豊本さんの表情を描く
コント終盤、角田さんが被っていた帽子を被り、どこか笑いを誘う表情の豊本さんを描いてみました。
掲載したものは、まだまだ製作の途中で、全体的に色が乗ったというところ。
どこまで時間を掛けて再現するのかできるのかが問題ですが、これからもう少し描き込んでいきたいと思っています。
相変わらず、描くのが遅く、ボチボチの製作ですが、またyoutube にも掲載したいと思っています。
近いうちにアップしたいです。
コント終盤、角田さんが被っていた帽子を被り、どこか笑いを誘う表情の豊本さんを描いてみました。
掲載したものは、まだまだ製作の途中で、全体的に色が乗ったというところ。
どこまで時間を掛けて再現するのかできるのかが問題ですが、これからもう少し描き込んでいきたいと思っています。
相変わらず、描くのが遅く、ボチボチの製作ですが、またyoutube にも掲載したいと思っています。
近いうちにアップしたいです。
今回描いた一枚は、こんな感じに仕上がりました。
意識して取り組んだのは、肌の厚みです。
例えば唇を線として描くのではなく、唇の分厚さをしっかりと描くことで、表現に深みを持たせたいと思いました。
一方で、ジャケットのシワは、基本的な描き方で省略し、もう少し時間を掛けて描くことで2段階は詳細に表現できると思います。
まだまだ描くのが遅いので、全部に力を注ぐことが難しいこともあって、ポイントを絞って少しずつ上達できるように取り組んでみました。
短い時なら15分くらいの隙間時間に、ちょっとずつ描いています。
まだ制作途中ですが、ここからどんどん描き込んでいこうと思っています。
それこそ編み物とか、読書をするような感覚で、絵を描く時は集中している時もあれば、ラジオやテレビ、youtube を見たり聴いたりしながら、同時にすることが多いです。
頭の中を空っぽにして、手だけ動かしている感覚が心地いいです。
ただ、今回のイラストはもう少ししっかりと描きたくて、いつも描く時に使う色数が24だとしたら、その倍や3倍くらいで描きたいなと思います。
今年も自由気ままに描かさせて頂きました。
まだまだ拙いですが、懲りずに覗いてくださったみなさん、本当にありがとうございます。
来年も特に抱負のようなものはありませんが、今年同様に細々と気ままに描いていけたらと思います。
最後の一枚も東京03のワンシーンから選びました。
ではでは、今年も残り少なくなりましたが、大晦日まで楽しみましょう。
そして、来年もよろしくお願いいたします。
相変わらず、描くのが遅いこみちです。
その原因は、迷いがあるからです。
最近、右のようなイラストをyoutube にアップすると、温かいコメントをもらうことが増えました。
よく描けた時は高評価も増えますし、もう一歩という時は高評価も頭打ちです。
低評価をつけられることもありますが、ある意味でわざわざ関わってくれて、教えてくれたのですから次に活かそうと思います。
少し前、これだけ誰もがスマホを持ち歩き、高画質で鮮明に撮影できる時代になって、絵を描く意味を考えたりしますが、描く楽しさという意味では苦労して描く中で、発見することがあるから楽しいと感じます。
例えば、似顔絵を描く時に、ある一本の線があるとないで全く違うことがあります。
つまりその一本が究極の線で、それ無しには成立しないという大切なものです。
例えば、絵を普段全く描かない人が、トレースして描いたとしても、その線をぜんたに眺めるといい感じで対象物を感じられます。
なぜなら、トレースはすでに撮影されたものを使うので、既に意味を持った物体になっていて、それを無意識でもなぞることで、形を呼び起こせます。
しかし、デッサンになってしまうと、経験が少ない人では急に存在感が消えてしまい、さっきまであった雰囲気が失われます。
例えば、絵が好きで描いていても、誰か別の人が描いた作品を見て、ハッと気づくことがあります。
同じように描いているのに、自身が描いた時には感じなかったのに、誰かの作品では感じることができる不思議が感覚がそれこそ究極の線だと思います。
ある意味で宿るようなもので、すぐにその洗礼を受けられる人もいれば、長く描き続けることで身につける人もいます。
一方で、好きで描いているのに、一向に上手くならないという人もいて、究極の線に出会えることがとて有り難く、でも毎回遭遇できるとは限りません。
癖が強くと言ってしまえばそうなのですが、究極の線に出会えることが楽しくて、またそんな出会いの良さを多くの人に感じてもらうために、どんな方法があるのかとも考えたりします。
何をどう描くことが、描くことの楽しさなのかといろいろ考えてみるのですが、当たり前に思い過ぎることも多くなって、実は大切にするべきだというポイントを見失ってしまっているのかもしれません。
単体の人物を描く時に比べ、複数人になるとそれぞれのボリューム感を整えなければいけません。
加えて、構図的に重なる場面では、特に距離感をしっかりと描かなければ不思議になってしまいます。
これまでにも東京03の似顔絵でも複数人を描くことはありましたが、重なる構図を選ぶのは初めてではないかと思います。
場面としては後ろに立つ角田さんが、耳元で「やってんねぇ」と囁き、その言葉に耳を傾けている飯塚さんの表情を描きこともテーマでした。
ヒソヒソと周囲に聞こえないように囁く雰囲気がどこまで描き切れたのか。
シャツのシワを含めて、まだまだ苦手な課題はたくさんありますが、絵を描くことはとても楽しくてやりがいがあります。
絵を描くことが好きなこみちですが、描いている途中で満足してしまいます。
しかし、後で見返した時に思うのは「もう少しやり切っておけば良かった」ということ。
この辺りは描くのが遅いことも理由ですが、なかなか直せない癖です。
今回は先にこのブログにて制作途中をアップしてみましたが、ここからどれだけ自身が納得できるまで取り組めるのかが課題です。
今日中は難しいかもしれませんが、明日くらいまでには「ゴール」に到着したいです。
正しい線を引けば、結果的に描きたい物が描けるようになる。
こみちは絵以外にもランニングが趣味で、2つは似たような感覚がある。
「走る」ようになったのは、約1年前から。
運動不足解消というよりは、気分転換が大きな理由だった。
あの頃、いろんな面で上手く行かなくて、気持ち的に行き詰まっていた。
笑えなかったし、楽しめなかった。
「流れ」を作ることができればいいけれど、何も感じなければいいけれど、そんな風にもならないから、前にも後ろにも行くことができなかった。
上手いとか、下手とかではなく、単純にこみちにとって「絵を描くこと」が振り返った時に残ったもので、絵を描くことだけは嫌いになりたくなった。
右上の絵は、東京03のコントシーンを描いたもの。
以前からよくモチーフとして描いているけれど、最近は少し画力が試される構図に挑戦している。
顔のアップを基本としたシンプルな構図。
実際に描いてみると、表情や仕草がしっかりと描く必要がある。
こみちは、正面からの顔を描くことが好きではなくて、理由はシンプルに「その構図の良さを活かしきれない」から。
奥行き感のない絵は、とても狭い世界に見えてしまう。
まだ、こみちは自分の描いた絵を作品とは思っていなくて、「図」に近い。
以前にも紹介したように思うけれど、文字で伝える情報とは異なるアプローチで「絵」を使っている。
だから、スケール感や重量感、色味や空気感のような「雰囲気」を描くことはとても大切だと思っていて、言えばそこ場面を自身のフィルターに通して描くことも心掛けている。
こみちがこれまでに何枚も描く中で、癖というかタッチというか、描いたものの中にこみちらしいテイストが生まれて、「こみちっぽい絵」になることで伝えられるものがあると思う。
そのためにも、よりシンプルな構図をしっかりと描くことが大切で、ここ最近はそのことを意識して絵を描くようにしている。
ランニングを全くされない人には、具体的なイメージが浮かばないかもしれないが、最初は誰だって300mだって走ることができない。
でも、「走る」という動きをいくつかの視点や動きに分解すると、それぞれの意味やポイントが見えてくる。
つまり、できない理由や原因があるからこその結果で、逆を言えばそれらが全くないのであれば、結果的に現状は今に留まっていなくて次のステージへと向かっているだろう。
上手くいかないことって、やっぱり理由があって、その原因を解消しないとずっと変わらないままだ。
絵は、自分でコントロールできるし、苦手を克服すれば段々と思うようになってくる。
絵を描くことしかできない理由はそこにあって、もしも描くことを取り上げられたらこみちには何も残らないように思えてしまう。
今回選んだワンシーンは、振り返った豊本さんの少し驚いた表情。
目鼻口のバランスがなかなか掴めずに、苦労しました。
似顔絵というよりも、今回はしっかりと表情を描いて行こうと思って挑戦した回になります。
一瞬を表情なので、時に普段の見慣れた顔立ちと異なることもあって、知っている「豊本さん」との違いがあまりに大きいと、描いていても迷ったり、自己修正が入ってしまったりします。
今回はボーダー柄の上着はササっと軽く印影を付けただけで描きました。
まだまだ特長を掴みきれていませんが、そんな焦ったさも含めて、描くのってやはり楽しい作業です。
「見たままの情景を描きたい!」という気持ちは、絵を描くことが好きな人であれば、誰もが持っているのではないだろうか。
東京03人気コント『部長のいい話』は、部長役の角田さんがかつての部下である飯塚さんや豊本さんに「いい話」をするネタだ。
「自分一人では何もできない。だから、他人を受け入れる心を持つこと」
そんな感じの「いい話」を今は部下を持つ立場になった彼らに伝える。
でも、お酒も飲んでいたらトイレにも行きたくなるもの。
いい話の直後に彼らは連れ立って席を立ち、角田さんは一人ぼっちになってしまう。
「いい話をした自負がある」
感想や余韻が欲しいタイミングで一人にされると、余計にもの寂しさが強くなってしまう。
描いたのは、そんな場面を迎えた時の角田さんだ。
背中の曲がり具合。
不満気な口元。
身長が多分、170センチから175センチくらいの角田さんだから、そのスケール感も極端過ぎてはいけない。
なぜなら、プロポーションを整え過ぎると、急にリアリティが失われ、例えば今回の描きたい「孤独感」や「もの寂しさ」が薄れてしまう。
「場の雰囲気」をどこまで描けるのかが最近のテーマだから、できる限り感じた印象そのままを再現したかった。
強いて言えば、もう少し背景との距離感やそこにある空気感まで表現できれば良かったけれど、スーツのシワや体の厚みや存在感は、今の画力なら上手く描けた方ではないかと思う。
胸から上の、しかも描くのは1人だけ。
人物画としては馴染みのある構図です。
でも、定番の構図故に、逃げや言い訳ができないとも言え、プレッシャーが掛かります。
今回は角田さんの表情に挑戦しました。
結果から話せば、思うような表情を描くことができませんでした。
ここから、いろいろと弄って、表情の根源となるポイントを見つけるのですが、結果見つけることができなくて、寄せきれませんでした。
「誰を描く」ではなく、「どんな雰囲気を描く」のかにこだわっているので、全く印象が違って見えるので、今回の一枚は反省の多いものになりました。
こみちの場合、描きたいものが全て描ける訳ではなくて、最初はリンゴとかコップのような「形」を追うことに終始して来ました。
そこから例えば人物とかに対象が変わるのですが、今でも女性は苦手です。
理由はいくつかありますが、「形」としては難しくないのですが、「人間っぽさ」という意味で難易度がもの凄く高いからです。
人形ではなく、生身の人間という表現が不足していて、例えば、20歳の女性と40歳、60歳と描き分けられるのかというとその画力がありません。
誇張された喜怒哀楽が描けても、含みを持たせた微妙な表情となると、やはりまだまだ描けなくて失敗続きです。
今回、東京03の飯塚さんのこの表情に挑戦したのですが、コントのタイトルにもあるように「義兄弟」である角田さんが自分よりも年下だと気づいて、「俺の方が年上かよ」と態度が豹変したシーンです。
怒るという表情でもなく、悲しむというものでもなくて、年齢というそれぞれの中にある敬いのような感覚が、態度や言葉遣いまでも変化させる東京03らしい感性が現れた場面で、じゃあその表情を「写真的」ではなく、感情的にどこまで描くことができるのかと興味を感じて来ました。
多分、半年前の画力ではここまで細かな表現はできなくて、コツコツと描く中での気づきが蓄積されて、できなかった表現方法に到達できるのかと思います。
なぜ描くのか?
特に特徴のない風景でも、BGM次第で印象が変わります。
明るい音楽なら、何かワクワクした気持ちを連想させますし、暗い音楽なら何か人の内面に触れるようなもの寂しさを感じるでしょう。
こみちにとって描くとは、目で見えている「景色」ではなく、「BGM」の方が対象で、つまり東京03の飯塚さんを描いているというよりも、その瞬間にそこにいる飯塚さんの「雰囲気」や「存在感」を描きたいと思っています。
真正面の無表情な人物画を写真のように描くことはあまり興味がなくて、でも一周回って、「感情を失った時の表情」という意味ではまた描く目的が生まれます。
ある意味、描ける範囲が広がることで表現力も増えると思います。
まだまだ描けない領域がたくさんあって、描いているものでも、本当に描きたい領域まで踏み込めていなかったりもして、「描くこと」の難しさと楽しさをいつも感じています。
こみちは才能がある訳ではなくて、好きでずっと描き来ましたが、結局ののところ、描くことしか出来ない人間かもしれません。
写真を撮ったり、ギターを弾いたり、ランニングもするのですが、「絵を描く」ということほど向き合ってはいません。
きっとそれぞれの分野にも、絵を描くことと同じくらいいろんな要素があって、向き合い方があるはずです。
でもそこまではまだまだ到達していませんし、絵でいう目の前のりんごを描いて楽しんでいる感覚です。
もっと上手くなりたいなぁと思っていますが、先に進むほど時間の割に進歩が感じられなくて、数ヶ月とか半年くらい経て変化を感じるようなところでしょうか。
今回の一枚も、まだまだ不完全ですが、それでも半年前ならここまでは表現できなかったと思います。
だから描くのは面白いですし、「コレ、描けるかなぁ?」という興味は、形としてだけではなく、存在感や空気感まで含まれているように思うのです。
今回、描いたシーンはコントラストが強い場面。
選んだポイントは、角田さんと飯塚さんの二人がいて、飯塚さんが手を伸ばして角田さんに触れていたから。
似顔絵を描く時に、一人だけの場合は必要ないけれど、複数人になるとサイズ感や色味など、いろいろと関係性が気になってくる。
その辺りの描写力は、とても重要だと思っていて、例えば街並みを描いた時も建物や道路だけではなく、そこに居合わせる人など「関係性」があってこそ。
今回のシーンでは、不満顔の角田さんに手を伸ばして制している飯塚さんという関係があって、理由が原因は別としても、左腕を押さえられて立ち上がることが阻まれた雰囲気を描きたかった。
さらに細かなことを言えば、柔らかい生地であろうポロシャツを着た角田さんに対し、綿のTシャツにシャツを羽織った飯塚さんがいることも、光の当たり方で表現できていたら嬉しい。
今回の場合はブラック系の単色で、でも二人の後ろにある奥行き感が感じ取ってもらえたら、さらに嬉しく思う。
写真(画像)の完全コピーも、描画力を向上させる大切な練習ではあるけれど、機械的なコピーにならないように、描いた側の癖やタッチがいい感じに残されていて欲しい。
多分、今回のイラストは、トータルで10時間くらい掛かっていると思うけれど、これをさらにあと50時間使うと画質はかなり向上できると思う。
でも描くという意味では、「高画質」であることよりも「雰囲気をどう伝えられるのか?」にこだわりたい。
前回のイラストでは、角田さんと飯塚さんが抱き合っているシーンで、人が「奥行き」として存在し、それが二人になって抱き合った時にも、人としての厚みを損なわず、存在感を残して描くことを目指したかった。
東京03の「返信メール」は、想いを寄せる相手からなかなか返信メールが届かない飯塚さんが落ち込んでいる場面から始まる。
そこに豊本さんが突っ込み、さらに角田さんが現れて落ち込む飯塚さんに絡み始める。
勢い余って、角田さんが飯塚さんを抱き寄せた。
そのタイミングで、飯塚さんが放った「強めに抱く〜」というセリフが特に好きで、今回はそのシーンを描いてみた。
二人とも白い衣装で、しかもシワが出来やすい。
描く上では、画力が試されるモチーフなので、どこまで描けるか個人的にも試してみたかった。
「絵が上手い」と言われるためには、卓越された画力を目指すことだろう。
でも絵描きと呼ばれる人の大半は、「上手い」ということを重視していないのではないだろうか。
こみちの場合、「コレ、描けるかなぁ?」という気持ちが描くモチベーションになっている。
〇〇さんに似せた絵。喜怒哀楽が伝わる絵。
本音を言えば、もうその辺りには興味が薄い。
例えば、テーブルの上にりんごが1つ置いてあって、それを描くことになったとしよう。
「りんご」を描くとか、写真に見えるほどリアルに描くとか、確かに描こうというモチベーションにはなり得るけれど、描く前から完成度ってある程度見えていたりもする。
でも、描こうとしたりんごに、何か特徴的なキズがついていて、そのキズを見たら別の情景を連想させるような事情があったなら、絵描きはその背景を「描けるだろうか?」と張り切るだろう。
料理にしても、店で食べる味と家で食べる味に差があるのは、「味」には環境や雰囲気のようなものが強く影響するだと思うし、その描写に対して社会経験が伴っていない鑑賞者だと何を意図しているのか気づかないことも多い。
その意味では、りんごを「りんご」として描いたり、「写真っぽく」描いたりことは、見る側に予備知識がなくても鑑賞できるような絵だったりする。
一方で、絵描きが描きたい絵とは、段々とそんな類いから逸れて、見た瞬間に過去の経験や感情と結びつき、「もしかして?」と心を揺さぶることに目的があるのだろう。
つまり、描かれた「りんご」を見た時に、幸せそうな情景が浮かんだり、何か物寂しさが感じられたり、そんな「りんご」を通じて感情表現できたら、絵は存在価値を持つのだろう。
学生時代は喜怒哀楽の全てを満遍なく描いてみるのも大切だけど、社会人になって描くのであれば、自分にしか伝えられないような「気持ち」を表現したい。
人物画、風景画というジャンルに偏りがあったとしても、絵を見ただけで誰が描いたのか分かってしまうほどの感性を絵に盛り込めることが重要だからだ。
いつだったか、漫才のネタは同じなのに、漫才師が変わるとウケ方が違ってくるという映像を見たことがある。
「誰が何を喋るのか?」以上に、漫才師の仕草や間が笑いに大きな影響を与えているという証拠だ。
「あの人、絵が上手いよね!」
そう言わせてしまう原因は、まだまだ絵に中身が伴っていないからとも言える。
「上手い」と褒められることは嬉しいことだけど、その情景や空気感までも描き、見た瞬間に「この気持ちって何だろう?」と言いようのない感情の揺さぶりまでできるようになりたい。
今回はこのシーンを選びました。
人物画を描く時に気をつけているポイントがあって、いわゆる「似顔絵」的なものではなくて、その人の雰囲気を目指しています。
具体的には背丈や重みから来るその人の存在感をどこまで描けるのかを意識しています。
飯塚さんと豊本さんの場合、多分身長的には豊本さんの方が高いはずで、また意外と肩回しも大きくて、でもだからこそ二人が並んだ時には少し猫背気味に立つ癖とかも描きたいと思っていました。
また、絵を描く人にとっては、衣類のシワをどう描くのかは気になる所ですが、雰囲気でパターン的なシワで誤魔化すこともできますが、イラスト的な仕上げではなく、写実的な仕上がりにしました。
腰に巻いたツナギの上着部分のボリューム感も今回の課題になるので、ベース色の青色を基本に、数段階色を使って描きました。
背景のロッカーも加え、立ち位置との距離感も明確になって、画面全体に統一感が出て来たら嬉しいです。
描くことがこみちにできる唯一のことでもあるので、少しずつでも成長できていたら良いのですが…。
みなさんは絵を描いているでしょうか。
右の一枚。
個人的には、「描けるかなぁ?」という気持ちになったモチーフです。
ポイントとしては、ロウソクに灯った炎。
「嗚呼、火がついているなぁ」と無意識に感じ取れるくらいに描けたことです。
そして、もう一つのポイントが、その炎の明かりで照らし出された手や袖の反射具合を表現できること。
最後がグラスを忠実に描くことですが、これに関しては今回特に課題にはしませんでした。
鮮明な元画像を再現するのとは異なり、ある程度の粗さがある場合には、描き手が不鮮明な部分を補いながら描くことで、経験値を活かそう思う部分と、見えたままをどれだけ無で描けるのかという矛盾を抱えます。
今回もトレースやグリッドによるガイドを使っていないフリーハンドなので、元画像と全く同じに描くことはできません。
その代わりに、場の雰囲気や空気感を優先的に伝えることが期待でき、今回の描画でその何割かが再現できていたら嬉しいと思います。
冒頭に挙げたいくつかポイントの他に、両腕を前に伸ばしたことで、胴体との空間が作られています。
それはロウソクの炎の明るさによって視覚的に伝わるものですが、反省点としては腕部分のハイトーンをもう少し抑えることで、全体の距離に統一感が生まれたと思います。
手に関しても、階調としてはもう少し段階を分けて描くこともできたのですが、制作時間にも限りがあったので、時間との兼ね合いで省略したことが全体的の完成度を下げてしまったように感じます。
単純に人物画を似顔絵として描くのではなく、表情や仕草からその場の雰囲気や内面まで描けたらと思っていますが、今回に関しては顔が含まれてはいないので、気持ちというよりももっと美術的な要素として描くことを楽しみました。
暗闇を描くとか、照らされた部分と影の部分を描き分けるような表現は、必ず必要になるものなので、現時点でどれくらいの描写ができるのか確認できる課題でもありました。
修正点や課題もありますが、全体的には満足できる部分も多く、描いてよかったと思います。
どうでしょうか。
今回は特に描きたいと思ったシーンを選んでみました。
ただ、画力が露呈するので、ちょっと自信はありませんが…。
豊本さんが演じるモトコさんに掛かってきた電話が気になって、後ろから忍び寄る角田さんを描きました。
まだまだ細かな部分は描ききれていませんが、雰囲気が伝わっていたら嬉しいです。
ふつう、コントなどのタイトルは、その内容を象徴するようなものから命名させます。
つまり東京03の「誰?」というタイトルのコントでは、誰か誰かに正体を聞きたくなる場面があって、そこに何らかのドラマが潜んでいることになります。
実際、冒頭シーンでは角田さんと豊本さんが二人並んでソファーに腰掛け、豊本さんが演じるモトコちゃんの失恋が根底にあって、不安な気持ちを癒そうとして角田さんが話掛けていたはずです。
今回描いたワンシーンは、角田さんが片手を高く上げて遠くを指さして、「誰〜!」と叫んでいます。
ある意味で、このコントのタイトルが命名された代表的なシーンです。
それ故に笑いがあって、コントとしても大きな盛り上がりになる部分です。
東京03の作るコントは、タイトルから連想されるストーリーとは別角度の「裏設定」があたりします。
その意味では、この「誰?」についても同様で、最後の「オチ」は意外なひと言で終わります。
さらに、この「誰?」では冒頭から繰り返しの「セリフ」が登場し、無意識のうちに視聴者の頭に大きなフリとして認識することでしょう。
話が進むにつれて、その「セリフ」を意識して、ジワジワと笑いを生み出します。
今回、ピックアップしたワンシーンは、コントの冒頭シーンですが、東京03が人気である所以は、仕草の一つひとつがしっかりと演出されていることでしょう。
見ていただいている「絵」ですが、角田さんと豊本さんの役柄はどんな風に見えるでしょうか。
男女だから恋人同士?
でも角田さんの姿勢は少し手すりに寄りかかるようで、親身な間柄には思えません。
しかも、女性役の豊本さんも両手を組んでいて、決してリラックスしているだけではなく、どこか緊張しているようにも見えないでしょうか。
また、膝頭の向きと手の位置に着目しても、角田さんがどこか落ち着かない様子に見えますし、豊本さんは膝頭を角田さんに向けてもいません。
もしもカップルのような関係なら、きっと二人の距離が離れていたとしても、どこか向き合うような空間になることでしょう。
実際、この『誰?』では、角田さんが以前にフラれた経験のある友だちで、豊本さんの家に来ている設定です。
絵を描きながら、東京03の作るコントはストーリーもそうですが、演技という意味でもとても魅力的です。
だからこそ、その雰囲気を感じ取って描いてみたいと思うのです。
場面としては、もっと注目度の高いシーンがあるのですが、絵を描く者としてはあえてこのシーンを選んでみました。
なぜなら、単純に「男女がベンチに腰掛けている」ということではなく、今まで紹介したような設定があって、それに相応しい表情や仕草で彼らは演じているからです。
目標として、描かれた人物が誰なのか分かるということではなく、ある意味で心理のようなものまで感じ取れる絵を描けたらと思っています。
まだまだその域には到達できていませんが、今後もコツコツと描き続けて行きます。
コント「気遣い」は、何か気を利かせて「してあげる」だけではなく、「何もしない」こともある。
東京03のコント「気遣い」では、サラリーマンの先輩と後輩という立場で、後輩役の豊本さんは何かと積極的に先輩の飯塚さんに気を配る。
一方で、もう一人の後輩、角田さんはこれまで表立っては何もしなかった。
「お前、オレに何もしてくれたことがないよな!?」
という飯塚さんに問い詰められて、角田さんが「なんか〜」と語り出し、いつも積極的な豊本さんの行為をいじり出した。
それを見て、飯塚さんも思わず自身の胸に手を当てて、「ドキ!」とあざとさを示す。
コントではとても重要なワンシーン。
今回はそんなシーンを描いてみました。
精密画ではありませんが、コントの雰囲気が少しでも伝わっていたら嬉しいです。
相手を思って、気の利いたことをさり気なくできる人を見ると大人だなぁとかんじます。
例えば、学生時代よりも、社会人になって気づくのは、「気遣い」の質。
「喜ぶ顔が見たい!」という素直な動機ならまだしも、「コレをすれば…」とどこかで自身の評価を見越して行動してしまうこともあるはず。
東京03の人気コント『気遣い』は、後輩の角田さんと豊本さんがまだ会社で残業している先輩の飯塚に会いに行くという設定。
すかさず豊本さんは缶コーヒーを買って、飯塚さんに届けます。
もちろんそんな気遣いに飯塚さんも喜び、ふと何もしない角田さんに「何かしてくれ!」とこれまでの鬱憤が一気に吐き出されます。
ところがあるタイミングで、角田さんが「なんか〜」と言い出します。
そして、そつの無い豊本さんを「お前は良いよなぁ」と意味深な発言をして、そんな行為をどこかで気恥ずかしいと語ります。
そして今回描いたワンシーンへと移ります。
「やってる〜!」
見え見えなことを平気でできる人と、それを見て真似できないと引いてしまう人。
「気遣い」というコントのタイトルの意図が明らかになります。
確かにさり気なくできれば良いのですが、どこかスマートじゃと周りからはアイツ「やってる〜」と思われているのかもしれません。
東京03のコントが好きで、繰り返し何度も見ています。
脚本としての完成度もそうですが、お三方の演技力と個性の調和が絶妙で心地よくていいんです。
今回、選んだこのシーンは、先輩役の飯塚さんが以前から気になっていた後輩角田さんへの気持ちを爆発させた場面。
文字で伝えるという方法もありますが、描いて伝えるという方法もあります。
描いて伝えるためには、それぞれが誰で、手足の動きや表情をどこまで表現出来るのかも重要になるでしょう。
一人の人物が立っているのとは違って、複数名になれば大きさも重要ですし、動きや力感、奥行き感など、省略できないことも少なくありません。
だからこそ、どこまで自身の画力で再現し、それを誰かにお伝えできるかにこだわってしまうのです。
昔、今みたいにデジタルアートではなく、筆で描いていた頃、季節感や時刻をとても上手に表現される憧れの画家がいて、その方のフィルターを通して見える作品は独特の雰囲気にあふれていました。
まぁ、カメラでも厳密に言えば使うレンズメーカーや種類によって、それぞれの個性があるのですが、作風とか画風を自分なりに見つけるまでかなり悩んだ時期と重なり、とても勉強になりました。
「こみちっぽい絵」と言われることに憧れましたし、それはある意味で癖とかタッチから作られたものだと思います。
世の中には上手い絵を描ける人はたくさんいると思うのですが、どこまで雰囲気を伝えられるかは奥が深くて、だからこそずっとこだわりながら描いて来たつもりです。
まだまだ、本当に描きたいレベルには遠く及ばないのですが、これからももっと描き続けて、さらに憧れていた領域にたどり着きたいです。
東京03のコント『魔が差して』は、不倫を題材に練られたネタです。
「魔が差して」というフレーズからは、浮気を問い詰められた時によく使うセリフでしょう。
しかし、東京03のコントでは少し違います。
このシーンは、ぬいぐるみを夫役の角田さんから投げ渡されて、妻役の豊美さんが受け取ったところです。
何やら浮かない表情を浮かべた豊美さんですが、どこまでそれがしっかりと描写できたでしょうか。
豊本さん演じる「豊美さんに似ている」ではなく、コントで重要な場面であるこのワンシーンの雰囲気をどこまで再現できたのかがポイントで、こみちとしても内面まで描けることを目指したいです。
正直なところ、羽織っているカーディガンの編み目などの描写が乏しく、もう少し時間を掛けて再現するべきだったと思います。
ただ、豊美さんの顔や髪を描くことで、かなり限界を迎えていたので、全体としての完成度が下がってしまいました。
女性を描く難しさを実感しながらも、試行錯誤を繰り返してみました。
全体に色が乗った段階で、ここからはさらに詳細な描き込みに入ります。
まだまだというか、先が見えないほど修正したいポイントがあって、どこまで追えるかが問われている感じです。
現段階では、肌のトーンを修正している途中で、特に右サイドの陰影に悩んでいます。
髪の毛も3段階くらいのトーンで分けてみましたが、まだまだ修正しなければいけません。
全く先が見えないです。
完成と呼べるところまで描けるのか、こみち自身も分からなくなって来ました。
今回は似顔絵というよりも、新しい描き方を試みた一枚です。
こみちが描く絵は、芸術的な作品ではありません。
こみちが見た、感じた光景を文字ではなく、絵で表現できるための過程です。
なので「誰か?」ということよりも、「何を伝えたいか?」が大切だと思って描きています。
そのためには、性別や年齢、表情、さらに言えば存在している場所や時刻なども盛り込めるようになりたいのです。
なぜなら、そこには意図や流れがあって、その一つずつが意味を持ってそこに存在しているからです。
しかしながら、こみちの画力では全てのシーンを描くことがまだできません。
なので、少しずつですが描ける範囲を広げて、今以上に感じたことを絵で表現できる人になりたいです。
正直、こみちはあまり器用に生きられるタイプではなく、何度も同じ場所をぐるぐると回ってしまいます。
でもだから、こうして絵に出会い、ずっと絵を描くことを続けて来られたとも思います。
ボチボチの公式にはなりますが、この場をお借りして描いた絵を紹介させてください。
いつも応援してくださる方々、本当に感謝しています。どうもありがとう。
昨今、「描くこと」自体はaiでできてしまう。
今回もaiの作画を見て、ポイントを学ぼうという話。
前回のイラストに比べて、もう少し加筆してものが右のイラストです。
光の反射を加えた段階で、一方でまだ途中の影の部分まで描けると急に立体感が伝わると思います。
髪の毛の描写などは、大まかな色づけだけですが、もう少し精密に色づけできると「髪質」が伝わるでしょう。
個人的には、女性の肌質を描くのは難しく、その色味の変化をしっかりと追えたら今後、描ける範囲が増えるはずです。
今はまだイラストと分かるレベルですが、どこかで写真っぽく見える境界線を、今回学べたら嬉しいと思っていて、もう少し加筆を続けたいと思います。
絵を描いている時に「これだ!」と自分でも感心する「線」があって、その線が不思議と絵の中心的なイメージを作ります。
完成したイラストだけを見ると、誰かの背中で、脇にもう1人が立っていることに気づくでしょう。
元々は東京03のコントのワンシーンですが、見えている背中は成人男性な骨格です。
背景のエンジ色のひだに影ができて、そこに二人が向かって何か話しているようにも見えます。
脇に立つ人の背中にも影ができて、二人の距離感も伝わるでしょう。
絵をアップにすると、決して精密画ではなくて、でも先に紹介したようなイメージは伝わると思います。
個人的に、喜怒哀楽のような感情ばかりではなく、もっと曖昧で中途半端な感情がある場面を描くことにこだわっています。
写真や画像などスマホが身近にあるので、わざわざ描くと言う行為に価値が薄れているようです。
しかも最近では、aiによる高度な描写が可能になって、我々が何年も掛けて練習する必要がなくなってしまったとも感じます。
真面目な話をすれば、翻訳家や税務関係者など、他にももっとたくさんの職種で、従来の知識や技術がaiに置き換わろうとしている気がします。
まだ途中段階のイラストですが、ここから精度を上げてリアルな描写に到達するまで、例えば数時間、数日が掛かるとして、そこに時間を注ぎ込むだけの価値があるのかと言うとかなり考え方次第になって来ます。
まず、描くとはどんなことでしょうか。
少なくともこみちにとって描くとは、自己表現の一つで、もっと別の言い方をすると自分が何をどう見てどう感じたのかを伝える手段です。
つまり、その意味では「写真を撮る」結果、撮影できた画像が自身の心情を代弁しているのかということになり、もちろんカメラ撮影も興味深い行為ですが、やはり絵を描くことも価値を失われるものではありません。
なぜなら、自身には「こんな景色に見えた」という表現ができて、そのことが他の誰かに伝わったのなら、描く価値があるからです。
むしろ問題は、右上のイラストをリアルに描くことがしたいのかということ。
元の画像をそのまま模写しても、そこにできたのは自分の気持ちではなく、あくまで撮影者の心情に寄り添ったに過ぎません。
それはaiが描くことも同じで、仮に写真と見分けがつかない品質だったとしても、作り手の想いが伝わっているのかというと疑問が残ります。
描く行為が難しいと思うのは、着色することよりも、そもそも何をどう描こうと思ったのかという部分だからです。
目の前のりんごを描きました。
事実としてはそうですが、それで何を伝えたかったのかという部分が見つかりません。
つまり、デッサンのような練習は技術向上には役立ちますが、どんなに上手くなっても「伝えたいもの」ということにはなりません。
aiの発展に恐れているというよりも、写真と区別がつかないことが最終目標になってしまうことに怖さを感じます。
極論を言えば、人間の生産行為をすべてaiがになって、人間はただ三度の食事をするだけの存在になってしまうことを目指しているのかということ。
自動運転が当たり前になって、スマホで家まで車を呼び出して、乗り込めば目的地まで勝手に届けてくれる。
そうなれば、運転免許も必要ないですし、燃料は太陽エネルギーで賄えて…。
でも、その内、我々がどこかに出掛けることもなくなるでしょう。
名産品や特産品はオートメーションで作られて、自宅まで配送してくれるからです。
何なら各地の景色もバーチャルで体感できるでしょう。
そんな時代に、描くことってどんな意味があるのかと。
今回、aiによるイラスト真似て、自身でどれくらいリアルに描くことができるだろうと練習も兼ねて描き始めたのですが、ここまで描いてふと描く意味に行き詰まりました。
みなさんはどんな想いで、描いたりしているのでしょうか。
東京03の人気コント『魔が差して』は、夫婦の浮気をテーマにしている。
妻の浮気を疑い、予定を変更して急に帰宅する夫。
家での密会中だった妻は、慌てた様子で夫を出迎えた。
描いたシーンはそんな場面。
コントとしては序盤のシーンで、ここから面白い展開になるところ。
テーブルの上の灰皿に、夫の知らないタバコの吸い殻があって、それを問いただした場面。
「誰の吸い殻だ?」
「ああ、私」と咄嗟に嘘をついた妻。
真っ直ぐに夫を見られない妻の手を重ねて立っている様は、何かこれからの展開を予感させる。
みなさんは、何歳の頃から描いていますか?
こみちの場合は園児だった頃からでしょうか。
よく覚えているのは、「ミツバチ」を描いた絵で、親が「これ、こみちが描いたの?」と言って「そうだよ」と答えた時に別の紙にもう一度描かされたことがありました。
三歳とか四歳にしては上手過ぎたのでしょう。
小学生の時も、学校の写生大会で茶色だけで風景画を描いて再度描き直しさせられたり、印影だけで京都の五重の塔の風景画を描いていたりと、思い起こせば「絵」との関わりは親身でした。
学生時代はバイクが趣味で、学校が長期休暇になるとツーリングに出掛けてはスケッチ旅行をしていました。
当時は今よりもずっと画力がなくて、鉛筆画や水彩画ばかり描いていました。
社会人になって、あまりバイク旅ができなくなって、小さなスケッチブックを持つようになって、もう水彩画はやらなくて、線画だけの簡単な絵ばかり描いて来ました。
当時住んでいた家から会社までの風景を、その場で5分とか10分くらいで簡単に描き取る感じで、街並みや駅のホーム、ランチで食べた料理など、文字で書き残す感覚で気になるものを描きました。
その頃はまだ「形」を描くことにこだわっていて、雲や暗所など、色の境が曖昧なものが苦手で、多分鉛筆画が多かったからもありますが、単品が多かった気がします。
そこからサイズ感とか距離感、空気感を描きたいと思うようになって、さらに今は「心情」や「雰囲気」を共通の意識してテーマにしています。
ライフワークというとなんだかカッコ良く聞こえますが、本当に「描くこと」しかできないんです。
それくらい、描くこと以外は長続きしませんでした。
決して上手くはありませんが、ボチボチと描いているので、よかったらまた覗いてみてくださいね。
実演販売員に扮した角田晃広さんが、通りかかった客役の飯塚悟志さん相手に声を掛ける。
いつものセールトークを始めたものの、飯塚さんは「無」の反応を示す。
そんな態度に苛立ち、怒り出す角田さん。
その時に見せる表情は、ここ最近あまり見なかった表情に思える。
だからこそ、懐かしさもあって描きたかった。
もしかして「あの表情?」と、共感できたら嬉しい。
絵を描く目的はいろいろあるけれど、「りんご」をりんごっぽく描くことも大切だけど、「あのりんご」をどう伝えられるのかをとても大切にしたい。
脳内にある「虚像」を描くよりも、「目の前」にあった実在感を自在に表現できるようになりたい。
似顔絵を描く時に、本人の雰囲気をどう取り込むのかが描き手のこだわりでしょう。
こみちの場合もそうでした。
ただ「似ている」ということではなく、「雰囲気」や「空気感」のようなそこに居ることで感じた感覚を自身が描いた絵でも感じて欲しいというのが描きたい目的であり目標です。
東京03のコントは、どれも質が高くて、笑えるという要素の他に、人間観察による行動心理が反映されていて、興味深さも感じられるので尊敬しています。
今回、描かせてもらったコントは「アニバーサリーウォッシュ」というタイトルで、実演販売員に扮した角田さんに呼び止められた飯塚さんが見せた「無の表情」です。
一方で、似顔絵として描く時に、メガネのような印象的なアイテムが多いと、描き易くなるのですが、逆にそれらが少ないと僅かな違いで印象が大きく変化してしまうので、初心者、中級者にとっては描き辛い題材です。
ただ、これは想像ですが、上級者になると「印象的なアイテム」が描き易さになったモデルが、さらにもっと奥深い部分を描こうとした時には影響力が強すぎるあまり、その存在感をどう和らげられるのかに苦戦するはずです。
つまり、デフォルメや誇張は、描き易さにもなりますが、印象が強過ぎて邪魔にもなり得ます。
飯塚さんを描いていて、メガネも無いですし、顔立ちに特徴的な部分もないので、「似顔絵」としては描き難く、さらに「表情」まで伝えたいと思った時には、誇張などしないで見たままをいかに描けるのかに尽きるでしょう。
今回、ある意味は人物のデッサンに近く、画力が試される形になりました。
今の実力で、飯塚さんの雰囲気をどこまで捉えることができるのかも含めて、挑戦してみました。
今回は角田さんを描いてみました。
これまでも何度か描いたことがある人ですが、コントシーンの一部として描くのではなく、人物画に近いイメージで挑戦しました。
描いたのは、「セカンドプロポーズ」というコントの一場面で、不満顔で飯塚さんを振り返って見つめるというところ。
コントとしては、場面が大きく動く重要なシーンですが、描くに当たっては「似顔絵」ではなく、表情や雰囲気も大切に伝われば嬉しいです。
東京03の人気コント『セカンドプロポーズ』は、結婚25周年を迎えた中年夫婦の話。
結婚生活とはこんなものだと思って生きていた妻にとって、25周年を迎えて改めて夫から二度目のプロポーズを受ける。
「嫌だな」
妻は初めてそう思ってしまった。
そして、今日のこのキッカケがなかったら…離婚など考えることもしなかっただろう。
そんなコントの中心的なシーンで見せる印象深い演出がこのシーンだ。
描いてみて思うのは、体を傾けた二人をしっかりと描くことが難しかったこと。
服のシワや体型から伝わる感じまで表現することが思うようにできない。
こみちとしては、まだまだ勉強しなければと思ってしまう仕上がりになってしまった。
しかし、このシーンの雰囲気が少しでも伝わっていたら嬉しく思う。
東京03のコント「セカンドプロポーズ」は、結婚25周年を記念し、当時結婚式を挙げられなかった妻のトヨミさんのために、夫役の角田さんが改めてプロポーズするというコント。
しかし、「当たり前」と思っていたこれまでの結婚生活に、ふと疑問を感じ、角田さんのプロポーズに応じないというトヨミさんがいる。
自身の思いや考えを語り出したトヨミさんを今回は描いてみました。
また、見たままを描くのではなく、トヨミさんらしい雰囲気を描いてみようとも思ったのですが、画力が足りなくて思うような描写ができませんでした。
似顔絵を描く場合、ヒゲや眼鏡、髪型に特徴があると嬉しい。
逆に、サラッとした美人などは、全体の雰囲気がとても大切になるので、描くのが難しいと感じる。
飯塚悟志さんもそんな描き難い部類に入る。
まして、今回選んだのは、ほぼ顔で、出来が全体の完成度を左右してしまうだろう。
今回の出来は、右のような感じになった。
飯塚さんだと伝わるだろうか。
そして、コント中で、少し惚けたようなシーンを熱演している場面だが、その雰囲気も伝わっていたら嬉しい。
描くことが好きなので、良かったらまたこのブログを覗いてくださいね。
つくづく、自分は絵を描くことしかできないなぁと思う。
上手い訳でもないし、才能がある訳でもない。
ただずっと描くことだけは続けられて、今に至るという感じだ。
今回、大好きな東京03のコント「だけのノリ」より、飯塚さんが角田さんに問い詰める瞬間見せた表情を描いてみた。
模写という意味では、飯塚さんを描くのは難しいと感じる。
映像で見る顔と瞬間的に見せる顔が違っていて、それだけ表情筋を使っているということではあるけれど、描く側からするとイメージとのズレに迷いがある。
でも最近は「見たまま」を描くようにしていている。
「癖」を盛り込むと、どこかで辻褄が合わなくなってしまうので、できるだけ「そのまま」を描くようにしている。
今回のシーンは、画面には映っていないテーブルの向かいに角田さんの彼女役を演じる豊本さんがいて、二人だけで呼び合っている「グリリン」という愛称を飯塚さんにバレてしまったところだ。
当然、角田さんは「ヤバっ!」と思い、飯塚さんは驚きと同時に興味を持って角田さんを見ている。
そんな、角田さんにすればちょっと嬉しくない状況が、この絵から伝わっていたら嬉しい。
東京03のコント『だけのノリ』の中で、彼女役の豊本さんが彼氏役の角田さんの秘密を喋ってしまいます。
話を聞いたのは角田さんの勤務する会社の後輩飯塚さん。
表情をみてもらうと分かりますが、かなり渋い顔で「ハマツル〜」を聞いています。
また、今回はそのままを描くのではなく、豊本さんの肩幅を狭めたり変更を加えてみました。
彼女っぽい雰囲気が伝わってくれたらと思います。
会社の後輩から相談を受けて、終電がなくなるまで話を聞いてくれる信頼度抜群の先輩角田さん。
そんな角田さんが、後輩を家まで送り届けるために彼女を呼び出して…。
店に現れた彼女のトヨミさん。
後輩の飯塚さんに挨拶した時に「ハマ太郎」と名乗ってしまう。
さらに彼女は、角田さんを「グリリン」と呼び、興味を持った後輩の飯塚さんに聞かれたくなかってことを聞かれてしまう。
まさにその時の「ヤバ」というシーンを描いてみました。
営業マンの上司と部下がオフィスで仕事をしている。
ちょうど、昼頃を迎えて、上司役の飯塚さんが豊本さんと角田さんに何か出前でも頼まないかと声を掛ける。
ノリの悪い角田さんが、イジられる。
そして「スイッチ」が入り、急に明るく飛び跳ねる。
デスクを両手でポンと叩くと、その勢いで両手を挙げてみせる。
しかし、それを何度か繰り返していると、デスクに片手しかつかない時があって、「一個じゃスーン」と謎の動きを見せた。
今回ははっちゃけたシーンではなく、「一個じゃスーン」と引いて笑わせた場面を描いてみた。
描いた人物が角田さんで、「一個じゃスーン」のシーンだと伝わったら嬉しいのだが…。
この風景を描いてみようと思うモチベが見つからず、なかなかイラストを描くチャンスがなかったのですが、東京03の「心理テクニック」で見た角田さんの表情に触発されました。
精密な描写というよりも、雰囲気が伝わったら嬉しいなというライトなタッチですが、描いてみるとやっぱり楽しい作業です。
みなさんは、子ども頃足が速かったですか?
こみちは平均くらい。
でも、走る時は全力ですが、何をどう意識していたのかはよく分かっていませんでした。
健康維持と向上で始めたジョギングで、最初は息が切れてまともに走れませんでした。
それが段々と繰り返し内に走るようになって、その内に「走るって何?」という疑問に行き着きます。
ここではランニングのうんちくは控えますが、youtube で「為末大学」を観るようになって、段々と「走る」ということがどういう動作なのか理解できるようになりました。
腿上げをするというようなことよりももっと基本の、足の動きや腕の動きなど、「陸上競技」とは何をどう競い合うことなのかが分かります。
タイムは全く別だとしても、何をどうしようとしているのかを知ることで、走ることが分かって来て、さらにランニングが楽しくなります。
そんなキッカケを作ってくれた「為末大」さんを描いてみました。
ランニングを趣味として始めて、日々のタイム計測が日課になって、「キロ〇〇分」というランニングペースを示すことを当たり前に使うことが増えた。
そんなこともあって、キロ3分台や2分台のスピードで疾走する陸上選手のパフォーマンス力に感心させられる。
そして、不破聖衣来選手が注目されていることを知った。
駅伝大会で、ごぼう抜きしたり、区間新記録を量産したりと、どこからあんなパワー溢れる走りができるのかと思ってしまいます。
どんな選手なのかまだよく知らないという方は、youtube にもたくさん不破選手の走りが見られる動画が見つかると思うので、ぜひご覧ください。
似顔絵を描く時に、パッと見て特徴がある人は割と描きやすいはず。
逆に、美人とか、淡白な顔立ちになると、その微妙なバランスが大切になる。
富田鈴花さんを描く時も、昔であれば描こうとは思わなかった。
理由はシンプルで難しいから。
でも今回、あえて選んだのは、今の画力でどこまで印象を伝えられるのか試してみたかったから。
描いていると段々と感覚がマヒして、どれくらい似ているのか分からなくなる。
これを見て、「分かる!」と言ってもらえたら嬉しいし、「誰?」となったらまだまだだ画力を磨かなければいけない。
女性の似顔絵は、ちょっとしたアングルの違いでもイメージが変わってしまうことがある。
しかも、イメージ化したイラストではなく、割と見本に寄せて描くので違和感を感じていると最後まで似せられないで失敗する。
今回はそんな失敗があってからのリベンジ。
五百城茉央さんの表情には特有の雰囲気があって、その印象をどこまで伝えられたかがポイントになっている。
手応えとしては、こみちの画力ではよく描けたと思っているが、やっぱり他人に伝わるかで決まる。
みなさんはどう思っただろうか。
youtubeでも制作シーンを公開しているので、よかったらそちらも覗いてもらえると嬉しい。
最近、あまり描くことがなくなった単品のモチーフ。
でも「描く」基本がそこにはある。
料理でいうところの目玉焼きや玉子焼きのようなもので、初心者でも始めやすいものであり、中上級者でもテクニックを発揮させられる奥深さがある。
その昔、こみちは大きなキャンバスに描くことができなかった。
理由は単純で、描く面積が広くなっても、描くための情報を観察して汲み取れないからだ。
例えばこの描いたバナナ。
全体の色は黄色だと思う。
形だってそう複雑ではなく、少しくらい実物と異なっていても、それを気にする人はいないだろう。
その意味では人物画と比べて、初心者にも手を出しやすいモチーフと言える。
一方で、全体を黄色(y100)で塗ればいいのかというとそうではない。
こみちはオレンジ色や緑色、時に水彩画など描くなら紫色や青色まで使うだろう。
また、バナナ一本を見ても、円柱形ではなく、角があって、六角形のような多面体をしている。
光に照らされた時に、エッジとなる部分は他とは異なる特有の反射があって、それはわずかな色味の差となって感じ取ることができる。
もっと言えば、最も中央にある一本とその奥に見える一本の境界線は曖昧だ。
バナナは一本ずつの集合体と思うあまり、一本ずつきちんと描いてしまうと、急にイラストっぽさが増して、リアルさが薄れてしまう。
描く目的によっても描き方が異なるのは当然だが、色味の差が極めて少ないならそこに無駄な線を加えないことも大切だろう。
つまり、球体の描き方を覚えたからと言って、その技法を尊重し過ぎてしまうと、どうしても「絵」っぽくなってしまう。
個人的にはデッサンの段階でもそれを感じていて、最も顕著なのはトレースによる弊害だ。
例えば写真を下絵になぞり書きすると、その下絵は間違いなく撮影された焦点距離で再現されてしまう。
カメラ設定に詳しくない人には伝わらないかもしれないが、肉眼では見えるはずにない構図か否かはカメラ好きな人なら気づくだろう。
そのこと自体がダメという話ではなくて、トレースをして、色情報までコピーしてしまうと、簡単に実物そっくりに描けるけれど、そこに描き手の感性があるのかという問題が起こる。
不思議なもので、描き手のタッチや癖は簡単には築くことができない。
さらに言えば、それこそが描く理由であり、描き手が最も大切にしなければいけないポイントだ。
デッサンが感性に依存するものではなく機械的な技法とするなら、描くことはそのデッサンを基礎とした感性の再現とも言える。
つまり、今回描いたバナナがバナナに見えるか否かではなく、こみちが普段から見ているバナナとは「こんな感じですよ!」ということが見た人に伝わることが重要だ。
だから、「バナナだからと言って黄色一色でいいのか?」ということにこだわりたい。
まだ熟れていないバナナなのか、かなり熟れてきたバナナなのか。
もっと言えば、産地や品種の特徴まで再現したバナナなのか。
初心者向けには、デッサンもそれほど難しくないりんごやバナナなどを使って、描く楽しさを体験してもらうといい。
また中上級者には、貴方にとって「バナナ」がどう見えているのかを再現して欲しい。
そこには、「見たままを描く」という行程を超えて、「生き方」のようなものまで問われて来るだろう。
一方で画力向上の目的なら、ライティングなどに工夫を凝らしても面白い。
今回は割とオーソドックスに描いてみたけれど、やっぱりどう感じた結果の「絵」なのかがポイントで、そこに描く理由があると思う。
前回のキャラメルコーンに続いて、今回はビーノを描いてみた。
ある意味でパッケージの描写は、そのままデッサン力だと思うので、描く力をアップさせたいならおすすめのモチーフと言えるだろう。
ただ、前回よりも今回の難易度は高くなって、こみちの実力ではかなり苦戦した。
描く上でポイントとしているのは、まず描いているものを見た人にどれだけ伝えられるのかだと思う。
その点では、まずビーノのパッケージを描いていることだろう。
さらに言えば大きさや重さ、袋の存在感など、「これを買って来て!」と絵を見せて選んでもらえるだけの描写になっていたい。
その意味では個人的に視覚で伝えるメモとしては満足できる仕上がりになった。
しかし、中央部のイメージ写真として使われるお菓子の描写など、まだまだ画力として不十分な部分も多い。
正直なところ、今回のイラストはかなり苦戦した。
目で見てそれを絵に落とし込みたいと思って、そうなるように描くという作業の中で、直したい箇所があまりに多過ぎて、完成の目処が立たなくなってしまった。
多分、納得できるまで描こうとしたら、あと一週間は費やすことになるだろう。
それくらい、全体的に緑系の色味しかないパッケージを描くのは難しく感じた。
色の幅が限られているだけに、わずかな色味の違いも見逃せないから、形だけでなく色味を合わせるのが容易ではなかった。
これは女性の肌を描くのが難しいことにも通じるけれど、肌の色をハイライトで逃げてしまうと、どうしてもリアルさが伝わらないのと同じで、同系色しか無いパッケージを描く時もその繊細さをどう感じ取れるかで仕上がりが格段に変わってしまう。
スイカとトマトを描く時の難易度の違い
例えば、スイカを描く時に、全体を緑で塗り、柄となる黒を加えたら、それっぽい雰囲気になるだろう。
しかし、トマトを描く時に、ボテっとしたフォルムではなく、プチトマトのような形だとトマトとしての特徴が薄れてしまう。
色づけによってはリンゴやイチゴのような別の物にも見えてしまうし、大きさや重さまで伝える画力を目指そうとすると、一気に難易度が上がる。
大きさを比較できるような別の物と組み合わせたり、水滴を付けるなどして表面の艶っぽさを表現しやすくしたりすることも必要になる。
さらに言えば、トマトはいわゆるREDではなく、イエローが含まれているし、反対色の青系や紫系をどこまで使うのかもポイントだ。
いずれにしても、本気で描こうとすればするほど、単純な形状ほど難易度は高い。
もちろん、スイカだって本気で描こうと思ったら、やっぱり難しいことに変わりない。
描く時にその存在感を損なうことなく伝える難しさに気づくと、描く奥深さを楽しめるし、まだまだ画力が足りないと凹む。
今回は良い機会になった。
キャラメルコーンを描いてみた!
パッケージに光沢があって、光にキラキラと反射するキャラメルコーンの袋を描いてみる。
形ばかりを追うのではなく、キャラメルコーンの袋の重量感や表面にできた折り目など、描く題材としても勉強になるモチーフ。
パッケージに描かれたロゴなども多く、途中で少し中だるみをしてしまったけれど、どうにか最後まで描くことができた。
奥行き感なども含めて伝わっていたら嬉しい。
先生の作品を見て、脳が勝手に写真だと認識し、遅れて手描きだったと驚いた記憶があります。
今回、その時に見た作品の一部を模写させていただいたのですが、自分の絵がどう下手なのかを知る経験にもなって、とても勉強することができました。
掲載したイラストは、髪の毛部分があまり描けれていませんが、再度描いた別の一枚では前髪にテーマを求めて再度挑戦したりもしています。
やっぱり、描くことは楽しくて、それは自身の目に触れた光景を自身の手で描き残せるからだと思います。
今はスマホで簡単に撮影できてしまいますが、満足感という意味ではそのシーンを描き取るぞという想いとそれが自分なりに達成できた喜びが魅力です。