描きたかったシーンを描こう!
今回は特に描きたいと思ったシーンを選んでみました。
ただ、画力が露呈するので、ちょっと自信はありませんが…。
豊本さんが演じるモトコさんに掛かってきた電話が気になって、後ろから忍び寄る角田さんを描きました。
まだまだ細かな部分は描ききれていませんが、雰囲気が伝わっていたら嬉しいです。
今回は特に描きたいと思ったシーンを選んでみました。
ただ、画力が露呈するので、ちょっと自信はありませんが…。
豊本さんが演じるモトコさんに掛かってきた電話が気になって、後ろから忍び寄る角田さんを描きました。
まだまだ細かな部分は描ききれていませんが、雰囲気が伝わっていたら嬉しいです。
ふつう、コントなどのタイトルは、その内容を象徴するようなものから命名させます。
つまり東京03の「誰?」というタイトルのコントでは、誰か誰かに正体を聞きたくなる場面があって、そこに何らかのドラマが潜んでいることになります。
実際、冒頭シーンでは角田さんと豊本さんが二人並んでソファーに腰掛け、豊本さんが演じるモトコちゃんの失恋が根底にあって、不安な気持ちを癒そうとして角田さんが話掛けていたはずです。
今回描いたワンシーンは、角田さんが片手を高く上げて遠くを指さして、「誰〜!」と叫んでいます。
ある意味で、このコントのタイトルが命名された代表的なシーンです。
それ故に笑いがあって、コントとしても大きな盛り上がりになる部分です。
東京03の作るコントは、タイトルから連想されるストーリーとは別角度の「裏設定」があたりします。
その意味では、この「誰?」についても同様で、最後の「オチ」は意外なひと言で終わります。
さらに、この「誰?」では冒頭から繰り返しの「セリフ」が登場し、無意識のうちに視聴者の頭に大きなフリとして認識することでしょう。
話が進むにつれて、その「セリフ」を意識して、ジワジワと笑いを生み出します。
今回、ピックアップしたワンシーンは、コントの冒頭シーンですが、東京03が人気である所以は、仕草の一つひとつがしっかりと演出されていることでしょう。
見ていただいている「絵」ですが、角田さんと豊本さんの役柄はどんな風に見えるでしょうか。
男女だから恋人同士?
でも角田さんの姿勢は少し手すりに寄りかかるようで、親身な間柄には思えません。
しかも、女性役の豊本さんも両手を組んでいて、決してリラックスしているだけではなく、どこか緊張しているようにも見えないでしょうか。
また、膝頭の向きと手の位置に着目しても、角田さんがどこか落ち着かない様子に見えますし、豊本さんは膝頭を角田さんに向けてもいません。
もしもカップルのような関係なら、きっと二人の距離が離れていたとしても、どこか向き合うような空間になることでしょう。
実際、この『誰?』では、角田さんが以前にフラれた経験のある友だちで、豊本さんの家に来ている設定です。
絵を描きながら、東京03の作るコントはストーリーもそうですが、演技という意味でもとても魅力的です。
だからこそ、その雰囲気を感じ取って描いてみたいと思うのです。
場面としては、もっと注目度の高いシーンがあるのですが、絵を描く者としてはあえてこのシーンを選んでみました。
なぜなら、単純に「男女がベンチに腰掛けている」ということではなく、今まで紹介したような設定があって、それに相応しい表情や仕草で彼らは演じているからです。
目標として、描かれた人物が誰なのか分かるということではなく、ある意味で心理のようなものまで感じ取れる絵を描けたらと思っています。
まだまだその域には到達できていませんが、今後もコツコツと描き続けて行きます。
コント「気遣い」は、何か気を利かせて「してあげる」だけではなく、「何もしない」こともある。
東京03のコント「気遣い」では、サラリーマンの先輩と後輩という立場で、後輩役の豊本さんは何かと積極的に先輩の飯塚さんに気を配る。
一方で、もう一人の後輩、角田さんはこれまで表立っては何もしなかった。
「お前、オレに何もしてくれたことがないよな!?」
という飯塚さんに問い詰められて、角田さんが「なんか〜」と語り出し、いつも積極的な豊本さんの行為をいじり出した。
それを見て、飯塚さんも思わず自身の胸に手を当てて、「ドキ!」とあざとさを示す。
コントではとても重要なワンシーン。
今回はそんなシーンを描いてみました。
精密画ではありませんが、コントの雰囲気が少しでも伝わっていたら嬉しいです。
相手を思って、気の利いたことをさり気なくできる人を見ると大人だなぁとかんじます。
例えば、学生時代よりも、社会人になって気づくのは、「気遣い」の質。
「喜ぶ顔が見たい!」という素直な動機ならまだしも、「コレをすれば…」とどこかで自身の評価を見越して行動してしまうこともあるはず。
東京03の人気コント『気遣い』は、後輩の角田さんと豊本さんがまだ会社で残業している先輩の飯塚に会いに行くという設定。
すかさず豊本さんは缶コーヒーを買って、飯塚さんに届けます。
もちろんそんな気遣いに飯塚さんも喜び、ふと何もしない角田さんに「何かしてくれ!」とこれまでの鬱憤が一気に吐き出されます。
ところがあるタイミングで、角田さんが「なんか〜」と言い出します。
そして、そつの無い豊本さんを「お前は良いよなぁ」と意味深な発言をして、そんな行為をどこかで気恥ずかしいと語ります。
そして今回描いたワンシーンへと移ります。
「やってる〜!」
見え見えなことを平気でできる人と、それを見て真似できないと引いてしまう人。
「気遣い」というコントのタイトルの意図が明らかになります。
確かにさり気なくできれば良いのですが、どこかスマートじゃと周りからはアイツ「やってる〜」と思われているのかもしれません。
東京03のコントが好きで、繰り返し何度も見ています。
脚本としての完成度もそうですが、お三方の演技力と個性の調和が絶妙で心地よくていいんです。
今回、選んだこのシーンは、先輩役の飯塚さんが以前から気になっていた後輩角田さんへの気持ちを爆発させた場面。
文字で伝えるという方法もありますが、描いて伝えるという方法もあります。
描いて伝えるためには、それぞれが誰で、手足の動きや表情をどこまで表現出来るのかも重要になるでしょう。
一人の人物が立っているのとは違って、複数名になれば大きさも重要ですし、動きや力感、奥行き感など、省略できないことも少なくありません。
だからこそ、どこまで自身の画力で再現し、それを誰かにお伝えできるかにこだわってしまうのです。
昔、今みたいにデジタルアートではなく、筆で描いていた頃、季節感や時刻をとても上手に表現される憧れの画家がいて、その方のフィルターを通して見える作品は独特の雰囲気にあふれていました。
まぁ、カメラでも厳密に言えば使うレンズメーカーや種類によって、それぞれの個性があるのですが、作風とか画風を自分なりに見つけるまでかなり悩んだ時期と重なり、とても勉強になりました。
「こみちっぽい絵」と言われることに憧れましたし、それはある意味で癖とかタッチから作られたものだと思います。
世の中には上手い絵を描ける人はたくさんいると思うのですが、どこまで雰囲気を伝えられるかは奥が深くて、だからこそずっとこだわりながら描いて来たつもりです。
まだまだ、本当に描きたいレベルには遠く及ばないのですが、これからももっと描き続けて、さらに憧れていた領域にたどり着きたいです。
東京03のコント『魔が差して』は、不倫を題材に練られたネタです。
「魔が差して」というフレーズからは、浮気を問い詰められた時によく使うセリフでしょう。
しかし、東京03のコントでは少し違います。
このシーンは、ぬいぐるみを夫役の角田さんから投げ渡されて、妻役の豊美さんが受け取ったところです。
何やら浮かない表情を浮かべた豊美さんですが、どこまでそれがしっかりと描写できたでしょうか。
豊本さん演じる「豊美さんに似ている」ではなく、コントで重要な場面であるこのワンシーンの雰囲気をどこまで再現できたのかがポイントで、こみちとしても内面まで描けることを目指したいです。
正直なところ、羽織っているカーディガンの編み目などの描写が乏しく、もう少し時間を掛けて再現するべきだったと思います。
ただ、豊美さんの顔や髪を描くことで、かなり限界を迎えていたので、全体としての完成度が下がってしまいました。
女性を描く難しさを実感しながらも、試行錯誤を繰り返してみました。
全体に色が乗った段階で、ここからはさらに詳細な描き込みに入ります。
まだまだというか、先が見えないほど修正したいポイントがあって、どこまで追えるかが問われている感じです。
現段階では、肌のトーンを修正している途中で、特に右サイドの陰影に悩んでいます。
髪の毛も3段階くらいのトーンで分けてみましたが、まだまだ修正しなければいけません。
全く先が見えないです。
完成と呼べるところまで描けるのか、こみち自身も分からなくなって来ました。
今回は似顔絵というよりも、新しい描き方を試みた一枚です。
こみちが描く絵は、芸術的な作品ではありません。
こみちが見た、感じた光景を文字ではなく、絵で表現できるための過程です。
なので「誰か?」ということよりも、「何を伝えたいか?」が大切だと思って描きています。
そのためには、性別や年齢、表情、さらに言えば存在している場所や時刻なども盛り込めるようになりたいのです。
なぜなら、そこには意図や流れがあって、その一つずつが意味を持ってそこに存在しているからです。
しかしながら、こみちの画力では全てのシーンを描くことがまだできません。
なので、少しずつですが描ける範囲を広げて、今以上に感じたことを絵で表現できる人になりたいです。
正直、こみちはあまり器用に生きられるタイプではなく、何度も同じ場所をぐるぐると回ってしまいます。
でもだから、こうして絵に出会い、ずっと絵を描くことを続けて来られたとも思います。
ボチボチの公式にはなりますが、この場をお借りして描いた絵を紹介させてください。
いつも応援してくださる方々、本当に感謝しています。どうもありがとう。
昨今、「描くこと」自体はaiでできてしまう。
今回もaiの作画を見て、ポイントを学ぼうという話。
前回のイラストに比べて、もう少し加筆してものが右のイラストです。
光の反射を加えた段階で、一方でまだ途中の影の部分まで描けると急に立体感が伝わると思います。
髪の毛の描写などは、大まかな色づけだけですが、もう少し精密に色づけできると「髪質」が伝わるでしょう。
個人的には、女性の肌質を描くのは難しく、その色味の変化をしっかりと追えたら今後、描ける範囲が増えるはずです。
今はまだイラストと分かるレベルですが、どこかで写真っぽく見える境界線を、今回学べたら嬉しいと思っていて、もう少し加筆を続けたいと思います。
絵を描いている時に「これだ!」と自分でも感心する「線」があって、その線が不思議と絵の中心的なイメージを作ります。
完成したイラストだけを見ると、誰かの背中で、脇にもう1人が立っていることに気づくでしょう。
元々は東京03のコントのワンシーンですが、見えている背中は成人男性な骨格です。
背景のエンジ色のひだに影ができて、そこに二人が向かって何か話しているようにも見えます。
脇に立つ人の背中にも影ができて、二人の距離感も伝わるでしょう。
絵をアップにすると、決して精密画ではなくて、でも先に紹介したようなイメージは伝わると思います。
個人的に、喜怒哀楽のような感情ばかりではなく、もっと曖昧で中途半端な感情がある場面を描くことにこだわっています。
写真や画像などスマホが身近にあるので、わざわざ描くと言う行為に価値が薄れているようです。
しかも最近では、aiによる高度な描写が可能になって、我々が何年も掛けて練習する必要がなくなってしまったとも感じます。
真面目な話をすれば、翻訳家や税務関係者など、他にももっとたくさんの職種で、従来の知識や技術がaiに置き換わろうとしている気がします。
まだ途中段階のイラストですが、ここから精度を上げてリアルな描写に到達するまで、例えば数時間、数日が掛かるとして、そこに時間を注ぎ込むだけの価値があるのかと言うとかなり考え方次第になって来ます。
まず、描くとはどんなことでしょうか。
少なくともこみちにとって描くとは、自己表現の一つで、もっと別の言い方をすると自分が何をどう見てどう感じたのかを伝える手段です。
つまり、その意味では「写真を撮る」結果、撮影できた画像が自身の心情を代弁しているのかということになり、もちろんカメラ撮影も興味深い行為ですが、やはり絵を描くことも価値を失われるものではありません。
なぜなら、自身には「こんな景色に見えた」という表現ができて、そのことが他の誰かに伝わったのなら、描く価値があるからです。
むしろ問題は、右上のイラストをリアルに描くことがしたいのかということ。
元の画像をそのまま模写しても、そこにできたのは自分の気持ちではなく、あくまで撮影者の心情に寄り添ったに過ぎません。
それはaiが描くことも同じで、仮に写真と見分けがつかない品質だったとしても、作り手の想いが伝わっているのかというと疑問が残ります。
描く行為が難しいと思うのは、着色することよりも、そもそも何をどう描こうと思ったのかという部分だからです。
目の前のりんごを描きました。
事実としてはそうですが、それで何を伝えたかったのかという部分が見つかりません。
つまり、デッサンのような練習は技術向上には役立ちますが、どんなに上手くなっても「伝えたいもの」ということにはなりません。
aiの発展に恐れているというよりも、写真と区別がつかないことが最終目標になってしまうことに怖さを感じます。
極論を言えば、人間の生産行為をすべてaiがになって、人間はただ三度の食事をするだけの存在になってしまうことを目指しているのかということ。
自動運転が当たり前になって、スマホで家まで車を呼び出して、乗り込めば目的地まで勝手に届けてくれる。
そうなれば、運転免許も必要ないですし、燃料は太陽エネルギーで賄えて…。
でも、その内、我々がどこかに出掛けることもなくなるでしょう。
名産品や特産品はオートメーションで作られて、自宅まで配送してくれるからです。
何なら各地の景色もバーチャルで体感できるでしょう。
そんな時代に、描くことってどんな意味があるのかと。
今回、aiによるイラスト真似て、自身でどれくらいリアルに描くことができるだろうと練習も兼ねて描き始めたのですが、ここまで描いてふと描く意味に行き詰まりました。
みなさんはどんな想いで、描いたりしているのでしょうか。
東京03の人気コント『魔が差して』は、夫婦の浮気をテーマにしている。
妻の浮気を疑い、予定を変更して急に帰宅する夫。
家での密会中だった妻は、慌てた様子で夫を出迎えた。
描いたシーンはそんな場面。
コントとしては序盤のシーンで、ここから面白い展開になるところ。
テーブルの上の灰皿に、夫の知らないタバコの吸い殻があって、それを問いただした場面。
「誰の吸い殻だ?」
「ああ、私」と咄嗟に嘘をついた妻。
真っ直ぐに夫を見られない妻の手を重ねて立っている様は、何かこれからの展開を予感させる。
みなさんは、何歳の頃から描いていますか?
こみちの場合は園児だった頃からでしょうか。
よく覚えているのは、「ミツバチ」を描いた絵で、親が「これ、こみちが描いたの?」と言って「そうだよ」と答えた時に別の紙にもう一度描かされたことがありました。
三歳とか四歳にしては上手過ぎたのでしょう。
小学生の時も、学校の写生大会で茶色だけで風景画を描いて再度描き直しさせられたり、印影だけで京都の五重の塔の風景画を描いていたりと、思い起こせば「絵」との関わりは親身でした。
学生時代はバイクが趣味で、学校が長期休暇になるとツーリングに出掛けてはスケッチ旅行をしていました。
当時は今よりもずっと画力がなくて、鉛筆画や水彩画ばかり描いていました。
社会人になって、あまりバイク旅ができなくなって、小さなスケッチブックを持つようになって、もう水彩画はやらなくて、線画だけの簡単な絵ばかり描いて来ました。
当時住んでいた家から会社までの風景を、その場で5分とか10分くらいで簡単に描き取る感じで、街並みや駅のホーム、ランチで食べた料理など、文字で書き残す感覚で気になるものを描きました。
その頃はまだ「形」を描くことにこだわっていて、雲や暗所など、色の境が曖昧なものが苦手で、多分鉛筆画が多かったからもありますが、単品が多かった気がします。
そこからサイズ感とか距離感、空気感を描きたいと思うようになって、さらに今は「心情」や「雰囲気」を共通の意識してテーマにしています。
ライフワークというとなんだかカッコ良く聞こえますが、本当に「描くこと」しかできないんです。
それくらい、描くこと以外は長続きしませんでした。
決して上手くはありませんが、ボチボチと描いているので、よかったらまた覗いてみてくださいね。
実演販売員に扮した角田晃広さんが、通りかかった客役の飯塚悟志さん相手に声を掛ける。
いつものセールトークを始めたものの、飯塚さんは「無」の反応を示す。
そんな態度に苛立ち、怒り出す角田さん。
その時に見せる表情は、ここ最近あまり見なかった表情に思える。
だからこそ、懐かしさもあって描きたかった。
もしかして「あの表情?」と、共感できたら嬉しい。
絵を描く目的はいろいろあるけれど、「りんご」をりんごっぽく描くことも大切だけど、「あのりんご」をどう伝えられるのかをとても大切にしたい。
脳内にある「虚像」を描くよりも、「目の前」にあった実在感を自在に表現できるようになりたい。
似顔絵を描く時に、本人の雰囲気をどう取り込むのかが描き手のこだわりでしょう。
こみちの場合もそうでした。
ただ「似ている」ということではなく、「雰囲気」や「空気感」のようなそこに居ることで感じた感覚を自身が描いた絵でも感じて欲しいというのが描きたい目的であり目標です。
東京03のコントは、どれも質が高くて、笑えるという要素の他に、人間観察による行動心理が反映されていて、興味深さも感じられるので尊敬しています。
今回、描かせてもらったコントは「アニバーサリーウォッシュ」というタイトルで、実演販売員に扮した角田さんに呼び止められた飯塚さんが見せた「無の表情」です。
一方で、似顔絵として描く時に、メガネのような印象的なアイテムが多いと、描き易くなるのですが、逆にそれらが少ないと僅かな違いで印象が大きく変化してしまうので、初心者、中級者にとっては描き辛い題材です。
ただ、これは想像ですが、上級者になると「印象的なアイテム」が描き易さになったモデルが、さらにもっと奥深い部分を描こうとした時には影響力が強すぎるあまり、その存在感をどう和らげられるのかに苦戦するはずです。
つまり、デフォルメや誇張は、描き易さにもなりますが、印象が強過ぎて邪魔にもなり得ます。
飯塚さんを描いていて、メガネも無いですし、顔立ちに特徴的な部分もないので、「似顔絵」としては描き難く、さらに「表情」まで伝えたいと思った時には、誇張などしないで見たままをいかに描けるのかに尽きるでしょう。
今回、ある意味は人物のデッサンに近く、画力が試される形になりました。
今の実力で、飯塚さんの雰囲気をどこまで捉えることができるのかも含めて、挑戦してみました。
今回は角田さんを描いてみました。
これまでも何度か描いたことがある人ですが、コントシーンの一部として描くのではなく、人物画に近いイメージで挑戦しました。
描いたのは、「セカンドプロポーズ」というコントの一場面で、不満顔で飯塚さんを振り返って見つめるというところ。
コントとしては、場面が大きく動く重要なシーンですが、描くに当たっては「似顔絵」ではなく、表情や雰囲気も大切に伝われば嬉しいです。
東京03の人気コント『セカンドプロポーズ』は、結婚25周年を迎えた中年夫婦の話。
結婚生活とはこんなものだと思って生きていた妻にとって、25周年を迎えて改めて夫から二度目のプロポーズを受ける。
「嫌だな」
妻は初めてそう思ってしまった。
そして、今日のこのキッカケがなかったら…離婚など考えることもしなかっただろう。
そんなコントの中心的なシーンで見せる印象深い演出がこのシーンだ。
描いてみて思うのは、体を傾けた二人をしっかりと描くことが難しかったこと。
服のシワや体型から伝わる感じまで表現することが思うようにできない。
こみちとしては、まだまだ勉強しなければと思ってしまう仕上がりになってしまった。
しかし、このシーンの雰囲気が少しでも伝わっていたら嬉しく思う。
東京03のコント「セカンドプロポーズ」は、結婚25周年を記念し、当時結婚式を挙げられなかった妻のトヨミさんのために、夫役の角田さんが改めてプロポーズするというコント。
しかし、「当たり前」と思っていたこれまでの結婚生活に、ふと疑問を感じ、角田さんのプロポーズに応じないというトヨミさんがいる。
自身の思いや考えを語り出したトヨミさんを今回は描いてみました。
また、見たままを描くのではなく、トヨミさんらしい雰囲気を描いてみようとも思ったのですが、画力が足りなくて思うような描写ができませんでした。
似顔絵を描く場合、ヒゲや眼鏡、髪型に特徴があると嬉しい。
逆に、サラッとした美人などは、全体の雰囲気がとても大切になるので、描くのが難しいと感じる。
飯塚悟志さんもそんな描き難い部類に入る。
まして、今回選んだのは、ほぼ顔で、出来が全体の完成度を左右してしまうだろう。
今回の出来は、右のような感じになった。
飯塚さんだと伝わるだろうか。
そして、コント中で、少し惚けたようなシーンを熱演している場面だが、その雰囲気も伝わっていたら嬉しい。
描くことが好きなので、良かったらまたこのブログを覗いてくださいね。
つくづく、自分は絵を描くことしかできないなぁと思う。
上手い訳でもないし、才能がある訳でもない。
ただずっと描くことだけは続けられて、今に至るという感じだ。
今回、大好きな東京03のコント「だけのノリ」より、飯塚さんが角田さんに問い詰める瞬間見せた表情を描いてみた。
模写という意味では、飯塚さんを描くのは難しいと感じる。
映像で見る顔と瞬間的に見せる顔が違っていて、それだけ表情筋を使っているということではあるけれど、描く側からするとイメージとのズレに迷いがある。
でも最近は「見たまま」を描くようにしていている。
「癖」を盛り込むと、どこかで辻褄が合わなくなってしまうので、できるだけ「そのまま」を描くようにしている。
今回のシーンは、画面には映っていないテーブルの向かいに角田さんの彼女役を演じる豊本さんがいて、二人だけで呼び合っている「グリリン」という愛称を飯塚さんにバレてしまったところだ。
当然、角田さんは「ヤバっ!」と思い、飯塚さんは驚きと同時に興味を持って角田さんを見ている。
そんな、角田さんにすればちょっと嬉しくない状況が、この絵から伝わっていたら嬉しい。
東京03のコント『だけのノリ』の中で、彼女役の豊本さんが彼氏役の角田さんの秘密を喋ってしまいます。
話を聞いたのは角田さんの勤務する会社の後輩飯塚さん。
表情をみてもらうと分かりますが、かなり渋い顔で「ハマツル〜」を聞いています。
また、今回はそのままを描くのではなく、豊本さんの肩幅を狭めたり変更を加えてみました。
彼女っぽい雰囲気が伝わってくれたらと思います。
会社の後輩から相談を受けて、終電がなくなるまで話を聞いてくれる信頼度抜群の先輩角田さん。
そんな角田さんが、後輩を家まで送り届けるために彼女を呼び出して…。
店に現れた彼女のトヨミさん。
後輩の飯塚さんに挨拶した時に「ハマ太郎」と名乗ってしまう。
さらに彼女は、角田さんを「グリリン」と呼び、興味を持った後輩の飯塚さんに聞かれたくなかってことを聞かれてしまう。
まさにその時の「ヤバ」というシーンを描いてみました。
営業マンの上司と部下がオフィスで仕事をしている。
ちょうど、昼頃を迎えて、上司役の飯塚さんが豊本さんと角田さんに何か出前でも頼まないかと声を掛ける。
ノリの悪い角田さんが、イジられる。
そして「スイッチ」が入り、急に明るく飛び跳ねる。
デスクを両手でポンと叩くと、その勢いで両手を挙げてみせる。
しかし、それを何度か繰り返していると、デスクに片手しかつかない時があって、「一個じゃスーン」と謎の動きを見せた。
今回ははっちゃけたシーンではなく、「一個じゃスーン」と引いて笑わせた場面を描いてみた。
描いた人物が角田さんで、「一個じゃスーン」のシーンだと伝わったら嬉しいのだが…。
この風景を描いてみようと思うモチベが見つからず、なかなかイラストを描くチャンスがなかったのですが、東京03の「心理テクニック」で見た角田さんの表情に触発されました。
精密な描写というよりも、雰囲気が伝わったら嬉しいなというライトなタッチですが、描いてみるとやっぱり楽しい作業です。
みなさんは、子ども頃足が速かったですか?
こみちは平均くらい。
でも、走る時は全力ですが、何をどう意識していたのかはよく分かっていませんでした。
健康維持と向上で始めたジョギングで、最初は息が切れてまともに走れませんでした。
それが段々と繰り返し内に走るようになって、その内に「走るって何?」という疑問に行き着きます。
ここではランニングのうんちくは控えますが、youtube で「為末大学」を観るようになって、段々と「走る」ということがどういう動作なのか理解できるようになりました。
腿上げをするというようなことよりももっと基本の、足の動きや腕の動きなど、「陸上競技」とは何をどう競い合うことなのかが分かります。
タイムは全く別だとしても、何をどうしようとしているのかを知ることで、走ることが分かって来て、さらにランニングが楽しくなります。
そんなキッカケを作ってくれた「為末大」さんを描いてみました。
ランニングを趣味として始めて、日々のタイム計測が日課になって、「キロ〇〇分」というランニングペースを示すことを当たり前に使うことが増えた。
そんなこともあって、キロ3分台や2分台のスピードで疾走する陸上選手のパフォーマンス力に感心させられる。
そして、不破聖衣来選手が注目されていることを知った。
駅伝大会で、ごぼう抜きしたり、区間新記録を量産したりと、どこからあんなパワー溢れる走りができるのかと思ってしまいます。
どんな選手なのかまだよく知らないという方は、youtube にもたくさん不破選手の走りが見られる動画が見つかると思うので、ぜひご覧ください。
似顔絵を描く時に、パッと見て特徴がある人は割と描きやすいはず。
逆に、美人とか、淡白な顔立ちになると、その微妙なバランスが大切になる。
富田鈴花さんを描く時も、昔であれば描こうとは思わなかった。
理由はシンプルで難しいから。
でも今回、あえて選んだのは、今の画力でどこまで印象を伝えられるのか試してみたかったから。
描いていると段々と感覚がマヒして、どれくらい似ているのか分からなくなる。
これを見て、「分かる!」と言ってもらえたら嬉しいし、「誰?」となったらまだまだだ画力を磨かなければいけない。
女性の似顔絵は、ちょっとしたアングルの違いでもイメージが変わってしまうことがある。
しかも、イメージ化したイラストではなく、割と見本に寄せて描くので違和感を感じていると最後まで似せられないで失敗する。
今回はそんな失敗があってからのリベンジ。
五百城茉央さんの表情には特有の雰囲気があって、その印象をどこまで伝えられたかがポイントになっている。
手応えとしては、こみちの画力ではよく描けたと思っているが、やっぱり他人に伝わるかで決まる。
みなさんはどう思っただろうか。
youtubeでも制作シーンを公開しているので、よかったらそちらも覗いてもらえると嬉しい。
最近、あまり描くことがなくなった単品のモチーフ。
でも「描く」基本がそこにはある。
料理でいうところの目玉焼きや玉子焼きのようなもので、初心者でも始めやすいものであり、中上級者でもテクニックを発揮させられる奥深さがある。
その昔、こみちは大きなキャンバスに描くことができなかった。
理由は単純で、描く面積が広くなっても、描くための情報を観察して汲み取れないからだ。
例えばこの描いたバナナ。
全体の色は黄色だと思う。
形だってそう複雑ではなく、少しくらい実物と異なっていても、それを気にする人はいないだろう。
その意味では人物画と比べて、初心者にも手を出しやすいモチーフと言える。
一方で、全体を黄色(y100)で塗ればいいのかというとそうではない。
こみちはオレンジ色や緑色、時に水彩画など描くなら紫色や青色まで使うだろう。
また、バナナ一本を見ても、円柱形ではなく、角があって、六角形のような多面体をしている。
光に照らされた時に、エッジとなる部分は他とは異なる特有の反射があって、それはわずかな色味の差となって感じ取ることができる。
もっと言えば、最も中央にある一本とその奥に見える一本の境界線は曖昧だ。
バナナは一本ずつの集合体と思うあまり、一本ずつきちんと描いてしまうと、急にイラストっぽさが増して、リアルさが薄れてしまう。
描く目的によっても描き方が異なるのは当然だが、色味の差が極めて少ないならそこに無駄な線を加えないことも大切だろう。
つまり、球体の描き方を覚えたからと言って、その技法を尊重し過ぎてしまうと、どうしても「絵」っぽくなってしまう。
個人的にはデッサンの段階でもそれを感じていて、最も顕著なのはトレースによる弊害だ。
例えば写真を下絵になぞり書きすると、その下絵は間違いなく撮影された焦点距離で再現されてしまう。
カメラ設定に詳しくない人には伝わらないかもしれないが、肉眼では見えるはずにない構図か否かはカメラ好きな人なら気づくだろう。
そのこと自体がダメという話ではなくて、トレースをして、色情報までコピーしてしまうと、簡単に実物そっくりに描けるけれど、そこに描き手の感性があるのかという問題が起こる。
不思議なもので、描き手のタッチや癖は簡単には築くことができない。
さらに言えば、それこそが描く理由であり、描き手が最も大切にしなければいけないポイントだ。
デッサンが感性に依存するものではなく機械的な技法とするなら、描くことはそのデッサンを基礎とした感性の再現とも言える。
つまり、今回描いたバナナがバナナに見えるか否かではなく、こみちが普段から見ているバナナとは「こんな感じですよ!」ということが見た人に伝わることが重要だ。
だから、「バナナだからと言って黄色一色でいいのか?」ということにこだわりたい。
まだ熟れていないバナナなのか、かなり熟れてきたバナナなのか。
もっと言えば、産地や品種の特徴まで再現したバナナなのか。
初心者向けには、デッサンもそれほど難しくないりんごやバナナなどを使って、描く楽しさを体験してもらうといい。
また中上級者には、貴方にとって「バナナ」がどう見えているのかを再現して欲しい。
そこには、「見たままを描く」という行程を超えて、「生き方」のようなものまで問われて来るだろう。
一方で画力向上の目的なら、ライティングなどに工夫を凝らしても面白い。
今回は割とオーソドックスに描いてみたけれど、やっぱりどう感じた結果の「絵」なのかがポイントで、そこに描く理由があると思う。
前回のキャラメルコーンに続いて、今回はビーノを描いてみた。
ある意味でパッケージの描写は、そのままデッサン力だと思うので、描く力をアップさせたいならおすすめのモチーフと言えるだろう。
ただ、前回よりも今回の難易度は高くなって、こみちの実力ではかなり苦戦した。
描く上でポイントとしているのは、まず描いているものを見た人にどれだけ伝えられるのかだと思う。
その点では、まずビーノのパッケージを描いていることだろう。
さらに言えば大きさや重さ、袋の存在感など、「これを買って来て!」と絵を見せて選んでもらえるだけの描写になっていたい。
その意味では個人的に視覚で伝えるメモとしては満足できる仕上がりになった。
しかし、中央部のイメージ写真として使われるお菓子の描写など、まだまだ画力として不十分な部分も多い。
正直なところ、今回のイラストはかなり苦戦した。
目で見てそれを絵に落とし込みたいと思って、そうなるように描くという作業の中で、直したい箇所があまりに多過ぎて、完成の目処が立たなくなってしまった。
多分、納得できるまで描こうとしたら、あと一週間は費やすことになるだろう。
それくらい、全体的に緑系の色味しかないパッケージを描くのは難しく感じた。
色の幅が限られているだけに、わずかな色味の違いも見逃せないから、形だけでなく色味を合わせるのが容易ではなかった。
これは女性の肌を描くのが難しいことにも通じるけれど、肌の色をハイライトで逃げてしまうと、どうしてもリアルさが伝わらないのと同じで、同系色しか無いパッケージを描く時もその繊細さをどう感じ取れるかで仕上がりが格段に変わってしまう。
スイカとトマトを描く時の難易度の違い
例えば、スイカを描く時に、全体を緑で塗り、柄となる黒を加えたら、それっぽい雰囲気になるだろう。
しかし、トマトを描く時に、ボテっとしたフォルムではなく、プチトマトのような形だとトマトとしての特徴が薄れてしまう。
色づけによってはリンゴやイチゴのような別の物にも見えてしまうし、大きさや重さまで伝える画力を目指そうとすると、一気に難易度が上がる。
大きさを比較できるような別の物と組み合わせたり、水滴を付けるなどして表面の艶っぽさを表現しやすくしたりすることも必要になる。
さらに言えば、トマトはいわゆるREDではなく、イエローが含まれているし、反対色の青系や紫系をどこまで使うのかもポイントだ。
いずれにしても、本気で描こうとすればするほど、単純な形状ほど難易度は高い。
もちろん、スイカだって本気で描こうと思ったら、やっぱり難しいことに変わりない。
描く時にその存在感を損なうことなく伝える難しさに気づくと、描く奥深さを楽しめるし、まだまだ画力が足りないと凹む。
今回は良い機会になった。
キャラメルコーンを描いてみた!
パッケージに光沢があって、光にキラキラと反射するキャラメルコーンの袋を描いてみる。
形ばかりを追うのではなく、キャラメルコーンの袋の重量感や表面にできた折り目など、描く題材としても勉強になるモチーフ。
パッケージに描かれたロゴなども多く、途中で少し中だるみをしてしまったけれど、どうにか最後まで描くことができた。
奥行き感なども含めて伝わっていたら嬉しい。
先生の作品を見て、脳が勝手に写真だと認識し、遅れて手描きだったと驚いた記憶があります。
今回、その時に見た作品の一部を模写させていただいたのですが、自分の絵がどう下手なのかを知る経験にもなって、とても勉強することができました。
掲載したイラストは、髪の毛部分があまり描けれていませんが、再度描いた別の一枚では前髪にテーマを求めて再度挑戦したりもしています。
やっぱり、描くことは楽しくて、それは自身の目に触れた光景を自身の手で描き残せるからだと思います。
今はスマホで簡単に撮影できてしまいますが、満足感という意味ではそのシーンを描き取るぞという想いとそれが自分なりに達成できた喜びが魅力です。
イメージしている表情だったので、それをどこまで再現できるかと挑戦してみました。
人物画は、やっぱり難しく、特にその人特有の表情を再現するのはさらに難易度も上がります。
でも、絵を描くならそこまで到達したいと思っていて頑張るのですが、なかなか成果が現れません。
さて、今回はどこまで描くことができたでしょうか。
「markers」の所で完全に迷子になってしまいました。
youtube 上にある関連動画を見ていると、口の動きを再現する時に使っている感じですが、日本語でいう母音ごとに指定するための作業なのか、単に口をパクパクさせる動画なのかさえ分かっていません。
最も課題なのは、ライブラリーに登録した時に、なぜかフレーム1の部分だけしかmarkersに出て来ないこと。
分かってしまえば、なんて事ない話だと思いつつも、そもそも何のためにしていることかも理解できないまま、動画と睨めっこしながら、手順を再現しているのですが。
いろんな方の動画を見比べながら、何度も巻き戻したり、スロー再生したりしていますが、核心が分かりません。
もう少し時間が掛かりそうです。
toonsquid めちゃくちゃ難しいじゃん!!
追記
その後も何度かやり直していたら、分かりました!
ポイントは、Libraryに登録する時に、登録したいフレーム(ずっと1フレームしか選んでいませんでした)すべてを選んだ状態にしてから行う必要がありました。
すると上手くできなかった「markers」も見本通りになって、後から呼び出して簡単に修正できます。
いやぁ、理解が悪くて大変です。
でも、また少し理解できたので、次の課題に進むことにします。
立ち姿って、顔ばかり大きくなって全体のバランスが崩れたりしませんか。
こみちの苦手意識があって、今回もちょっとドキドキしながら描き出しました。
顔だけの時と違い、サイズ感とかも気になったりで、やはり難しかったです。
正面右からの日差しもあったりで、よく言えば空気感も盛り込めたら良かったのですが。
立ち姿の場合、立っている感じがないと急に変になってしまうのですが、今回の感じはどうでしょうか。
以前から、アニメーションを作りたいと思っていた。
でもそれは100%イラストで作るというものではなく、例えば実写映像のテロップや演出として活かせるアニメーションも含まれる。
そこで、ipadでも使えるアプリで、何がいいのかなぁと思っていた時に、「toonsquid 」に出会った。
残念ながら日本語版がなく、英語版のみなのが気になるけれど、キーフレーム機能が使えるという一点だけで、とりあえず使ってみることにした。
使い方は、youtube の動画を探して、チュートリアル的なものから見始めた。
まだ全部は見ていなくて、ワークスペースを開いた時にあるボタンの説明や使い方を一つずつ調べている段階だ。
2時間くらい連続して使ったから、久しぶりに頭が疲労している感覚で、なんだか少し心地よい。
まだ初めての作品を公開できるまでは時間が掛かるかもしれませんが、イラスト制作に加えて表現の幅を広げられたらと思っている。
新しいものに触れる体験は、やっぱり楽しいものです。
似顔絵やコントの場面の描写など、描くことを中心に制作活動を続けて来ました。
もう数年前からですが、細々とyoutube チャンネルも運営していて、主にイラストの制作過程を紹介する動画をアップしていました。
しかし、作品というよりも、描いたイラストがどんな風に作られたのかを見せるだけの簡単なものばかりだったので、少しアニメーションも作ってみたいと思っています。
動画製作というと、flashを思い出します。
確かもうそのソフトは廃盤になったと思いますが、確かに最近は聞きませんよね。
その頃に、簡単なアニメーションを作ったことはありましたが、今回の『Toonsquid』はどんな風に使うアプリなのか、現時点では何も分かっていません。
これから少しずつyoutube にあがっているいろんな解説動画を見て、使い方を覚えて行こうと思います。
また、何かサンプルができたら、紹介したいです。
最近、似せようとはしていない。
見えるまま、描いている。
しっかりと照明が当てられたワンシーンではなく、動画内で見つけたかなり明暗の強い一枚。
見えるものを見えるままに描くことよりも、濃い影となってほとんど識別できないような濃淡の強い被写体は、デッサン力が如実に現れる。
右のイラストでも、本来なら左頬はもっと暗く、右頬はハイトーンで明るい。
目鼻口のバランスを整えることが人物像では必須だけど、さらに濃淡をどこまで再現できるのかで、イラストはより実写に近づいて行く。
その意味では、今回のイラストはまだまだ忠実さが不足していて、しっかりと影を落とした部分に躊躇いがある。
一方で、正面画に近いこの構図は、人物画ではよくあるもので、比較的描きやすいだろう。
しかし、だからこそ、頬や唇の奥行き感を忠実に再現していないと、平面で奥行きのないイラストになってしまう。
もしも、バックに少しでも明るい照明を描いていたら、もっと作品としての印象が変わったかもしれない。
いつかはしっかりと描けるようになりたい構図なだけに、もう一歩という感じの中途半端な仕上がりになってしまった。
神宮球場で、乃木坂46の賀喜遥香さんが始球式の大役を見事に果たしました。
笑顔でマウンドから降りて来たシーンを描いてみました。
ヤクルトスワローズの人気者、つば九郎と対面し、ちょうどグータッチに応じようとしているところです。
youtube にも制作シーンをアップしたので、興味があればそちらも覗いてくれたら嬉しいです。
とても多くの方々から支持されている人で、こみち自身もその方のテクニックに感心させられていました。
しかし、ある時に気付いたことですが、ちょっとした違和感を持ちました。
それがモチーフ(描こうとしている対象物)のイメージを追っていないように見えたこと。
つまり、大きなものを大きいように描くとか、小さく見失ってしまいそうなものをそう感じるように描こうとするのは、絵を描く人なら誰でも意識しているとこみちは思い込んでいました。
最初は、どうしても形を追うことに夢中で、大きさや重さ、色味に対して二の次になってしまうことがあります。
しかし、段々と描き慣れてくると、なぜ描きたいのか?という部分に疑問を持ち、その答えとしてモチーフの存在感を強く意識するようになるはずです。
もちろん、意識してもそれが完璧にできるとは限りません。
また一流である人ほど、繊細でわずかな違いまでも再現してしまうでしょう。
「これくらいでいいだろう」と思って、紹介されたなら分かります。
こみちも自身としてはまだ納得できていない時に、時間的な制約もあって無理無理に完成させた経験があるからです。
とは言え、こみちの場合、今回はここだけは手を抜かないぞと決めた部分があって、そこに関しては手応えを感じるまでは頑張っています。
本当に作品として評価されるなら、隅々まで意識させなければいけないとは思いますが…。
それにしても、その絵を見た時に、「ん?」となりました。
というか、本当に本人が描いたのだろうかとさえ疑いました。
それほど、描いた絵に感じ取るものがなかったからです。
位置関係のズレも大きく、バランスも悪いし、事実全く別物にしか見えないくらい違っています。
それで何を描こうとしたのかと思ってしまいました。
こみち自身も日頃からハガキサイズくらいのスケッチブックを持ち歩き、鉛筆で5分くらいの走り書きのような絵を描くます。
バランスを取るというよりは、雰囲気を描き取ることが目的です。
でも、自身ではその絵を見て、雰囲気を思い出せたりするのは、ポイントだけは描き取れているからでしょう。
逆を言えば、そこまで到達するまでに多くの練習をして来たと言っても過言ではありません。
何よりそんな風に描けるようになりたかったからです。
こみち自身がそう思って描き続けて来たので、尊敬する人も同じように思い込んでいました。
でも、もしかしたら誤解していたのかもしれません。
ちょっと残念になったという話でした。
芸術とビジネスは直接的に無関係な位置にある。
例えば、『絵』も芸術家が筆を取って描くだけでは、ビジネスにならないだろう。
「絵では食っていけない」と言われる理由はそこにある。
しかし、よくよく考えるとゲーム配信をして、それがビジネス化できるのは、例えばyoutube のような視聴に対する収益化のシステムが背景にあるからだ。
つまり、「行動」と「収益」を結びつけられる仕組みがあるか否か。
同じように『絵』だったとしても、イラストになればイラストレーターとして稼ぐことができる。
美大のような専門的なデッサンなど学ばなくても、雰囲気のある絵や描く人にネームバリューがあれば、人は興味を持ってくれるだろう。
専門教育を受けた人ほど、「美術」という概念を重んじるだろうから、パースの狂った絵を見て批判したくなるのも分かる。
しかし、「正しい」ことが大切なのではなく、「役に立つ」ことに意味があるのは、ビジネス的な意味合いからだ。
純粋に美術として絵を描くなら、食っていけないことに悩むべきではない。
稼ぐ仕事を見つければいいし、実家が裕福ならそこに甘えて、美術を貫けばいいからだ。
好きな絵を続けながら、収益化も考えるなら、それこそニーズに応えるしか方法はないだろう。
以前、こみち自身は似顔絵師にはなれないという話をした。
例えばデフォルメされたイラストで、その腕前を評価されても、こみち自身はちょっと困惑してしまう。
なぜなら、顔の特徴をさらに誇張し、それで確かに似ている雰囲気を出すけれど、そこだけを描くことに躊躇いがあるからだ。
だったら、紙面で使うようなイラストを描く方が好きだ。
実際に、それができれば食っていけるだろう。
しかし、美術として絵を描く人は、きっと描きたいものが明確で、こみちが考えるような「表面的な造形」など描いていないだろう。
それはデッサンの段階で終わっているだろうし、カメラの性能に追随しても絵としての価値が見出せるとは思えない。
言い換えると、絵としては不正確でも、そこにどう味や雰囲気を盛り込み、描き手の想いを載せられるかがポイントだろう。
以前も話題になったけれど、なぞり書きして下絵を作ることがダメだろうか。
今思うのは、デッサンをしていると、トレースするか否かは大きな問題ではなくて、技法や時短の領域だと思う。
1ミリもずれないようにトレースはしないし、欲しいポイントさえ目星が付けば、逆に細部までなぞることで持ち味を損なうこともある。
しかし、塗り絵的に描く場合、多くはデッサンに自信がない時や完コピを目的に行っているから、何もかもなぞって再現してしまう。
結果的に、元絵そっくりなモノができて、そこに描き手の見せ方や見せ方が感じられないこともある。
つまり、それは「絵」なのかという話だ。
だったら、コピー機で複写してもいいという話だろう。
細かい話はどうでもよくて、この雰囲気好きだなぁという景色が描けるなら、描き手としては十分だろう。
ただそれが、ビジネスに転換できるかは仕組み次第で、やはり描くことだけでは食っていけないのも当然だ。
今はそんな風に感じて描いていたりする。
最近のこみちは、見た目を描くことよりも、その場の雰囲気や状況を伝えられる場面を描きたくなる。
以前から好きな曲として、King Gnu さんの『愛燦々』があるけれど、この曲のMVもまたクリエイティブで好きだ。
引き(全体の関係性がよく分かるアングル)ではなく、かなり大胆なくらい寄って、顔だけが映し出される。
後になれば、自転車に乗っていることも理解できるのだけれど、まだその時点では大写になった顔だけが画面からはみ出して、上下に動くのしか伝わらない。
しかも、時折り表情が険しくなったり、視線があちらこちらに動いたりで、何か緊迫感が伝わる。
言葉にすると、そんな感じになる情景を、映像ではある意味でサラッと伝えてくれる。
King Gnu さんの曲を聴いた時の気持ちをどう「絵」として再現できるだろうか。
そんな思いもあって、今回はその冒頭シーンを描いてみた。
あまり野球のルールを知らない人や、普段はプロ野球や高校野球にも関心が薄い人でも、大谷選手の活躍をテレビを通じて知ったのではないでしょうか。
実力差のある相手に、終始余裕を見せて勝つということよりも、実力が拮抗していて、どちらが勝つのか分からない中で、ドキドキしながらも応援していると、勝利した時にこれまでには味わえなかったような感情が身体からみなぎります。
例えば、大谷選手の素晴らしい活躍を、人工知能によって再現できたとして、そこにあの時と同じ感動があったのかというと、決してそれは無かったでしょう。
つまり、絵を描くことも、元ネタがあって、それらをAIがそれっぽく作ることはできます。
しかし、技術的には上級者と変わらないレベルになったとしても、「なぜその場面を描こうと思ったのか?」という描く上で最も重要なポイントが抜け落ちているのも事実です。
写真の画像から階調を落とせば、それだけでも描いたような雰囲気になります。
顔にある特徴点をより多く見つけられれば、一般的なデッサンと同じようなロジックになるでしょう。
しかし、デッサンにも言えることですが、目の前に置かれたモノをどれだけ正確に描けるのかは、アートではなく、技術練習に過ぎません。
ある意味、アーティストが目指すのは世界観であって、巧みな技術の披露ではないはずです。
その意味では、トレースによって写真そっくりの絵を描くことも技術向上としては有益ですが、一方で最も幅広い感情を描くなら、描写技術の他に、モチベーションとなる感情が伴わないといけません。
ある意味、全く同じ景色を描いたとしても、そこに異なる感覚をどれだけ盛り込めるのかが腕だと思っているからです。
逆を言えば、そうではないならカメラで撮影した方が変に心許ない画力で描くよりもずっと鮮明に映せるでしょう。
そんな葛藤もあって、描きたいものがなかなか見つからず、かと言って興味の薄いことを無理して描く気持ちにもなれません。
感情が追いついていない感じになるからです。
2度目の挑戦です。
前回もかなり苦戦したので、今回はどこまで描けるのか不安でした。
似ているかと言われたら、「どうでしょうか?」というレベルです。
しかしながら、より粘り強く描くことができたように思います。
卒業されることを公表されているので、まだ画力的には難しい部分もあったのですが、再挑戦させていただきました。
今回のテーマは、久保史緒里さんを描くことではあるけれど、仕草や表情の描写にこだわってみた。
今回のシーンは、キャプテンの秋元真夏さんを前にして感情が溢れ出した時のもので、瞳に溢れ出した涙までどう描けるのかが課題になった。
カメラが広角だったからだろう。
少し顔全体が歪んで見える。
でも描く上では、修正をしないで、見えたままをできる限り描こうと思った。
乃木坂46というアイドルグループを知ったのも、youtube の動画コンテンツを見つけたからで、最初は顔も分からなかったのですが、公式チャンネルをはじめ、様々な動画を観ている中でメンバーの顔と名前、さらにグループの方向性や個々の立ち位置など、気付かされることが増えました。
間違えているかもしれませんが、乃木坂46は二代目キャプテンの秋元真夏さんが卒業し、結成当時の一期生が全て脱退したことで、その後に加入したメンバーによる新たな乃木坂46に変化する大切な時期を迎えています。
先輩たちがいなくなってそれまでは後輩として活動していた人が、新たな体制を迎え自身の役割を考えることも増えたでしょう。
つまり、アイドルグループという範疇を超えて、こみちのような一般人にも通じる部分があって、「自分には何ができるだろうか?」とか、「何をするべきか?」というような自問自答もあったはずです。
そんな中で、たまたまyoutube で見つけた弓木奈於さんに関する動画の中で、イメージ的に3枚目キャラを演じていた彼女が、逆に優等生的な存在のメンバーに対して、絶妙な距離感でサポートしている姿を見つけました。
「〇〇のやり方知らない」というメンバーに、「多分ね。多分、〇〇は…」と弓木さんがアドバイスしているのです。
本来なら「知っているよ。これは〇〇をすればいいの!」でもいいはずです。
でも「多分ね」という入り方をする姿勢に、「ん?」とこみち自身は思ったのです。
もしかして、「弓木さんって、普段から自分のことよりも相手を立てているの?」と。
そんな気づきがあって、ある乃木坂46の番組収録で、クイズに前のめりで挑む弓木さんを見つけ、何かこみちの心が動かされました。
以前同様のスタイルでもいいはずなのに、自分から積極的に取りに行く姿に感動したからです。
そんな弓木さんを描いてみたくて、それに通じるシーンとして、正解し腕を高々と挙げる姿を選んでみました。
個人的な考えですが、漠然と置かれたりんごをどんなにリアルに描いても、そこにはテクニックとしての価値はありますが、伝えるという意味での価値はありません。
こみちは描くことも、文章を書くことと同じと思っていて、視点や表現方法に違いがあるだけだと思っています。
つまり、何らかの決意をして、意気込む表情の弓木さんを絵で描くことはできるかもしれませんが、言葉としてその瞬間を切り取る言葉はありません。
瞬間を描ける絵の持ち味と、時系列で流れを伝えることが得意な文章には、異なる表現方法があるからです。
その意味で、こみちは似顔絵として「弓木奈於」さんを描いてみたいとはおもわなくて、弓木奈於さんという人物が見せる表情を描くことで、感情の変化や言葉では伝えられないワンシーンを描きたいと思っています。
そのためには、「表情」というものがとても大切で、デフォルメすることでその個人を特徴づける技法は求めている表現方法ではありません。
かと言って、写真をそのまま再現したいのでもなく、究極的には「感情」を描くための前段階のような感じです。
以前よく描いていた東京03のコントで、例えば出演された角田さんっぽい人を描くことが目的ではなく、コントで見せた表情をいかに再現できるか、さらにはそのコントさえも飛び越えて、演技中に思っていた感情さえも見逃さないで描きたいくらいです。
つまり、コントでは笑いのシーンなのに、実は目元は笑えていないというような些細な表情を描きたいのです。
よく初心者向けにりんごを描くことがありますが、形や色を真似ることが第一段階とするなら、重さや熟成度、品種や季節、描いた時刻や気温、天候などなど、「そこにあるりんご」を描くことがこみちの目指したい描くことの目的になっています。
つまり、ある段階まではリアルさの追求なのですが、その先は感覚的な領域で、でもそこに到達するにはまだまだ画力が足りません。
今は気ままに描くことを続けながら、いつかそんな意味で描けるようになりたいと思っています。
なぜ、このシーンを選んだのか。
いろんな背景があって、今回はこのシーンを選ばせてもらいました。
もっと画力が向上すれば、さらに多彩な表現が加えられるとは思うのですが、地道に描いていないと簡単には向上しないのが絵なので、もっとこみちが感じることを上手く伝えられるようになりたいです。
20年という長い年月を漫画家のアシスタントとして働き、連載を夢見ていたもののそれが叶わないと帰郷を選んだ角田さん。
同じアシスタントとして活躍する飯塚さんや豊本さんも、駅のホームまで見送りに来てくれた。
しかしながら、電車が事故でなかなか来ない。
三人はベンチに腰掛けて、別れの時間になるまで、同じくアシスタントとして過ごした日々を思い出す。
ふと、テンションが上がった角田さんが立ち上がり、二人の今後の活躍を故郷で祈っていると告げ、さらに感謝の気持ちを語ると鞄を肩に担いで、ホームのスレスレまで歩いていく。
「じゃあな!」
角田さんは、最後の別れの言葉を発した。
「電車、電車で来てないよ」
「嗚呼〜」
ある意味でロマンチックで感極まる角田さんは、アシスタントとして過ごした日々を、24時間漫画だけを考えていたと語る。
それくらい夢を追い、やり切ったからこその帰郷なのだと。
でも、見送る二人はそんな風に思っていなかった。
むしろもっと真面目に向き合っていたなら、夢だって叶ったはずだという。
何より、一時期は女に惚れ込み、連載の持ち込みもしなくなって、それを不満にさえ感じていたくらいだ。
二人からの印象を知り、「良い感じで帰らせろ!」と角田さんは怒ったりもするのだが…。
それでもまだ電車が遅れているようだ。
駅のホームで、わちゃわちゃと騒ぐ三人の様子が、東京03っぽくて好きなコントの一つでもある。
「美しい」と感じる理由は、その配置のバランスと各パーツの無駄の無さが関係しています。
つまり、少しでも配置が異なると、描かれた絵は全く異なる人に見えますし、そもそもその人を描く理由を失います。
白石麻衣さんにしても、向井葉月さんにしても、とても美形の顔立ちで、その特徴はちょっとした一部分ではなく、全体的に織りなす関係性があってこそ成立します。
つまり、目鼻口と描こうにも、ササッと引いた線だけでは全く白石さんには思えません。
「ああどうしよう!? 全然、描けない!」と思ってしまいます。
時間を掛けて、何度も何度も見直して描いたのが、このイラストです。
どうでしょうか。どちらが白石さんで、もう一人が向井さんだと分かるでしょうか。
しかも、頬を寄せてこちらを見つめる視線にも少し違いがあって、強いしっかりと見つめる左側の人と、少し頬を寄せることに躊躇いを感じ、見つめる視線もどこか不慣れな印象の右側の人。
もしもそのような解説をイラストから感じ取ってくれたのなら、こみちが意図して描いたテーマがしっかりと伝わったことになります。
コントラストの強い元絵で、それを描くのはかなりの難易度だと思います。
例えば、目元。
瞳を始め、各パーツの境界線がはっきりしていないので、「あたり線」で位置決めが難しく、「面」として捉えた意識が必須でした。
鉛筆画のようなスタイルであれば、濃淡だけを意識すればいいので、問題にはならない部分ですが、着色画の場合には色味の再現でコントラストの強さが難易度をアップさせます。
なぜなら、いきなり色味が変わるので、その位置を曖昧にはできません。
少し間違えただけでも、全体として全く異なる絵になってしまいます。
ご覧の通り、左頬の方から日が当たっているシーンです。
個人的な感想としては、60点くらいでしょうか。
課題にしていたポイントで、克服できたものとできなかったものが混雑していたからです。
ただ、少し発見したことがあって、もしかすると一気に画力がアップするかもしれません。
個人的にも、今後が楽しみです。
youtube の「こみちチャンネル」にもアップしているので、良かったら覗いてもらえると嬉しいです。
もうすぐ卒業される秋元真夏さん。
アイドルとして11年間、しかもキャプテンとして活躍された。
こみちの場合、乃木坂46を知ったのはyoutube の動画コンテンツで、好んで動画をし始めた時には一期生と呼ばれるグループ誕生時のメンバーがかなり卒業されていた。
動画コンテンツとして残っていると、卒業されたメンバーもまだ現役で活躍されている錯覚を起こしてしまう。
初代キャプテンの桜井玲香が卒業された2019年の頃を知らないので、多分2020年のあたりから見始めたのだろう。
可愛いからアイドル。
以前はそんな印象だったけれど、動画コンテンツを見始めて知ったのは、彼女たちが自己プロデュースをどれだけ真剣にしているのかという部分。
もちろん、グループ愛もそうだけど、限られた期間で何をどうしたいのかを懸命に探しているように見えた。
デビュー当時の映像を観ると、やっぱり一般の人と変わらない。
でも、芸能活動をする中でどんどん成長し、個性を磨いている。
興味深いのは、発足した1期メンバーと最後に加入した5期メンバーで、10歳くらい世代が違うのだろう。
つまり、同じグループでありながら、生きている時代が違っている。
今回、描かせてもらった秋元真夏さんは一期の最後となるメンバー。
彼女が卒業すると、グループ全体の雰囲気もガラッと変わるだろう。
同じように続く乃木坂46としての伝統を守りつつも、時代の変化もあって自然と様変わりして行く部分もある。
今思えば、中学や高校もそれぞれ3年しか通っていない。
社会人になってから感じる3年とは全く感覚も違う。
アイドルって、それだけ濃密な時間を掛けた特別なものなのだろう。
しかも秋元真夏さんは11年間というグループ発足から乃木坂46を見てきたメンバーだ。
卒業されることには、「卒業おめでとう」と思う反面、まだまだグループをけん引して欲しいと思える人だった。
詳しいことは何も分からないにわかファンではあるけれど、乃木坂46のまとまり感は、どこか秋元真夏さんの人柄もかなり影響していたように思う。
こみちの悪い癖は、ある程度の段階で満足してしまうこと。
なぜなら、絵を描きたいからではなく、絵を描くことで感じた感覚を残したいと思っているから。
それが誰かのためではなく、自身の記憶や思い出になれば十分なので、昔は色付きの絵さえも描かなかった。
右のイラストは、昨日に紹介してから気になる部分をさらに描きこんだもの。
厳密には帽子や着ている洋服、髪の毛など、まだまだ本当は手を加えられる部分もある。
金川紗耶さんという方をイメージするために、残すべきポイントだけで描けたら、それは最高の似顔絵になるだろう。以前にも話をしたけれど、こみち自身が目指しているのは、自身の感覚を「図形」として描き残すことで、写真そっくりに描くことでも、デフォルメされたキャラクターでもない。
左側のイラストは、昨日に公開した時のもの。
比べてみると、金川紗耶さんという人物、さらに肌の凹凸や、微笑んだ時の表情筋の動きを示しているだろう。
ただ、個人として「金川紗耶さんってこんな表情をするなぁ」と思った印象は同じで、違うのは描きこんだ方がよりそのイメージを絵に落とし込めているということ。
それこそ、画像を下絵に描けば、寸分の違いもなく簡単に描けるのは分かる。
でもそこに意味を感じないのは、写真のように描くことが目的ではないから。
重さ100キロくらいの大きさに感じたら、そのイメージを描きたい。
美人だと思ったら、どう美人だったのかを描けたら嬉しい。
でもそれを表現するための画力を身につけるのは容易ではなくて、例えば今回のイラストで言うと、笑った時の頬の盛り上がり方に特徴があって、そんな風に表情をはっきりと示すことができるのは、顔立ちの性ばかりではないと思う。
つまり、内面の動きが表に出た部分で、それがどこにどう現れているのかを観察して描くことが楽しい。
その意味では、二つのイラストの根本的な評価はほとんど違ってはいなくて、むしろ、もう少し画力があったなら表現できたであろう部分が描けていない。
もっと上手くなりたいなぁと思うのは、写真に寄せたいからではなく、感じた雰囲気をさらに限界近くまで落とし込めないもどかしさが残るから。
とは言え、既に気持ちのどこかで満足しているでしょう。
そこがこみちの弱点。成長しない理由とも言える。
今回も乃木坂46の金川沙耶さんを描いている。
絵を描く人であれば、このアングルって苦手意識はないだろうか。
こみち自身も得意ではなくて、やや上に向いた視線を維持して描き切るのが難しい。
さらに、前回は金川沙耶さんらしさを見つけられず、誰を描いてのかも分からないままになった。
今回は金川沙耶さんらしさを見つけたくて、再挑戦している。
もちろんこれで完成ではなくて、むしろここからどれだけ描き込めるのかが問われている。
いつも、この辺で満足感が出て、最後まで描き続けるモチベを消失させていたから、慎重に取り組みたい。
肌の質感、唇や目元の描き込みとまだまだ修正箇所が残っているが、現段階を紹介させてもらったのは、ここで手を抜かない決意を示したいと思ったから。
最後まで頑張ります。
いつもとは異なる描き方をしたのは、線画ではなく色付きの絵を最初からイメージしたかったから。
でも、凹凸の多い顔立ちは、日本人よりも西洋人を描く感覚で、立体感をしっかりと出しながら金川沙耶さんに似せて行く作業となりました。
しかしながら、ずっと見ているとどこがどう違うのか、逆に全てが違っているようにも思えて、ここからどこまで寄せられるのかが問われそうです。
1日期間を置いて、もう一度修正したいと思います。
とりあえず、現段階までの進捗という意味で、紹介できたらと思いました。
学生時代からも手を描く機会は多かったはず。
でも改めて描いてみると、いろんな発見もある。
形の取り方や肌の質感の再現性など。
今の画力を確認するには最適なモチーフだろう。
何か描くものはないかと思った時には、改めて手を描いてみるのもおすすめだ。
こみちにとって、似顔絵(デフォルメされた人物画)との出会いは中学生の頃から。
あまり勉強が得意ではなかったこともあり、授業中は教壇に立つ先生似顔絵ばかり描いていました。
描いた似顔絵を隣席の友だちに見せたり、教室の後ろの壁に貼り付けたりして、クラスメイトからも「似てる〜」と言われると喜んでいたものです。
サラリーマンになった時も、名刺交換で受け取ったら、思い出して相手の顔を自分に分かるレベルで描いておけば、後々になって接点があった時にどんな人だったか思い出すヒントに使っていました。
学生時代、デッサンなどで対象物を描くという経験をして、ある事実に気付きました。
それは「真実」という線があって、それを描かないことには絶対に対象物を描くことができない必須の線があることです。
今でも、絵を描いていて、幾つも線を引きますが、あるタイミングで引いた線で絵の質が一変します。
つまり、その真実の線を無意識に引いた時に、一気に絵を描くことに手答えを感じるのです。
しかし、デフォルメされたり、表面的な造形だけを追って描いていた学生時代の似顔絵には、そんな感覚はまるでありませんでした。
それこそ、意識が似ているか似ていないかだったからです。
さらに言えば、「絵を描く」という意味は、嘘を描かないことに尽きるとも思います。
よく絵を描きたい初心者向けに、線の引き方を練習しましょうと課題が出されます。
言い換えれば、歌が上手くなりたい人が音程やリズム感を学ぶように、美術では線を正しく引くことが最初の一歩です。
ある意味、それさえできれば、一気に中級者になるでしょうし、その人のセンスも加われば「絵が上手い人」になるはずです。
そこからは、ボイトレのように、正しい道具の使い方を学んで行くのでしょうか。
ではプロと何が違うのでしょう。
多分、「線を引く」という部分ではなく、「見方」「観察力」「関係性の把握」ではないかと思うのです。
例えば、どんな映像だとしても、BGMを変えると全く印象が異なる仕上がりになります。
バラエティーっぽくも、ドキュメンタリーにもできてしまうのです。
違うのは、映像ではなく、別の要素です。
見た人が感じるのは、「見えたまま」ではありません。
例えば、実際に目の前にあるように描くことと、カメラやモニター越しに見えている描き方を明確に描き分けられたら、「そこにある」という事実が同じでも、見た人に与える印象は全く別物です。
そんな感覚に面白味を感じているので、こみちにとって似ているかどうかはあまり意味がないのかもしれません。
真顔を描いて、誰か分かるということよりも、その人が不意に見せる表情をどこまで忠実に描き出せるか、そしてそのシーンを選んだことの方が実は大切だったりします。
この感覚は、こみちが少しだけカメラ好きだからかもしれません。
カメラはシャッターを押せば、誰でも同じ写真が撮影できます。
しかし、カメラの上手い下手は、どこのタイミングで何処をどう撮影したのかで、画質は絵を描く時の線に過ぎません。
光の入り具合や、周りの物との関係性などから、対象物の存在にどう意味づけをするのかがカメラの醍醐味で、良いカメラほど、その撮影に幅が作れます。
なので、プロカメラマンなら、こみちと同じカメラで撮影しても、全く異なる写真を撮れるでしょう。
意味づけ、動機付けの視点が全く違うからです。
目指したい場所が、こみちにとっては「似顔絵」ではなかったのかもしれません。