさや重さ、色味に対して二の次になってしまうことがあります。
しかし、段々と描き慣れてくると、なぜ描きたいのか?という部分に疑問を持ち、その答えとしてモチーフの存在感を強く意識するようになるはずです。
もちろん、意識してもそれが完璧にできるとは限りません。
また一流である人ほど、繊細でわずかな違いまでも再現してしまうでしょう。
「これくらいでいいだろう」と思って、紹介されたなら分かります。
こみちも自身としてはまだ納得できていない時に、時間的な制約もあって無理無理に完成させた経験があるからです。
とは言え、こみちの場合、今回はここだけは手を抜かないぞと決めた部分があって、そこに関しては手応えを感じるまでは頑張っています。
本当に作品として評価されるなら、隅々まで意識させなければいけないとは思いますが…。
それにしても、その絵を見た時に、「ん?」となりました。
というか、本当に本人が描いたのだろうかとさえ疑いました。
それほど、描いた絵に感じ取るものがなかったからです。
位置関係のズレも大きく、バランスも悪いし、事実全く別物にしか見えないくらい違っています。
それで何を描こうとしたのかと思ってしまいました。
こみち自身も日頃からハガキサイズくらいのスケッチブックを持ち歩き、鉛筆で5分くらいの走り書きのような絵を描くます。
バランスを取るというよりは、雰囲気を描き取ることが目的です。
でも、自身ではその絵を見て、雰囲気を思い出せたりするのは、ポイントだけは描き取れているからでしょう。
逆を言えば、そこまで到達するまでに多くの練習をして来たと言っても過言ではありません。
何よりそんな風に描けるようになりたかったからです。
こみち自身がそう思って描き続けて来たので、尊敬する人も同じように思い込んでいました。
でも、もしかしたら誤解していたのかもしれません。
ちょっと残念になったという話でした。
芸術とビジネスは直接的に無関係な位置にある。
例えば、『絵』も芸術家が筆を取って描くだけでは、ビジネスにならないだろう。
「絵では食っていけない」と言われる理由はそこにある。
しかし、よくよく考えるとゲーム配信をして、それがビジネス化できるのは、例えばyoutube のような視聴に対する収益化のシステムが背景にあるからだ。
つまり、「行動」と「収益」を結びつけられる仕組みがあるか否か。
同じように『絵』だったとしても、イラストになればイラストレーターとして稼ぐことができる。
美大のような専門的なデッサンなど学ばなくても、雰囲気のある絵や描く人にネームバリューがあれば、人は興味を持ってくれるだろう。
専門教育を受けた人ほど、「美術」という概念を重んじるだろうから、パースの狂った絵を見て批判したくなるのも分かる。
しかし、「正しい」ことが大切なのではなく、「役に立つ」ことに意味があるのは、ビジネス的な意味合いからだ。
純粋に美術として絵を描くなら、食っていけないことに悩むべきではない。
稼ぐ仕事を見つければいいし、実家が裕福ならそこに甘えて、美術を貫けばいいからだ。
好きな絵を続けながら、収益化も考えるなら、それこそニーズに応えるしか方法はないだろう。
以前、こみち自身は似顔絵師にはなれないという話をした。
例えばデフォルメされたイラストで、その腕前を評価されても、こみち自身はちょっと困惑してしまう。
なぜなら、顔の特徴をさらに誇張し、それで確かに似ている雰囲気を出すけれど、そこだけを描くことに躊躇いがあるからだ。
だったら、紙面で使うようなイラストを描く方が好きだ。
実際に、それができれば食っていけるだろう。
しかし、美術として絵を描く人は、きっと描きたいものが明確で、こみちが考えるような「表面的な造形」など描いていないだろう。
それはデッサンの段階で終わっているだろうし、カメラの性能に追随しても絵としての価値が見出せるとは思えない。
言い換えると、絵としては不正確でも、そこにどう味や雰囲気を盛り込み、描き手の想いを載せられるかがポイントだろう。
以前も話題になったけれど、なぞり書きして下絵を作ることがダメだろうか。
今思うのは、デッサンをしていると、トレースするか否かは大きな問題ではなくて、技法や時短の領域だと思う。
1ミリもずれないようにトレースはしないし、欲しいポイントさえ目星が付けば、逆に細部までなぞることで持ち味を損なうこともある。
しかし、塗り絵的に描く場合、多くはデッサンに自信がない時や完コピを目的に行っているから、何もかもなぞって再現してしまう。
結果的に、元絵そっくりなモノができて、そこに描き手の見せ方や見せ方が感じられないこともある。
つまり、それは「絵」なのかという話だ。
だったら、コピー機で複写してもいいという話だろう。
細かい話はどうでもよくて、この雰囲気好きだなぁという景色が描けるなら、描き手としては十分だろう。
ただそれが、ビジネスに転換できるかは仕組み次第で、やはり描くことだけでは食っていけないのも当然だ。
今はそんな風に感じて描いていたりする。
最近のこみちは、見た目を描くことよりも、その場の雰囲気や状況を伝えられる場面を描きたくなる。
以前から好きな曲として、King Gnu さんの『愛燦々』があるけれど、この曲のMVもまたクリエイティブで好きだ。
引き(全体の関係性がよく分かるアングル)ではなく、かなり大胆なくらい寄って、顔だけが映し出される。
後になれば、自転車に乗っていることも理解できるのだけれど、まだその時点では大写になった顔だけが画面からはみ出して、上下に動くのしか伝わらない。
しかも、時折り表情が険しくなったり、視線があちらこちらに動いたりで、何か緊迫感が伝わる。
言葉にすると、そんな感じになる情景を、映像ではある意味でサラッと伝えてくれる。
King Gnu さんの曲を聴いた時の気持ちをどう「絵」として再現できるだろうか。
そんな思いもあって、今回はその冒頭シーンを描いてみた。
あまり野球のルールを知らない人や、普段はプロ野球や高校野球にも関心が薄い人でも、大谷選手の活躍をテレビを通じて知ったのではないでしょうか。
実力差のある相手に、終始余裕を見せて勝つということよりも、実力が拮抗していて、どちらが勝つのか分からない中で、ドキドキしながらも応援していると、勝利した時にこれまでには味わえなかったような感情が身体からみなぎります。
例えば、大谷選手の素晴らしい活躍を、人工知能によって再現できたとして、そこにあの時と同じ感動があったのかというと、決してそれは無かったでしょう。
つまり、絵を描くことも、元ネタがあって、それらをAIがそれっぽく作ることはできます。
しかし、技術的には上級者と変わらないレベルになったとしても、「なぜその場面を描こうと思ったのか?」という描く上で最も重要なポイントが抜け落ちているのも事実です。
写真の画像から階調を落とせば、それだけでも描いたような雰囲気になります。
顔にある特徴点をより多く見つけられれば、一般的なデッサンと同じようなロジックになるでしょう。
しかし、デッサンにも言えることですが、目の前に置かれたモノをどれだけ正確に描けるのかは、アートではなく、技術練習に過ぎません。
ある意味、アーティストが目指すのは世界観であって、巧みな技術の披露ではないはずです。
その意味では、トレースによって写真そっくりの絵を描くことも技術向上としては有益ですが、一方で最も幅広い感情を描くなら、描写技術の他に、モチベーションとなる感情が伴わないといけません。
ある意味、全く同じ景色を描いたとしても、そこに異なる感覚をどれだけ盛り込めるのかが腕だと思っているからです。
逆を言えば、そうではないならカメラで撮影した方が変に心許ない画力で描くよりもずっと鮮明に映せるでしょう。
そんな葛藤もあって、描きたいものがなかなか見つからず、かと言って興味の薄いことを無理して描く気持ちにもなれません。
感情が追いついていない感じになるからです。
2度目の挑戦です。
前回もかなり苦戦したので、今回はどこまで描けるのか不安でした。
似ているかと言われたら、「どうでしょうか?」というレベルです。
しかしながら、より粘り強く描くことができたように思います。
卒業されることを公表されているので、まだ画力的には難しい部分もあったのですが、再挑戦させていただきました。
今回のテーマは、久保史緒里さんを描くことではあるけれど、仕草や表情の描写にこだわってみた。
今回のシーンは、キャプテンの秋元真夏さんを前にして感情が溢れ出した時のもので、瞳に溢れ出した涙までどう描けるのかが課題になった。
カメラが広角だったからだろう。
少し顔全体が歪んで見える。
でも描く上では、修正をしないで、見えたままをできる限り描こうと思った。
乃木坂46というアイドルグループを知ったのも、youtube の動画コンテンツを見つけたからで、最初は顔も分からなかったのですが、公式チャンネルをはじめ、様々な動画を観ている中でメンバーの顔と名前、さらにグループの方向性や個々の立ち位置など、気付かされることが増えました。
間違えているかもしれませんが、乃木坂46は二代目キャプテンの秋元真夏さんが卒業し、結成当時の一期生が全て脱退したことで、その後に加入したメンバーによる新たな乃木坂46に変化する大切な時期を迎えています。
先輩たちがいなくなってそれまでは後輩として活動していた人が、新たな体制を迎え自身の役割を考えることも増えたでしょう。
つまり、アイドルグループという範疇を超えて、こみちのような一般人にも通じる部分があって、「自分には何ができるだろうか?」とか、「何をするべきか?」というような自問自答もあったはずです。
そんな中で、たまたまyoutube で見つけた弓木奈於さんに関する動画の中で、イメージ的に3枚目キャラを演じていた彼女が、逆に優等生的な存在のメンバーに対して、絶妙な距離感でサポートしている姿を見つけました。
「〇〇のやり方知らない」というメンバーに、「多分ね。多分、〇〇は…」と弓木さんがアドバイスしているのです。
本来なら「知っているよ。これは〇〇をすればいいの!」でもいいはずです。
でも「多分ね」という入り方をする姿勢に、「ん?」とこみち自身は思ったのです。
もしかして、「弓木さんって、普段から自分のことよりも相手を立てているの?」と。
そんな気づきがあって、ある乃木坂46の番組収録で、クイズに前のめりで挑む弓木さんを見つけ、何かこみちの心が動かされました。
以前同様のスタイルでもいいはずなのに、自分から積極的に取りに行く姿に感動したからです。
そんな弓木さんを描いてみたくて、それに通じるシーンとして、正解し腕を高々と挙げる姿を選んでみました。
個人的な考えですが、漠然と置かれたりんごをどんなにリアルに描いても、そこにはテクニックとしての価値はありますが、伝えるという意味での価値はありません。
こみちは描くことも、文章を書くことと同じと思っていて、視点や表現方法に違いがあるだけだと思っています。
つまり、何らかの決意をして、意気込む表情の弓木さんを絵で描くことはできるかもしれませんが、言葉としてその瞬間を切り取る言葉はありません。
瞬間を描ける絵の持ち味と、時系列で流れを伝えることが得意な文章には、異なる表現方法があるからです。
その意味で、こみちは似顔絵として「弓木奈於」さんを描いてみたいとはおもわなくて、弓木奈於さんという人物が見せる表情を描くことで、感情の変化や言葉では伝えられないワンシーンを描きたいと思っています。
そのためには、「表情」というものがとても大切で、デフォルメすることでその個人を特徴づける技法は求めている表現方法ではありません。
かと言って、写真をそのまま再現したいのでもなく、究極的には「感情」を描くための前段階のような感じです。
以前よく描いていた東京03のコントで、例えば出演された角田さんっぽい人を描くことが目的ではなく、コントで見せた表情をいかに再現できるか、さらにはそのコントさえも飛び越えて、演技中に思っていた感情さえも見逃さないで描きたいくらいです。
つまり、コントでは笑いのシーンなのに、実は目元は笑えていないというような些細な表情を描きたいのです。
よく初心者向けにりんごを描くことがありますが、形や色を真似ることが第一段階とするなら、重さや熟成度、品種や季節、描いた時刻や気温、天候などなど、「そこにあるりんご」を描くことがこみちの目指したい描くことの目的になっています。
つまり、ある段階まではリアルさの追求なのですが、その先は感覚的な領域で、でもそこに到達するにはまだまだ画力が足りません。
今は気ままに描くことを続けながら、いつかそんな意味で描けるようになりたいと思っています。
なぜ、このシーンを選んだのか。
いろんな背景があって、今回はこのシーンを選ばせてもらいました。
もっと画力が向上すれば、さらに多彩な表現が加えられるとは思うのですが、地道に描いていないと簡単には向上しないのが絵なので、もっとこみちが感じることを上手く伝えられるようになりたいです。
20年という長い年月を漫画家のアシスタントとして働き、連載を夢見ていたもののそれが叶わないと帰郷を選んだ角田さん。
同じアシスタントとして活躍する飯塚さんや豊本さんも、駅のホームまで見送りに来てくれた。
しかしながら、電車が事故でなかなか来ない。
三人はベンチに腰掛けて、別れの時間になるまで、同じくアシスタントとして過ごした日々を思い出す。
ふと、テンションが上がった角田さんが立ち上がり、二人の今後の活躍を故郷で祈っていると告げ、さらに感謝の気持ちを語ると鞄を肩に担いで、ホームのスレスレまで歩いていく。
「じゃあな!」
角田さんは、最後の別れの言葉を発した。
「電車、電車で来てないよ」
「嗚呼〜」
ある意味でロマンチックで感極まる角田さんは、アシスタントとして過ごした日々を、24時間漫画だけを考えていたと語る。
それくらい夢を追い、やり切ったからこその帰郷なのだと。
でも、見送る二人はそんな風に思っていなかった。
むしろもっと真面目に向き合っていたなら、夢だって叶ったはずだという。
何より、一時期は女に惚れ込み、連載の持ち込みもしなくなって、それを不満にさえ感じていたくらいだ。
二人からの印象を知り、「良い感じで帰らせろ!」と角田さんは怒ったりもするのだが…。
それでもまだ電車が遅れているようだ。
駅のホームで、わちゃわちゃと騒ぐ三人の様子が、東京03っぽくて好きなコントの一つでもある。
「美しい」と感じる理由は、その配置のバランスと各パーツの無駄の無さが関係しています。
つまり、少しでも配置が異なると、描かれた絵は全く異なる人に見えますし、そもそもその人を描く理由を失います。
白石麻衣さんにしても、向井葉月さんにしても、とても美形の顔立ちで、その特徴はちょっとした一部分ではなく、全体的に織りなす関係性があってこそ成立します。
つまり、目鼻口と描こうにも、ササッと引いた線だけでは全く白石さんには思えません。
「ああどうしよう!? 全然、描けない!」と思ってしまいます。
時間を掛けて、何度も何度も見直して描いたのが、このイラストです。
どうでしょうか。どちらが白石さんで、もう一人が向井さんだと分かるでしょうか。
しかも、頬を寄せてこちらを見つめる視線にも少し違いがあって、強いしっかりと見つめる左側の人と、少し頬を寄せることに躊躇いを感じ、見つめる視線もどこか不慣れな印象の右側の人。
もしもそのような解説をイラストから感じ取ってくれたのなら、こみちが意図して描いたテーマがしっかりと伝わったことになります。
コントラストの強い元絵で、それを描くのはかなりの難易度だと思います。
例えば、目元。
瞳を始め、各パーツの境界線がはっきりしていないので、「あたり線」で位置決めが難しく、「面」として捉えた意識が必須でした。
鉛筆画のようなスタイルであれば、濃淡だけを意識すればいいので、問題にはならない部分ですが、着色画の場合には色味の再現でコントラストの強さが難易度をアップさせます。
なぜなら、いきなり色味が変わるので、その位置を曖昧にはできません。
少し間違えただけでも、全体として全く異なる絵になってしまいます。
ご覧の通り、左頬の方から日が当たっているシーンです。
個人的な感想としては、60点くらいでしょうか。
課題にしていたポイントで、克服できたものとできなかったものが混雑していたからです。
ただ、少し発見したことがあって、もしかすると一気に画力がアップするかもしれません。
個人的にも、今後が楽しみです。
youtube の「こみちチャンネル」にもアップしているので、良かったら覗いてもらえると嬉しいです。
もうすぐ卒業される秋元真夏さん。
アイドルとして11年間、しかもキャプテンとして活躍された。
こみちの場合、乃木坂46を知ったのはyoutube の動画コンテンツで、好んで動画をし始めた時には一期生と呼ばれるグループ誕生時のメンバーがかなり卒業されていた。
動画コンテンツとして残っていると、卒業されたメンバーもまだ現役で活躍されている錯覚を起こしてしまう。
初代キャプテンの桜井玲香が卒業された2019年の頃を知らないので、多分2020年のあたりから見始めたのだろう。
可愛いからアイドル。
以前はそんな印象だったけれど、動画コンテンツを見始めて知ったのは、彼女たちが自己プロデュースをどれだけ真剣にしているのかという部分。
もちろん、グループ愛もそうだけど、限られた期間で何をどうしたいのかを懸命に探しているように見えた。
デビュー当時の映像を観ると、やっぱり一般の人と変わらない。
でも、芸能活動をする中でどんどん成長し、個性を磨いている。
興味深いのは、発足した1期メンバーと最後に加入した5期メンバーで、10歳くらい世代が違うのだろう。
つまり、同じグループでありながら、生きている時代が違っている。
今回、描かせてもらった秋元真夏さんは一期の最後となるメンバー。
彼女が卒業すると、グループ全体の雰囲気もガラッと変わるだろう。
同じように続く乃木坂46としての伝統を守りつつも、時代の変化もあって自然と様変わりして行く部分もある。
今思えば、中学や高校もそれぞれ3年しか通っていない。
社会人になってから感じる3年とは全く感覚も違う。
アイドルって、それだけ濃密な時間を掛けた特別なものなのだろう。
しかも秋元真夏さんは11年間というグループ発足から乃木坂46を見てきたメンバーだ。
卒業されることには、「卒業おめでとう」と思う反面、まだまだグループをけん引して欲しいと思える人だった。
詳しいことは何も分からないにわかファンではあるけれど、乃木坂46のまとまり感は、どこか秋元真夏さんの人柄もかなり影響していたように思う。
こみちの悪い癖は、ある程度の段階で満足してしまうこと。
なぜなら、絵を描きたいからではなく、絵を描くことで感じた感覚を残したいと思っているから。
それが誰かのためではなく、自身の記憶や思い出になれば十分なので、昔は色付きの絵さえも描かなかった。
右のイラストは、昨日に紹介してから気になる部分をさらに描きこんだもの。
厳密には帽子や着ている洋服、髪の毛など、まだまだ本当は手を加えられる部分もある。
金川紗耶さんという方をイメージするために、残すべきポイントだけで描けたら、それは最高の似顔絵になるだろう。以前にも話をしたけれど、こみち自身が目指しているのは、自身の感覚を「図形」として描き残すことで、写真そっくりに描くことでも、デフォルメされたキャラクターでもない。
左側のイラストは、昨日に公開した時のもの。
比べてみると、金川紗耶さんという人物、さらに肌の凹凸や、微笑んだ時の表情筋の動きを示しているだろう。
ただ、個人として「金川紗耶さんってこんな表情をするなぁ」と思った印象は同じで、違うのは描きこんだ方がよりそのイメージを絵に落とし込めているということ。
それこそ、画像を下絵に描けば、寸分の違いもなく簡単に描けるのは分かる。
でもそこに意味を感じないのは、写真のように描くことが目的ではないから。
重さ100キロくらいの大きさに感じたら、そのイメージを描きたい。
美人だと思ったら、どう美人だったのかを描けたら嬉しい。
でもそれを表現するための画力を身につけるのは容易ではなくて、例えば今回のイラストで言うと、笑った時の頬の盛り上がり方に特徴があって、そんな風に表情をはっきりと示すことができるのは、顔立ちの性ばかりではないと思う。
つまり、内面の動きが表に出た部分で、それがどこにどう現れているのかを観察して描くことが楽しい。
その意味では、二つのイラストの根本的な評価はほとんど違ってはいなくて、むしろ、もう少し画力があったなら表現できたであろう部分が描けていない。
もっと上手くなりたいなぁと思うのは、写真に寄せたいからではなく、感じた雰囲気をさらに限界近くまで落とし込めないもどかしさが残るから。
とは言え、既に気持ちのどこかで満足しているでしょう。
そこがこみちの弱点。成長しない理由とも言える。
今回も乃木坂46の金川沙耶さんを描いている。
絵を描く人であれば、このアングルって苦手意識はないだろうか。
こみち自身も得意ではなくて、やや上に向いた視線を維持して描き切るのが難しい。
さらに、前回は金川沙耶さんらしさを見つけられず、誰を描いてのかも分からないままになった。
今回は金川沙耶さんらしさを見つけたくて、再挑戦している。
もちろんこれで完成ではなくて、むしろここからどれだけ描き込めるのかが問われている。
いつも、この辺で満足感が出て、最後まで描き続けるモチベを消失させていたから、慎重に取り組みたい。
肌の質感、唇や目元の描き込みとまだまだ修正箇所が残っているが、現段階を紹介させてもらったのは、ここで手を抜かない決意を示したいと思ったから。
最後まで頑張ります。