「イラストレーター」という職種
美大や芸大を出て、イラストレーターになった人はどれくらいいるだろう。
大学の建築学科で学んでも、「建築家」になれるのはどれくらいいるだろうか。
漫画家志望の人は、バックボーンとして何を学んだのだろう。
ライターという仕事をしてみて思ったのは、同じ文字を書く仕事でも、ライターと小説家はまるで異なることだ。
それは、画家とイラストレーターにも言える。
昔の話だが、こみち自身もお金をもらって「カット画」を描いていたことがある。
仕事として働いた経験がある人なら、ある程度のカット画は描けるだろう。
でもカット画とイラストは同じようでも全く異なるものだと思う。
つまり、主体性という意味が違うのだ。
少しでも「絵を描くことが好き」という人なら、真っ赤なリンゴを画用紙に描いた経験があるだろう。
幼少期なら「赤」と「丸い形状」が共通点かもしれないが、高学年にもなれば陰影をつけたりするだろうし、中学高校生くらいになれば「写真みたい」にも描けるはずだ。
例えば大学で学ぶ「絵」とは、「関係性」の理解なのかもしれない。
ポツンと置かれた一個のリンゴではなく、数個のリンゴがどのように置かれているのかに大きな意味を持つ。
その領域になると、「写真みたい」であることよりも、同じように見える「リンゴ」の個体差をどこまで追究するかに関心が向いてくる。
つまり、「リンゴ」も丸ばかりではなく、意外に直接的な部分もあって、「赤」だけに思えた色も「黄」から「紫」「緑」と複雑な色彩が現れる。
例えば、左右のどちらかから照明を当てて、リンゴの輪郭だけが光って見えるような表現も、リンゴを描くことには変わらないが、そこには「リンゴ」よりもさらに異なる意図が見え隠れしているだろう。
では「イラストレーター」とはどのような職種と言えるだろうか。
これも昔の話だが、イラストレーターになるなら「3パターン」くらいのタッチを覚えておくといいとアドバイスされたことがある。
つまり、人物画で言えば、実写そのままのタッチの他に、デフォルメされたタッチや、二頭身三頭身のようなコミカルなタッチという具合に、使いたい場面に合わせて表現手法を変えられることだ。
例えば、映像には「動き」の他に「効果音」や「BGM」と、幾つかの演出方法がある。
「イラスト」にも同じようなことが言えて、「リンゴ」も「リンゴ」である必要はないのだ。
つまり、リンゴから手足が伸びていたり、目や口があってはいけないという決まりはない。
「リンゴ」そのものの再現性に加えて、全く異なる演出が加わることで、「リンゴ」がイラストになっていく。
もしもそうだとしたら、イラストレーター志望なら、純粋な「美術画」を描き続けるだけではなれないだろう。
少なくとも「写真っぽい絵」はイラストではないし、限りなく「デッサン」に近い。
「デッサン」は音楽でいう「バイエル」みたいなところがあって、技法の「練習」という位置づけ。
つまりデッサンが上手な人は、無意識でも対象物の形を描き取れる。
でも、見た人の心を動かせるのかhs全く別問題だったりする。
確かに、ある程度の画力は必要だが、いわゆる美大に合格するようなデッサンは必要とは限らない。
もしも画家ではなく「イラストレーター」になりたいと思っているなら、初めは「形を取る」ための美術を学び、どこかのタイミングで、「自分らしい表現」を探すことが必要だろう。
それはつまり、「絵」が「イラスト」になって行くを意味している。
面白いもので「絵に味が出て」、時には本来とは異なる印象を与えることもあるが、それこそが「イラスト」ではないだろうか。
「イラスト」はそもそもデッサンでは無いし、写真でもないのだから、そこに気づくことができれば「イラストレーター」に近づくはずだ。
そして、そのタッチが支持されれば、「プロ」として活躍できるかもしれない。