東京03のイラストを描いてみました!
この風景を描いてみようと思うモチベが見つからず、なかなかイラストを描くチャンスがなかったのですが、東京03の「心理テクニック」で見た角田さんの表情に触発されました。
精密な描写というよりも、雰囲気が伝わったら嬉しいなというライトなタッチですが、描いてみるとやっぱり楽しい作業です。
この風景を描いてみようと思うモチベが見つからず、なかなかイラストを描くチャンスがなかったのですが、東京03の「心理テクニック」で見た角田さんの表情に触発されました。
精密な描写というよりも、雰囲気が伝わったら嬉しいなというライトなタッチですが、描いてみるとやっぱり楽しい作業です。
みなさんは、子ども頃足が速かったですか?
こみちは平均くらい。
でも、走る時は全力ですが、何をどう意識していたのかはよく分かっていませんでした。
健康維持と向上で始めたジョギングで、最初は息が切れてまともに走れませんでした。
それが段々と繰り返し内に走るようになって、その内に「走るって何?」という疑問に行き着きます。
ここではランニングのうんちくは控えますが、youtube で「為末大学」を観るようになって、段々と「走る」ということがどういう動作なのか理解できるようになりました。
腿上げをするというようなことよりももっと基本の、足の動きや腕の動きなど、「陸上競技」とは何をどう競い合うことなのかが分かります。
タイムは全く別だとしても、何をどうしようとしているのかを知ることで、走ることが分かって来て、さらにランニングが楽しくなります。
そんなキッカケを作ってくれた「為末大」さんを描いてみました。
ランニングを趣味として始めて、日々のタイム計測が日課になって、「キロ〇〇分」というランニングペースを示すことを当たり前に使うことが増えた。
そんなこともあって、キロ3分台や2分台のスピードで疾走する陸上選手のパフォーマンス力に感心させられる。
そして、不破聖衣来選手が注目されていることを知った。
駅伝大会で、ごぼう抜きしたり、区間新記録を量産したりと、どこからあんなパワー溢れる走りができるのかと思ってしまいます。
どんな選手なのかまだよく知らないという方は、youtube にもたくさん不破選手の走りが見られる動画が見つかると思うので、ぜひご覧ください。
似顔絵を描く時に、パッと見て特徴がある人は割と描きやすいはず。
逆に、美人とか、淡白な顔立ちになると、その微妙なバランスが大切になる。
富田鈴花さんを描く時も、昔であれば描こうとは思わなかった。
理由はシンプルで難しいから。
でも今回、あえて選んだのは、今の画力でどこまで印象を伝えられるのか試してみたかったから。
描いていると段々と感覚がマヒして、どれくらい似ているのか分からなくなる。
これを見て、「分かる!」と言ってもらえたら嬉しいし、「誰?」となったらまだまだだ画力を磨かなければいけない。
女性の似顔絵は、ちょっとしたアングルの違いでもイメージが変わってしまうことがある。
しかも、イメージ化したイラストではなく、割と見本に寄せて描くので違和感を感じていると最後まで似せられないで失敗する。
今回はそんな失敗があってからのリベンジ。
五百城茉央さんの表情には特有の雰囲気があって、その印象をどこまで伝えられたかがポイントになっている。
手応えとしては、こみちの画力ではよく描けたと思っているが、やっぱり他人に伝わるかで決まる。
みなさんはどう思っただろうか。
youtubeでも制作シーンを公開しているので、よかったらそちらも覗いてもらえると嬉しい。
最近、あまり描くことがなくなった単品のモチーフ。
でも「描く」基本がそこにはある。
料理でいうところの目玉焼きや玉子焼きのようなもので、初心者でも始めやすいものであり、中上級者でもテクニックを発揮させられる奥深さがある。
その昔、こみちは大きなキャンバスに描くことができなかった。
理由は単純で、描く面積が広くなっても、描くための情報を観察して汲み取れないからだ。
例えばこの描いたバナナ。
全体の色は黄色だと思う。
形だってそう複雑ではなく、少しくらい実物と異なっていても、それを気にする人はいないだろう。
その意味では人物画と比べて、初心者にも手を出しやすいモチーフと言える。
一方で、全体を黄色(y100)で塗ればいいのかというとそうではない。
こみちはオレンジ色や緑色、時に水彩画など描くなら紫色や青色まで使うだろう。
また、バナナ一本を見ても、円柱形ではなく、角があって、六角形のような多面体をしている。
光に照らされた時に、エッジとなる部分は他とは異なる特有の反射があって、それはわずかな色味の差となって感じ取ることができる。
もっと言えば、最も中央にある一本とその奥に見える一本の境界線は曖昧だ。
バナナは一本ずつの集合体と思うあまり、一本ずつきちんと描いてしまうと、急にイラストっぽさが増して、リアルさが薄れてしまう。
描く目的によっても描き方が異なるのは当然だが、色味の差が極めて少ないならそこに無駄な線を加えないことも大切だろう。
つまり、球体の描き方を覚えたからと言って、その技法を尊重し過ぎてしまうと、どうしても「絵」っぽくなってしまう。
個人的にはデッサンの段階でもそれを感じていて、最も顕著なのはトレースによる弊害だ。
例えば写真を下絵になぞり書きすると、その下絵は間違いなく撮影された焦点距離で再現されてしまう。
カメラ設定に詳しくない人には伝わらないかもしれないが、肉眼では見えるはずにない構図か否かはカメラ好きな人なら気づくだろう。
そのこと自体がダメという話ではなくて、トレースをして、色情報までコピーしてしまうと、簡単に実物そっくりに描けるけれど、そこに描き手の感性があるのかという問題が起こる。
不思議なもので、描き手のタッチや癖は簡単には築くことができない。
さらに言えば、それこそが描く理由であり、描き手が最も大切にしなければいけないポイントだ。
デッサンが感性に依存するものではなく機械的な技法とするなら、描くことはそのデッサンを基礎とした感性の再現とも言える。
つまり、今回描いたバナナがバナナに見えるか否かではなく、こみちが普段から見ているバナナとは「こんな感じですよ!」ということが見た人に伝わることが重要だ。
だから、「バナナだからと言って黄色一色でいいのか?」ということにこだわりたい。
まだ熟れていないバナナなのか、かなり熟れてきたバナナなのか。
もっと言えば、産地や品種の特徴まで再現したバナナなのか。
初心者向けには、デッサンもそれほど難しくないりんごやバナナなどを使って、描く楽しさを体験してもらうといい。
また中上級者には、貴方にとって「バナナ」がどう見えているのかを再現して欲しい。
そこには、「見たままを描く」という行程を超えて、「生き方」のようなものまで問われて来るだろう。
一方で画力向上の目的なら、ライティングなどに工夫を凝らしても面白い。
今回は割とオーソドックスに描いてみたけれど、やっぱりどう感じた結果の「絵」なのかがポイントで、そこに描く理由があると思う。
前回のキャラメルコーンに続いて、今回はビーノを描いてみた。
ある意味でパッケージの描写は、そのままデッサン力だと思うので、描く力をアップさせたいならおすすめのモチーフと言えるだろう。
ただ、前回よりも今回の難易度は高くなって、こみちの実力ではかなり苦戦した。
描く上でポイントとしているのは、まず描いているものを見た人にどれだけ伝えられるのかだと思う。
その点では、まずビーノのパッケージを描いていることだろう。
さらに言えば大きさや重さ、袋の存在感など、「これを買って来て!」と絵を見せて選んでもらえるだけの描写になっていたい。
その意味では個人的に視覚で伝えるメモとしては満足できる仕上がりになった。
しかし、中央部のイメージ写真として使われるお菓子の描写など、まだまだ画力として不十分な部分も多い。
正直なところ、今回のイラストはかなり苦戦した。
目で見てそれを絵に落とし込みたいと思って、そうなるように描くという作業の中で、直したい箇所があまりに多過ぎて、完成の目処が立たなくなってしまった。
多分、納得できるまで描こうとしたら、あと一週間は費やすことになるだろう。
それくらい、全体的に緑系の色味しかないパッケージを描くのは難しく感じた。
色の幅が限られているだけに、わずかな色味の違いも見逃せないから、形だけでなく色味を合わせるのが容易ではなかった。
これは女性の肌を描くのが難しいことにも通じるけれど、肌の色をハイライトで逃げてしまうと、どうしてもリアルさが伝わらないのと同じで、同系色しか無いパッケージを描く時もその繊細さをどう感じ取れるかで仕上がりが格段に変わってしまう。
スイカとトマトを描く時の難易度の違い
例えば、スイカを描く時に、全体を緑で塗り、柄となる黒を加えたら、それっぽい雰囲気になるだろう。
しかし、トマトを描く時に、ボテっとしたフォルムではなく、プチトマトのような形だとトマトとしての特徴が薄れてしまう。
色づけによってはリンゴやイチゴのような別の物にも見えてしまうし、大きさや重さまで伝える画力を目指そうとすると、一気に難易度が上がる。
大きさを比較できるような別の物と組み合わせたり、水滴を付けるなどして表面の艶っぽさを表現しやすくしたりすることも必要になる。
さらに言えば、トマトはいわゆるREDではなく、イエローが含まれているし、反対色の青系や紫系をどこまで使うのかもポイントだ。
いずれにしても、本気で描こうとすればするほど、単純な形状ほど難易度は高い。
もちろん、スイカだって本気で描こうと思ったら、やっぱり難しいことに変わりない。
描く時にその存在感を損なうことなく伝える難しさに気づくと、描く奥深さを楽しめるし、まだまだ画力が足りないと凹む。
今回は良い機会になった。
キャラメルコーンを描いてみた!
パッケージに光沢があって、光にキラキラと反射するキャラメルコーンの袋を描いてみる。
形ばかりを追うのではなく、キャラメルコーンの袋の重量感や表面にできた折り目など、描く題材としても勉強になるモチーフ。
パッケージに描かれたロゴなども多く、途中で少し中だるみをしてしまったけれど、どうにか最後まで描くことができた。
奥行き感なども含めて伝わっていたら嬉しい。
先生の作品を見て、脳が勝手に写真だと認識し、遅れて手描きだったと驚いた記憶があります。
今回、その時に見た作品の一部を模写させていただいたのですが、自分の絵がどう下手なのかを知る経験にもなって、とても勉強することができました。
掲載したイラストは、髪の毛部分があまり描けれていませんが、再度描いた別の一枚では前髪にテーマを求めて再度挑戦したりもしています。
やっぱり、描くことは楽しくて、それは自身の目に触れた光景を自身の手で描き残せるからだと思います。
今はスマホで簡単に撮影できてしまいますが、満足感という意味ではそのシーンを描き取るぞという想いとそれが自分なりに達成できた喜びが魅力です。
イメージしている表情だったので、それをどこまで再現できるかと挑戦してみました。
人物画は、やっぱり難しく、特にその人特有の表情を再現するのはさらに難易度も上がります。
でも、絵を描くならそこまで到達したいと思っていて頑張るのですが、なかなか成果が現れません。
さて、今回はどこまで描くことができたでしょうか。
「markers」の所で完全に迷子になってしまいました。
youtube 上にある関連動画を見ていると、口の動きを再現する時に使っている感じですが、日本語でいう母音ごとに指定するための作業なのか、単に口をパクパクさせる動画なのかさえ分かっていません。
最も課題なのは、ライブラリーに登録した時に、なぜかフレーム1の部分だけしかmarkersに出て来ないこと。
分かってしまえば、なんて事ない話だと思いつつも、そもそも何のためにしていることかも理解できないまま、動画と睨めっこしながら、手順を再現しているのですが。
いろんな方の動画を見比べながら、何度も巻き戻したり、スロー再生したりしていますが、核心が分かりません。
もう少し時間が掛かりそうです。
toonsquid めちゃくちゃ難しいじゃん!!
追記
その後も何度かやり直していたら、分かりました!
ポイントは、Libraryに登録する時に、登録したいフレーム(ずっと1フレームしか選んでいませんでした)すべてを選んだ状態にしてから行う必要がありました。
すると上手くできなかった「markers」も見本通りになって、後から呼び出して簡単に修正できます。
いやぁ、理解が悪くて大変です。
でも、また少し理解できたので、次の課題に進むことにします。
立ち姿って、顔ばかり大きくなって全体のバランスが崩れたりしませんか。
こみちの苦手意識があって、今回もちょっとドキドキしながら描き出しました。
顔だけの時と違い、サイズ感とかも気になったりで、やはり難しかったです。
正面右からの日差しもあったりで、よく言えば空気感も盛り込めたら良かったのですが。
立ち姿の場合、立っている感じがないと急に変になってしまうのですが、今回の感じはどうでしょうか。
以前から、アニメーションを作りたいと思っていた。
でもそれは100%イラストで作るというものではなく、例えば実写映像のテロップや演出として活かせるアニメーションも含まれる。
そこで、ipadでも使えるアプリで、何がいいのかなぁと思っていた時に、「toonsquid 」に出会った。
残念ながら日本語版がなく、英語版のみなのが気になるけれど、キーフレーム機能が使えるという一点だけで、とりあえず使ってみることにした。
使い方は、youtube の動画を探して、チュートリアル的なものから見始めた。
まだ全部は見ていなくて、ワークスペースを開いた時にあるボタンの説明や使い方を一つずつ調べている段階だ。
2時間くらい連続して使ったから、久しぶりに頭が疲労している感覚で、なんだか少し心地よい。
まだ初めての作品を公開できるまでは時間が掛かるかもしれませんが、イラスト制作に加えて表現の幅を広げられたらと思っている。
新しいものに触れる体験は、やっぱり楽しいものです。
似顔絵やコントの場面の描写など、描くことを中心に制作活動を続けて来ました。
もう数年前からですが、細々とyoutube チャンネルも運営していて、主にイラストの制作過程を紹介する動画をアップしていました。
しかし、作品というよりも、描いたイラストがどんな風に作られたのかを見せるだけの簡単なものばかりだったので、少しアニメーションも作ってみたいと思っています。
動画製作というと、flashを思い出します。
確かもうそのソフトは廃盤になったと思いますが、確かに最近は聞きませんよね。
その頃に、簡単なアニメーションを作ったことはありましたが、今回の『Toonsquid』はどんな風に使うアプリなのか、現時点では何も分かっていません。
これから少しずつyoutube にあがっているいろんな解説動画を見て、使い方を覚えて行こうと思います。
また、何かサンプルができたら、紹介したいです。
最近、似せようとはしていない。
見えるまま、描いている。
しっかりと照明が当てられたワンシーンではなく、動画内で見つけたかなり明暗の強い一枚。
見えるものを見えるままに描くことよりも、濃い影となってほとんど識別できないような濃淡の強い被写体は、デッサン力が如実に現れる。
右のイラストでも、本来なら左頬はもっと暗く、右頬はハイトーンで明るい。
目鼻口のバランスを整えることが人物像では必須だけど、さらに濃淡をどこまで再現できるのかで、イラストはより実写に近づいて行く。
その意味では、今回のイラストはまだまだ忠実さが不足していて、しっかりと影を落とした部分に躊躇いがある。
一方で、正面画に近いこの構図は、人物画ではよくあるもので、比較的描きやすいだろう。
しかし、だからこそ、頬や唇の奥行き感を忠実に再現していないと、平面で奥行きのないイラストになってしまう。
もしも、バックに少しでも明るい照明を描いていたら、もっと作品としての印象が変わったかもしれない。
いつかはしっかりと描けるようになりたい構図なだけに、もう一歩という感じの中途半端な仕上がりになってしまった。
神宮球場で、乃木坂46の賀喜遥香さんが始球式の大役を見事に果たしました。
笑顔でマウンドから降りて来たシーンを描いてみました。
ヤクルトスワローズの人気者、つば九郎と対面し、ちょうどグータッチに応じようとしているところです。
youtube にも制作シーンをアップしたので、興味があればそちらも覗いてくれたら嬉しいです。
とても多くの方々から支持されている人で、こみち自身もその方のテクニックに感心させられていました。
しかし、ある時に気付いたことですが、ちょっとした違和感を持ちました。
それがモチーフ(描こうとしている対象物)のイメージを追っていないように見えたこと。
つまり、大きなものを大きいように描くとか、小さく見失ってしまいそうなものをそう感じるように描こうとするのは、絵を描く人なら誰でも意識しているとこみちは思い込んでいました。
最初は、どうしても形を追うことに夢中で、大きさや重さ、色味に対して二の次になってしまうことがあります。
しかし、段々と描き慣れてくると、なぜ描きたいのか?という部分に疑問を持ち、その答えとしてモチーフの存在感を強く意識するようになるはずです。
もちろん、意識してもそれが完璧にできるとは限りません。
また一流である人ほど、繊細でわずかな違いまでも再現してしまうでしょう。
「これくらいでいいだろう」と思って、紹介されたなら分かります。
こみちも自身としてはまだ納得できていない時に、時間的な制約もあって無理無理に完成させた経験があるからです。
とは言え、こみちの場合、今回はここだけは手を抜かないぞと決めた部分があって、そこに関しては手応えを感じるまでは頑張っています。
本当に作品として評価されるなら、隅々まで意識させなければいけないとは思いますが…。
それにしても、その絵を見た時に、「ん?」となりました。
というか、本当に本人が描いたのだろうかとさえ疑いました。
それほど、描いた絵に感じ取るものがなかったからです。
位置関係のズレも大きく、バランスも悪いし、事実全く別物にしか見えないくらい違っています。
それで何を描こうとしたのかと思ってしまいました。
こみち自身も日頃からハガキサイズくらいのスケッチブックを持ち歩き、鉛筆で5分くらいの走り書きのような絵を描くます。
バランスを取るというよりは、雰囲気を描き取ることが目的です。
でも、自身ではその絵を見て、雰囲気を思い出せたりするのは、ポイントだけは描き取れているからでしょう。
逆を言えば、そこまで到達するまでに多くの練習をして来たと言っても過言ではありません。
何よりそんな風に描けるようになりたかったからです。
こみち自身がそう思って描き続けて来たので、尊敬する人も同じように思い込んでいました。
でも、もしかしたら誤解していたのかもしれません。
ちょっと残念になったという話でした。
芸術とビジネスは直接的に無関係な位置にある。
例えば、『絵』も芸術家が筆を取って描くだけでは、ビジネスにならないだろう。
「絵では食っていけない」と言われる理由はそこにある。
しかし、よくよく考えるとゲーム配信をして、それがビジネス化できるのは、例えばyoutube のような視聴に対する収益化のシステムが背景にあるからだ。
つまり、「行動」と「収益」を結びつけられる仕組みがあるか否か。
同じように『絵』だったとしても、イラストになればイラストレーターとして稼ぐことができる。
美大のような専門的なデッサンなど学ばなくても、雰囲気のある絵や描く人にネームバリューがあれば、人は興味を持ってくれるだろう。
専門教育を受けた人ほど、「美術」という概念を重んじるだろうから、パースの狂った絵を見て批判したくなるのも分かる。
しかし、「正しい」ことが大切なのではなく、「役に立つ」ことに意味があるのは、ビジネス的な意味合いからだ。
純粋に美術として絵を描くなら、食っていけないことに悩むべきではない。
稼ぐ仕事を見つければいいし、実家が裕福ならそこに甘えて、美術を貫けばいいからだ。
好きな絵を続けながら、収益化も考えるなら、それこそニーズに応えるしか方法はないだろう。
以前、こみち自身は似顔絵師にはなれないという話をした。
例えばデフォルメされたイラストで、その腕前を評価されても、こみち自身はちょっと困惑してしまう。
なぜなら、顔の特徴をさらに誇張し、それで確かに似ている雰囲気を出すけれど、そこだけを描くことに躊躇いがあるからだ。
だったら、紙面で使うようなイラストを描く方が好きだ。
実際に、それができれば食っていけるだろう。
しかし、美術として絵を描く人は、きっと描きたいものが明確で、こみちが考えるような「表面的な造形」など描いていないだろう。
それはデッサンの段階で終わっているだろうし、カメラの性能に追随しても絵としての価値が見出せるとは思えない。
言い換えると、絵としては不正確でも、そこにどう味や雰囲気を盛り込み、描き手の想いを載せられるかがポイントだろう。
以前も話題になったけれど、なぞり書きして下絵を作ることがダメだろうか。
今思うのは、デッサンをしていると、トレースするか否かは大きな問題ではなくて、技法や時短の領域だと思う。
1ミリもずれないようにトレースはしないし、欲しいポイントさえ目星が付けば、逆に細部までなぞることで持ち味を損なうこともある。
しかし、塗り絵的に描く場合、多くはデッサンに自信がない時や完コピを目的に行っているから、何もかもなぞって再現してしまう。
結果的に、元絵そっくりなモノができて、そこに描き手の見せ方や見せ方が感じられないこともある。
つまり、それは「絵」なのかという話だ。
だったら、コピー機で複写してもいいという話だろう。
細かい話はどうでもよくて、この雰囲気好きだなぁという景色が描けるなら、描き手としては十分だろう。
ただそれが、ビジネスに転換できるかは仕組み次第で、やはり描くことだけでは食っていけないのも当然だ。
今はそんな風に感じて描いていたりする。
最近のこみちは、見た目を描くことよりも、その場の雰囲気や状況を伝えられる場面を描きたくなる。
以前から好きな曲として、King Gnu さんの『愛燦々』があるけれど、この曲のMVもまたクリエイティブで好きだ。
引き(全体の関係性がよく分かるアングル)ではなく、かなり大胆なくらい寄って、顔だけが映し出される。
後になれば、自転車に乗っていることも理解できるのだけれど、まだその時点では大写になった顔だけが画面からはみ出して、上下に動くのしか伝わらない。
しかも、時折り表情が険しくなったり、視線があちらこちらに動いたりで、何か緊迫感が伝わる。
言葉にすると、そんな感じになる情景を、映像ではある意味でサラッと伝えてくれる。
King Gnu さんの曲を聴いた時の気持ちをどう「絵」として再現できるだろうか。
そんな思いもあって、今回はその冒頭シーンを描いてみた。
あまり野球のルールを知らない人や、普段はプロ野球や高校野球にも関心が薄い人でも、大谷選手の活躍をテレビを通じて知ったのではないでしょうか。
実力差のある相手に、終始余裕を見せて勝つということよりも、実力が拮抗していて、どちらが勝つのか分からない中で、ドキドキしながらも応援していると、勝利した時にこれまでには味わえなかったような感情が身体からみなぎります。
例えば、大谷選手の素晴らしい活躍を、人工知能によって再現できたとして、そこにあの時と同じ感動があったのかというと、決してそれは無かったでしょう。
つまり、絵を描くことも、元ネタがあって、それらをAIがそれっぽく作ることはできます。
しかし、技術的には上級者と変わらないレベルになったとしても、「なぜその場面を描こうと思ったのか?」という描く上で最も重要なポイントが抜け落ちているのも事実です。
写真の画像から階調を落とせば、それだけでも描いたような雰囲気になります。
顔にある特徴点をより多く見つけられれば、一般的なデッサンと同じようなロジックになるでしょう。
しかし、デッサンにも言えることですが、目の前に置かれたモノをどれだけ正確に描けるのかは、アートではなく、技術練習に過ぎません。
ある意味、アーティストが目指すのは世界観であって、巧みな技術の披露ではないはずです。
その意味では、トレースによって写真そっくりの絵を描くことも技術向上としては有益ですが、一方で最も幅広い感情を描くなら、描写技術の他に、モチベーションとなる感情が伴わないといけません。
ある意味、全く同じ景色を描いたとしても、そこに異なる感覚をどれだけ盛り込めるのかが腕だと思っているからです。
逆を言えば、そうではないならカメラで撮影した方が変に心許ない画力で描くよりもずっと鮮明に映せるでしょう。
そんな葛藤もあって、描きたいものがなかなか見つからず、かと言って興味の薄いことを無理して描く気持ちにもなれません。
感情が追いついていない感じになるからです。
2度目の挑戦です。
前回もかなり苦戦したので、今回はどこまで描けるのか不安でした。
似ているかと言われたら、「どうでしょうか?」というレベルです。
しかしながら、より粘り強く描くことができたように思います。
卒業されることを公表されているので、まだ画力的には難しい部分もあったのですが、再挑戦させていただきました。
今回のテーマは、久保史緒里さんを描くことではあるけれど、仕草や表情の描写にこだわってみた。
今回のシーンは、キャプテンの秋元真夏さんを前にして感情が溢れ出した時のもので、瞳に溢れ出した涙までどう描けるのかが課題になった。
カメラが広角だったからだろう。
少し顔全体が歪んで見える。
でも描く上では、修正をしないで、見えたままをできる限り描こうと思った。
乃木坂46というアイドルグループを知ったのも、youtube の動画コンテンツを見つけたからで、最初は顔も分からなかったのですが、公式チャンネルをはじめ、様々な動画を観ている中でメンバーの顔と名前、さらにグループの方向性や個々の立ち位置など、気付かされることが増えました。
間違えているかもしれませんが、乃木坂46は二代目キャプテンの秋元真夏さんが卒業し、結成当時の一期生が全て脱退したことで、その後に加入したメンバーによる新たな乃木坂46に変化する大切な時期を迎えています。
先輩たちがいなくなってそれまでは後輩として活動していた人が、新たな体制を迎え自身の役割を考えることも増えたでしょう。
つまり、アイドルグループという範疇を超えて、こみちのような一般人にも通じる部分があって、「自分には何ができるだろうか?」とか、「何をするべきか?」というような自問自答もあったはずです。
そんな中で、たまたまyoutube で見つけた弓木奈於さんに関する動画の中で、イメージ的に3枚目キャラを演じていた彼女が、逆に優等生的な存在のメンバーに対して、絶妙な距離感でサポートしている姿を見つけました。
「〇〇のやり方知らない」というメンバーに、「多分ね。多分、〇〇は…」と弓木さんがアドバイスしているのです。
本来なら「知っているよ。これは〇〇をすればいいの!」でもいいはずです。
でも「多分ね」という入り方をする姿勢に、「ん?」とこみち自身は思ったのです。
もしかして、「弓木さんって、普段から自分のことよりも相手を立てているの?」と。
そんな気づきがあって、ある乃木坂46の番組収録で、クイズに前のめりで挑む弓木さんを見つけ、何かこみちの心が動かされました。
以前同様のスタイルでもいいはずなのに、自分から積極的に取りに行く姿に感動したからです。
そんな弓木さんを描いてみたくて、それに通じるシーンとして、正解し腕を高々と挙げる姿を選んでみました。
個人的な考えですが、漠然と置かれたりんごをどんなにリアルに描いても、そこにはテクニックとしての価値はありますが、伝えるという意味での価値はありません。
こみちは描くことも、文章を書くことと同じと思っていて、視点や表現方法に違いがあるだけだと思っています。
つまり、何らかの決意をして、意気込む表情の弓木さんを絵で描くことはできるかもしれませんが、言葉としてその瞬間を切り取る言葉はありません。
瞬間を描ける絵の持ち味と、時系列で流れを伝えることが得意な文章には、異なる表現方法があるからです。
その意味で、こみちは似顔絵として「弓木奈於」さんを描いてみたいとはおもわなくて、弓木奈於さんという人物が見せる表情を描くことで、感情の変化や言葉では伝えられないワンシーンを描きたいと思っています。
そのためには、「表情」というものがとても大切で、デフォルメすることでその個人を特徴づける技法は求めている表現方法ではありません。
かと言って、写真をそのまま再現したいのでもなく、究極的には「感情」を描くための前段階のような感じです。
以前よく描いていた東京03のコントで、例えば出演された角田さんっぽい人を描くことが目的ではなく、コントで見せた表情をいかに再現できるか、さらにはそのコントさえも飛び越えて、演技中に思っていた感情さえも見逃さないで描きたいくらいです。
つまり、コントでは笑いのシーンなのに、実は目元は笑えていないというような些細な表情を描きたいのです。
よく初心者向けにりんごを描くことがありますが、形や色を真似ることが第一段階とするなら、重さや熟成度、品種や季節、描いた時刻や気温、天候などなど、「そこにあるりんご」を描くことがこみちの目指したい描くことの目的になっています。
つまり、ある段階まではリアルさの追求なのですが、その先は感覚的な領域で、でもそこに到達するにはまだまだ画力が足りません。
今は気ままに描くことを続けながら、いつかそんな意味で描けるようになりたいと思っています。
なぜ、このシーンを選んだのか。
いろんな背景があって、今回はこのシーンを選ばせてもらいました。
もっと画力が向上すれば、さらに多彩な表現が加えられるとは思うのですが、地道に描いていないと簡単には向上しないのが絵なので、もっとこみちが感じることを上手く伝えられるようになりたいです。
20年という長い年月を漫画家のアシスタントとして働き、連載を夢見ていたもののそれが叶わないと帰郷を選んだ角田さん。
同じアシスタントとして活躍する飯塚さんや豊本さんも、駅のホームまで見送りに来てくれた。
しかしながら、電車が事故でなかなか来ない。
三人はベンチに腰掛けて、別れの時間になるまで、同じくアシスタントとして過ごした日々を思い出す。
ふと、テンションが上がった角田さんが立ち上がり、二人の今後の活躍を故郷で祈っていると告げ、さらに感謝の気持ちを語ると鞄を肩に担いで、ホームのスレスレまで歩いていく。
「じゃあな!」
角田さんは、最後の別れの言葉を発した。
「電車、電車で来てないよ」
「嗚呼〜」
ある意味でロマンチックで感極まる角田さんは、アシスタントとして過ごした日々を、24時間漫画だけを考えていたと語る。
それくらい夢を追い、やり切ったからこその帰郷なのだと。
でも、見送る二人はそんな風に思っていなかった。
むしろもっと真面目に向き合っていたなら、夢だって叶ったはずだという。
何より、一時期は女に惚れ込み、連載の持ち込みもしなくなって、それを不満にさえ感じていたくらいだ。
二人からの印象を知り、「良い感じで帰らせろ!」と角田さんは怒ったりもするのだが…。
それでもまだ電車が遅れているようだ。
駅のホームで、わちゃわちゃと騒ぐ三人の様子が、東京03っぽくて好きなコントの一つでもある。
「美しい」と感じる理由は、その配置のバランスと各パーツの無駄の無さが関係しています。
つまり、少しでも配置が異なると、描かれた絵は全く異なる人に見えますし、そもそもその人を描く理由を失います。
白石麻衣さんにしても、向井葉月さんにしても、とても美形の顔立ちで、その特徴はちょっとした一部分ではなく、全体的に織りなす関係性があってこそ成立します。
つまり、目鼻口と描こうにも、ササッと引いた線だけでは全く白石さんには思えません。
「ああどうしよう!? 全然、描けない!」と思ってしまいます。
時間を掛けて、何度も何度も見直して描いたのが、このイラストです。
どうでしょうか。どちらが白石さんで、もう一人が向井さんだと分かるでしょうか。
しかも、頬を寄せてこちらを見つめる視線にも少し違いがあって、強いしっかりと見つめる左側の人と、少し頬を寄せることに躊躇いを感じ、見つめる視線もどこか不慣れな印象の右側の人。
もしもそのような解説をイラストから感じ取ってくれたのなら、こみちが意図して描いたテーマがしっかりと伝わったことになります。
コントラストの強い元絵で、それを描くのはかなりの難易度だと思います。
例えば、目元。
瞳を始め、各パーツの境界線がはっきりしていないので、「あたり線」で位置決めが難しく、「面」として捉えた意識が必須でした。
鉛筆画のようなスタイルであれば、濃淡だけを意識すればいいので、問題にはならない部分ですが、着色画の場合には色味の再現でコントラストの強さが難易度をアップさせます。
なぜなら、いきなり色味が変わるので、その位置を曖昧にはできません。
少し間違えただけでも、全体として全く異なる絵になってしまいます。
ご覧の通り、左頬の方から日が当たっているシーンです。
個人的な感想としては、60点くらいでしょうか。
課題にしていたポイントで、克服できたものとできなかったものが混雑していたからです。
ただ、少し発見したことがあって、もしかすると一気に画力がアップするかもしれません。
個人的にも、今後が楽しみです。
youtube の「こみちチャンネル」にもアップしているので、良かったら覗いてもらえると嬉しいです。
もうすぐ卒業される秋元真夏さん。
アイドルとして11年間、しかもキャプテンとして活躍された。
こみちの場合、乃木坂46を知ったのはyoutube の動画コンテンツで、好んで動画をし始めた時には一期生と呼ばれるグループ誕生時のメンバーがかなり卒業されていた。
動画コンテンツとして残っていると、卒業されたメンバーもまだ現役で活躍されている錯覚を起こしてしまう。
初代キャプテンの桜井玲香が卒業された2019年の頃を知らないので、多分2020年のあたりから見始めたのだろう。
可愛いからアイドル。
以前はそんな印象だったけれど、動画コンテンツを見始めて知ったのは、彼女たちが自己プロデュースをどれだけ真剣にしているのかという部分。
もちろん、グループ愛もそうだけど、限られた期間で何をどうしたいのかを懸命に探しているように見えた。
デビュー当時の映像を観ると、やっぱり一般の人と変わらない。
でも、芸能活動をする中でどんどん成長し、個性を磨いている。
興味深いのは、発足した1期メンバーと最後に加入した5期メンバーで、10歳くらい世代が違うのだろう。
つまり、同じグループでありながら、生きている時代が違っている。
今回、描かせてもらった秋元真夏さんは一期の最後となるメンバー。
彼女が卒業すると、グループ全体の雰囲気もガラッと変わるだろう。
同じように続く乃木坂46としての伝統を守りつつも、時代の変化もあって自然と様変わりして行く部分もある。
今思えば、中学や高校もそれぞれ3年しか通っていない。
社会人になってから感じる3年とは全く感覚も違う。
アイドルって、それだけ濃密な時間を掛けた特別なものなのだろう。
しかも秋元真夏さんは11年間というグループ発足から乃木坂46を見てきたメンバーだ。
卒業されることには、「卒業おめでとう」と思う反面、まだまだグループをけん引して欲しいと思える人だった。
詳しいことは何も分からないにわかファンではあるけれど、乃木坂46のまとまり感は、どこか秋元真夏さんの人柄もかなり影響していたように思う。
こみちの悪い癖は、ある程度の段階で満足してしまうこと。
なぜなら、絵を描きたいからではなく、絵を描くことで感じた感覚を残したいと思っているから。
それが誰かのためではなく、自身の記憶や思い出になれば十分なので、昔は色付きの絵さえも描かなかった。
右のイラストは、昨日に紹介してから気になる部分をさらに描きこんだもの。
厳密には帽子や着ている洋服、髪の毛など、まだまだ本当は手を加えられる部分もある。
金川紗耶さんという方をイメージするために、残すべきポイントだけで描けたら、それは最高の似顔絵になるだろう。以前にも話をしたけれど、こみち自身が目指しているのは、自身の感覚を「図形」として描き残すことで、写真そっくりに描くことでも、デフォルメされたキャラクターでもない。
左側のイラストは、昨日に公開した時のもの。
比べてみると、金川紗耶さんという人物、さらに肌の凹凸や、微笑んだ時の表情筋の動きを示しているだろう。
ただ、個人として「金川紗耶さんってこんな表情をするなぁ」と思った印象は同じで、違うのは描きこんだ方がよりそのイメージを絵に落とし込めているということ。
それこそ、画像を下絵に描けば、寸分の違いもなく簡単に描けるのは分かる。
でもそこに意味を感じないのは、写真のように描くことが目的ではないから。
重さ100キロくらいの大きさに感じたら、そのイメージを描きたい。
美人だと思ったら、どう美人だったのかを描けたら嬉しい。
でもそれを表現するための画力を身につけるのは容易ではなくて、例えば今回のイラストで言うと、笑った時の頬の盛り上がり方に特徴があって、そんな風に表情をはっきりと示すことができるのは、顔立ちの性ばかりではないと思う。
つまり、内面の動きが表に出た部分で、それがどこにどう現れているのかを観察して描くことが楽しい。
その意味では、二つのイラストの根本的な評価はほとんど違ってはいなくて、むしろ、もう少し画力があったなら表現できたであろう部分が描けていない。
もっと上手くなりたいなぁと思うのは、写真に寄せたいからではなく、感じた雰囲気をさらに限界近くまで落とし込めないもどかしさが残るから。
とは言え、既に気持ちのどこかで満足しているでしょう。
そこがこみちの弱点。成長しない理由とも言える。
今回も乃木坂46の金川沙耶さんを描いている。
絵を描く人であれば、このアングルって苦手意識はないだろうか。
こみち自身も得意ではなくて、やや上に向いた視線を維持して描き切るのが難しい。
さらに、前回は金川沙耶さんらしさを見つけられず、誰を描いてのかも分からないままになった。
今回は金川沙耶さんらしさを見つけたくて、再挑戦している。
もちろんこれで完成ではなくて、むしろここからどれだけ描き込めるのかが問われている。
いつも、この辺で満足感が出て、最後まで描き続けるモチベを消失させていたから、慎重に取り組みたい。
肌の質感、唇や目元の描き込みとまだまだ修正箇所が残っているが、現段階を紹介させてもらったのは、ここで手を抜かない決意を示したいと思ったから。
最後まで頑張ります。
いつもとは異なる描き方をしたのは、線画ではなく色付きの絵を最初からイメージしたかったから。
でも、凹凸の多い顔立ちは、日本人よりも西洋人を描く感覚で、立体感をしっかりと出しながら金川沙耶さんに似せて行く作業となりました。
しかしながら、ずっと見ているとどこがどう違うのか、逆に全てが違っているようにも思えて、ここからどこまで寄せられるのかが問われそうです。
1日期間を置いて、もう一度修正したいと思います。
とりあえず、現段階までの進捗という意味で、紹介できたらと思いました。
学生時代からも手を描く機会は多かったはず。
でも改めて描いてみると、いろんな発見もある。
形の取り方や肌の質感の再現性など。
今の画力を確認するには最適なモチーフだろう。
何か描くものはないかと思った時には、改めて手を描いてみるのもおすすめだ。
こみちにとって、似顔絵(デフォルメされた人物画)との出会いは中学生の頃から。
あまり勉強が得意ではなかったこともあり、授業中は教壇に立つ先生似顔絵ばかり描いていました。
描いた似顔絵を隣席の友だちに見せたり、教室の後ろの壁に貼り付けたりして、クラスメイトからも「似てる〜」と言われると喜んでいたものです。
サラリーマンになった時も、名刺交換で受け取ったら、思い出して相手の顔を自分に分かるレベルで描いておけば、後々になって接点があった時にどんな人だったか思い出すヒントに使っていました。
学生時代、デッサンなどで対象物を描くという経験をして、ある事実に気付きました。
それは「真実」という線があって、それを描かないことには絶対に対象物を描くことができない必須の線があることです。
今でも、絵を描いていて、幾つも線を引きますが、あるタイミングで引いた線で絵の質が一変します。
つまり、その真実の線を無意識に引いた時に、一気に絵を描くことに手答えを感じるのです。
しかし、デフォルメされたり、表面的な造形だけを追って描いていた学生時代の似顔絵には、そんな感覚はまるでありませんでした。
それこそ、意識が似ているか似ていないかだったからです。
さらに言えば、「絵を描く」という意味は、嘘を描かないことに尽きるとも思います。
よく絵を描きたい初心者向けに、線の引き方を練習しましょうと課題が出されます。
言い換えれば、歌が上手くなりたい人が音程やリズム感を学ぶように、美術では線を正しく引くことが最初の一歩です。
ある意味、それさえできれば、一気に中級者になるでしょうし、その人のセンスも加われば「絵が上手い人」になるはずです。
そこからは、ボイトレのように、正しい道具の使い方を学んで行くのでしょうか。
ではプロと何が違うのでしょう。
多分、「線を引く」という部分ではなく、「見方」「観察力」「関係性の把握」ではないかと思うのです。
例えば、どんな映像だとしても、BGMを変えると全く印象が異なる仕上がりになります。
バラエティーっぽくも、ドキュメンタリーにもできてしまうのです。
違うのは、映像ではなく、別の要素です。
見た人が感じるのは、「見えたまま」ではありません。
例えば、実際に目の前にあるように描くことと、カメラやモニター越しに見えている描き方を明確に描き分けられたら、「そこにある」という事実が同じでも、見た人に与える印象は全く別物です。
そんな感覚に面白味を感じているので、こみちにとって似ているかどうかはあまり意味がないのかもしれません。
真顔を描いて、誰か分かるということよりも、その人が不意に見せる表情をどこまで忠実に描き出せるか、そしてそのシーンを選んだことの方が実は大切だったりします。
この感覚は、こみちが少しだけカメラ好きだからかもしれません。
カメラはシャッターを押せば、誰でも同じ写真が撮影できます。
しかし、カメラの上手い下手は、どこのタイミングで何処をどう撮影したのかで、画質は絵を描く時の線に過ぎません。
光の入り具合や、周りの物との関係性などから、対象物の存在にどう意味づけをするのかがカメラの醍醐味で、良いカメラほど、その撮影に幅が作れます。
なので、プロカメラマンなら、こみちと同じカメラで撮影しても、全く異なる写真を撮れるでしょう。
意味づけ、動機付けの視点が全く違うからです。
目指したい場所が、こみちにとっては「似顔絵」ではなかったのかもしれません。
youtube を観ていて、井上和さんの表情がとても印象的で、このシーンを描きたいと思ってスタートしました。
いつもは顔や上半身だけということも多いのですが、左サイドにあるイラストも、似せて描いてみたりして、新たな試みも加えました。
実際に描いてみて、井上和さんの柔らかな表情を再現するのが難しく、一番時間も掛けましたし、まだyoutube にアップするまでに修正を加えるつもりです。
ここでは、こんな感じのイラストを描いたという報告なので、ほぼ完成したので紹介させてもらいました。
サッポロ一番の公式チャンネルに登場した日向坂46の上村ひなのさん。
アイドルっぽいポーズで、ウインクした後のワンシーンを描いてみました。
こみちの場合、似顔絵と言っても特徴を見つけて誇張して描くというよりも、雰囲気をどう伝えられるかをポイントにしています。
顎下に両手を置き、画面に向かって微笑む上村ひなのさん。
顔だけを描く時とは違い、腰から上まで描くので、肩幅や腕の長さなど、意外とバランスが崩れると背丈まで違ってしまい、印象が全く別物になります。
そうならないように、腕や肩のバランスにも注意してみました。
昨日、テレビ番組で、色鉛筆画を芸能人の方々が描いていて、その完成度の高さに驚きました。
特にデッサン(下絵)のクオリティーです。
絵を描く時に、上手いか下手かの最初の目安はデッサン力だと思います。
さらにその上の「芸術家」「クリエイター」と呼ばれる人は、個性を考えるようになるでしょう。
趣味で始めた時に、その好きな物を描くのに慣れると、人は短期間で上達します。
しかし、美大受験でも課せられるようなデッサンは、苦手に感じる人もいるでしょう。
理由があるとしたら、自分の描く線の意味を理解しているか否かではないかと思います。
ある意味、トレースやグリッドを使えば、下絵をより正確に写より、あとは「塗り絵」と同じ感覚で描けます。
つまり、ある完成度の絵を描く時に、「塗り絵」部分は器用ならすぐにできてしまう感性の領域です。
一方で、下絵の質は、技術そのもので、時間を掛けて反復練習するしかありません。
そう考えた時に、プレバトに出演されている芸能人のデッサン力がとても高くて、本当に芸能人は何でもできる人たちだ」と感心させられました。
テレビ番組とは別に、たまたま何を描こうかと思って描いたのがイヤホンケースだったのですが、シンプルな形状故に、描き甲斐があると思います。
そもそも「描く」という作業は、スマホのカメラ機能など無かった時代の知恵だろう。
確かに描くことは楽しくて、じっくりと観察することで見つかる発見も多い。
今回、描かせてもらった「筒井あやめ」さんの場合、彼女らしさがどこにあるのか、まるで間違い探しをしている感覚で、粘り強くみくらべるてやっと自分なりの納得に行き着いた。
最近、絵が上手い人って、描く技術が高い人ではなく、対象物の特徴をいかに深く掴めるかだと思う。
例えば同じ絵を描くにしても、下書きをトレースのような手法で行う場合、色塗り作業は塗り絵感覚でできるだろう。
もちろん、そのような楽しみ方も認められるべきで、楽しみ方はいろいろあっていいと思う。
しかしながら現実的には、元絵が不鮮明なものを描きたくなることも増えて、単純に線で区別することも難しくなってしまう。
不鮮明な部分をイマジネーションで補うのではなく、「よく分からない」なりに描くことがポイントで、アップでは疑ってしまう線も、少し離れて実感できるから面白い。
みなさんはどんな楽しみ方をしているだろうか。
バイク乗りなら、あのモンスターなバイクに憧れるだろう。
ロケットに跨るような存在感は、同じバイクでもクルーザーやネイキッド、最近流行りの125ccの小型では再現できない。
バイク画を描く時に大切にしているのは、そのバイクで何キロくらい出せそうかというリアル感。
何より中心線がズレてしまうと、真っ直ぐ走ることさえ難しく、乗り物画として破綻してしまう。
そんなことを意識しながら、久しぶりにバイク画を描いてみました。
今の画力では、この辺までが限界かも知れません。
細かく見るとまだまだ表現力が足りない部分もあって、時間的にもショートカットしたりで、「作品」レベルではありませんが、バイクっぽく描けたのではないかと思います。
いかがでしょうか。
もうYouTube に制作動画をアップしたのですが、結果的に言えば「外して」しまったようです。
似顔絵的にも顔立ちが整った美形なので、描くのが難しいのも事実です。
さらに、今回は顔だけではなく、上半身まで含めたポーズなので、さらに個人的な難易度は高くなりました。
しかし、このアングルを評価されるレベルで描くことができたら、描く上でのバリエーションはかなり自由になります。
まぁ、それだけに評価もされなかったというか、関心を持ってもらうことができませんでした。
元ネタが高精細な場合、描く時も得られる情報が増えるので描きやすくなります。
しかし、YouTube の動画から選んだワンシーンは、時に色味が不安だったり、境がはっきりしないことも多く、曖昧さをどこまで描けるのかが問われたりします。
描きたいポーズでも、目をつぶっていたりして、思うようにワンシーンを選べないこともあります。
今回の池田瑛紗さんの場合、割と一般的なポーズだと思うのですが、もう少しあとにあるおどけた感じの方が描きたかったシーンでした。
たださらに難易度が上がるので、今回はオーソドックスな方を選びましたが、結果的にはダメだったようです。
次回は、懲りずに乃木坂46のメンバーか、日向坂46のメンバー、又は格闘技選手から見つけたいと思います。
人を描いていることは伝わっても、誰なのか、どんなシーンなのかまでは伝わりません。
そこまで表現できるようになったら、納得できる画力に近づけるのですが。
イラストの中でも、室内を描くのは簡単ではありません。
こみち自身、少しだけパース画を描いていたことがありますが、遠近法を使った時に不自然さが拭えないことって割と多いからです。
今回の場合、教室の一角を描いているのですが、正確な描写ではなく、その雰囲気や空気感や距離感が伝えられたらと意識して描きました。
もう少し描き込んだら、YouTube チャンネルにもアップしたいと思っています。
この「何度目の青空か?」は、とても元気がもらえる曲の一つで、割と頻繁に聴きたくなります。
どこを描こうかと思ったのですが、意外とこれまで描けなかった教室のワンシーンを選んでみました。
トレース(下絵としてなぞる)など、方法はいくつもあります。
それは叶えたのは、カメラ(ここでは画像)が身近なものになって、絵を描くことが技術力ではなくなったからです。
それこそ、絵を描くことが苦手だとしても、トレースを使うと誰でもこみち以上に上手く描けるはずです。
多くの人は、何らかの形で、下書きを描けるまでにデッサンなどを繰り返し、見えたままをどう描けばいいのかを訓練しています。
絵が上手いか下手かの差は、素人レベルであるなら、この繰り返しに尽きるかもしれません。
なので、描くことが好きで描き続けた人はやっぱり上手く描けますし、慣れていなければそれなりになってしまうでしょう。
一方で、「トレース」や「グリッド法」を使えば、そんな手間さえも不要で、極端な話、撮影した画像のピクセルを描けば、写真そっくりになるのです。
このピクセル単位を倍の4、さらに9、16と増やし、理論上は紙一枚を単位にすれば、これまでの訓練で求められたレベルと同じになります。
言い換えると、デッサンの模写レベルは、紙一枚を一つのピクセルと考える人と、4分割、16分割と考える人とでは精度が違うでしょう。
なので、多くの人がセンターとなる目安線を描いて、そこから派生する様に他の位置を見つけています。
しかしながら、グリッド法を使った方法で写真そっくりに描く方法を、下書き部分から包み隠さずに紹介されている動画をYouTube で見つけました。
絵を描く人には特別驚く内容ではありませんが、「絵を描くって簡単だ!」と認識されたらと思うと、それこそAIが自動で描いてしまう現代なので仕方ないことですが、「描くこと」の価値が失せてしまうようです。
高精細なリアリズムを求めて描かれる超写実絵画は、髪の毛一本まで忠実に再現します。
そのことで、写真そっくりを超えて、まるで目の前に実在するかのような自然さを描こ出します。
しかしながら、そんな技法も、今では超高精細なカメラを使えば、グリッド法でも再現できることが分かります。
その意味では、そんな高精細なカメラでできてしまう以上、「描く目的」を見出すのは容易ではありません。
最も、写真そっくりな絵を描くことが、アートになるのかという議論もありますが、怖いなと思うのはプロを含めて描く意義を失ってしまわないかということ。
YouTube でもグリッド法などで描いている人たちには、この手法が分かりやすく公開されたのを受けて、描く目的や意義を見いだせなくなってしまわないでしょうか。
まして、グリッド法による模写レベルにも至らないこみちの画力など、存在意義すら奪われてしまいそうです。
現代は、ありとあらゆることがもっと簡単な方法でできるので、古典的な手法を続ける意味が失われやすいとも言えそうです。
シンギュラリティは、技術的特異点とも呼ばれていて、簡単に言えば人工知能が我々人間の知能を超えるタイミングを言うらしい。
よく例に出されるのは、チェスや囲碁、将棋などで人間と人工知能が対決し、その勝敗でどちらが優れているのかを判断したりする。
例えば、将棋の終盤で、相手の王を詰ませたい時に、そのパターンを先ずは徹底的に解析し尽くし、それができたら、中盤戦ではそのパターンのいずれかになるような駒運びを分析して行く。
これはこみちが今思いついた方法だが、問題解決のためにいつかのフェーズに分けて、それぞれの領域でパターンを作り出す。
それが大きな意味での骨組みをなり、さらに膨大な指し手のデータを加えていく。
すると、初めて見るパターンが少なくなり、つまりは蓄積されたデータの中で勝敗が決まることを経験する。
ではもしも、人工知能がそんな行程を経て人間に買ったら、人工知能が人間の能力を超えたと判断できるだろうか。
単語を幾つか伝えれば、それから連想される画像をAIが数秒で描いてしまう。
それを見て、画家やイラストレーターの仕事は奪われてしまうだろうか。
このことは音楽にも言えて、キーワードを与えれば、AIがそれなりに音楽を作ってくれる。
ここで人間と人工知能のどちらが優れているのかではなく、一個人として満足できるかがポイントだろう。
つまり、瞬時に描かれた絵を見て、満足できれば誰がどんな方法で描いたのかは時に問題ではない。
しかし、絵なのに妙に写真っぽかったり、逆に精密だけど可愛げもないというものだったら、嬉しいとは思えないだろう。
つまりは最終的に受け手がどう感じるのかが重要で、ある意味で人間よりも優れた人工知能ができたとしても、感じ取れなかればその人には不満が残る。
それこそ、精密さだけを追って、フルハイビジョンが2k、4k、8kとなったとしても、それを見分けられる受け手でなければ、もうその差にすら気づくことができない。
その意味では、「頭がいい」というような上向きの尺度だけでは解決できないことが日常生活でも増えて来た。
例えば、写真そっくりに描ける絵の上手い人がいて、でも実は下書きは画像データから読み取っていたとしよう。
別の人は、誰からも上手いとは言われない。でも妙に味があって、その人が描いたと分かるくらい個性的だ。
そんな両者をアートという視点で比べて、優劣など付けられないだろう。
つまり、さっきの将棋の話みたいだが、どう攻略すればいいのかという枠に収まらないからこそ、「アート」なのだと思える。
スマホのカメラ機能はミラーレス一眼カメラを超えたのか?
ある検証動画で、最新スマホのカメラ機能がかなり向上しているらしい。
というのも、一眼カメラと比べても、殆どの人には区別できないレベルになっているという。
本当だろうか。
ポイントは、スマホで撮った画像と同じような画像を一眼カメラでも撮って比べたことだ。
つまり、シャッタースピードから露光、焦点距離やホワイトバランス、画像の歪みなどを高次元でコントロールできる一眼カメラなら、スマホの画像に似せても撮影できる。
1から100までの方法で仕上げられる中の1つと、スマホの一枚を比較して、優劣をつける意味がどこまであるだろうか。
結局のところ、決まった方法で決められた通りがお望みなら、それこそ技術力によって生み出されたスマホで十分に満足できるだろう。
一方で、スマホの設定範囲では満足出来ず、もっと自身の意図を反映させたいと思ったら、一眼カメラはより適した選択になる。
人工知能と人間を比較して、人工知能が得意なことに人間の能力を合わせても、それは好みの問題だとしか言えない。
シンギュラリティを、能力の一面という意味で比較すれば、きっと人工知能は人間の能力を超えるだろう。
しかし、生きる喜びを与えて欲しいと思う人に、人工知能ができることはなんだろうか。
歌を歌うことや会話をすること、もしかしたらダンスも上手く踊れるのかもしれない。
しかし、思わず落ち込んだ人が笑ってしまう瞬間を、人工知能がどう学習できるだろうか。
こみちは、人工知能が数秒で絵を描くとしても、気になる景色に出会ったら、絵を描きたくなる。
楽をして写真に撮って終わりにしたとは思わない。
人工知能に代行して欲しくもない。
つまり、人間にはそういう部分があって、人工知能が今後どう進歩しても、人間の代わりを全て賄うことはできないだろう。
つまりはシンギュラリティの到来も、部分的な意味で人間の能力を超えることはそう遠くない日に来るだろうし、超えられない部分はもっと先にならなければカバーできないだろう。
何より、人間は自分らしささえも放棄し、そこにいるだけで満足するなら、シンギュラリティはもっと早く到来するだろう。
意外と上手い下手ではなく、その人が描いたから意味があるってこと、多くないでしょうか。
今の時代、結果だけではなく、その行程に価値を感じていたりします。
そこさえ理解できていたら、絵を描く楽しさは人工知能が奪うこともないでしょう。
今回は乃木坂46の「ここにはないもの」のMVより、齋藤飛鳥さんのイラストと描いてみました。
齋藤飛鳥さんをこれまでにも何度か描きましたが、今回はまた異なるポーズを選びました。
MVにあった駅のホームで一人舞うように踊るシーンがあって、その時のシーンも魅力的だと思ったのですが、今回はメンバーたちと一緒に歌い、最後にワンショットでアップになった時のものです。
小顔で評判の齋藤飛鳥さんですが、今回も描いていて本当に顔が小さいなと感じました。
雰囲気が上手く伝わっていたら、嬉しく思います。
少ない知識で語るべきではないが、当日の画家も同じ悩みを持っていたはずで、「〇〇を描いて欲しい」というニーズに画力で応えていたのだろう。
例えば、すでに文字として生み出された世界観を資格的に再構築するようなものだ。
ゴッホの代表作とも言える「ひまわり」。
例えばその作品を完全に模倣できたとして、そこに「意味」があるだろうか。
端的に言えば、ゴッホの「ひまわり」を模倣する技術はもう特別なことではない。
言うなれば、「ゴッホが描いた」という部分が大切なのだ。
もっと言えば、「ゴッホが何を思って描いた「ひまわり」だったのか?」が我々の感じるポイントだろう。
ゴッホには「星月夜」というグルグルと渦を巻いたような風景画がある。
「渦を巻く」ということではなく、「その時の夜空がそう見えてしまう気持ちだった」ことをどう理解するのかが試される。
目の前に存在しているのに、焦点さえ合わなくて、空間そのものが歪んで見ていてしまうという心情を「文字」ではなく「筆」で表現したことが偉大なのだろう。
近年の高精度カメラを用いれば、普段目にしている物でもより精密に描くことができる。
極端なことを言えば、描き手は「ドット」を忠実に塗っていけばいい。
しかし、超写実主義がカメラの模倣を目指している訳ではなくて、例えば「りんご」も「りんごとは何か?」を現代の技術を持って再現することだろう。
具体例を挙げるなら、「赤」で塗っていいのか。本当に「赤」なのだろうか。
例えば真っ黒に見えるキャンバスに、凝視すると気づくレベルでりんごが描かれていたとしよう。
作品のタイトルが「りんご」だとして、上手にりんごが描けているのかが大切なのではなく、無に見える世界に存在する「真実」を描いたというのなら、一気に芸術性を帯びるだろう。
つまり、超写実主義も描き方次第で価値を高めることができるし、描き方を間違えると評価を下げてしまう。
例えば、大きく瞳を描いて、その眼球に描き手まで詳細に映り込んでいた作品があったとする。
「細かい!」という評価が一般的だ。
しかし、超写実主義でありながら、そこに描き手の幼少期の姿が写っていたらどうだろうか。
これは簡単な作例だが、「子ども」に変えたことで生まれる芸術的価値が生まれる。
もう少し変化させるなら、瞳にサンタクロースが立ち去るシーンを写していたらどうか。
作品のタイトルも「クリスマス」とか「働き者」とか、「夢の世界」などにすると、最初瞳が描かれていると思って鑑賞した人が、「嗚呼!」と気づくだろう。
絵を描くことって、日本語で文章が書けることと変わらない。
油絵や水彩が、言語の違いであるように。
上手に描く人は、それだけ多くの情報や感情を表現に盛り込める。
デッサンが得意な人は、アウトプットならできるということ。
大切なのは、「何を表現するのか?」だろう。
こみち自身がよく東京03や乃木坂46のメンバーを描くのも、彼らの存在で動かされた気持ちをどう描けるのか模索しているから。
だからこそ、トレースして簡単に画像のコピーをしない。
そして、この試行錯誤の部分を、絵が好きな人たちと共有し、共感し、時に褒めたり、励ましたりできたらと願っている。
ただ残念なことにこみちの画力は今のまだ未完成で、描ける深さも浅い。
描きたいことが表現できていない。
YouTube やブログで描いた絵を公開し、時に高評価、時に低評価をもらうことで、描くモチベに変えている。
描くこと、書くことは今後もライフワークとしてどんな形でも継続していたい。
その意味では「上手い」ことよりも「そうしている」ことに価値があると思っている。
時間を掛けて詳細まで描くこともあれば、ササっと描き取ることもあって、そんないろんな関わり方でみなさんと同じ時に生きていることを楽しめたらと願っている。
どちらかというと、絵を描くよりも文章で書く方が楽だけど、ボチボチと絵を描くので、お手柔らかに接してもらえたらと思う。
「そんなことを考えていたの?」と興味を持った方は是非、YouTube の『こみちチャンネル』を登録してくださいね。
お願いします。
YouTube にある乃木坂46のチャンネル(乃木坂配信中)にラインナップされている紅白忘年会で、久保史緒里さんが余興として「ひろゆき」さんのモノマネを披露した。
共演者であるメンバーやバナナマンさんたちも絶賛する完成度で、口調や目線など、確かに似ていると思えた。
そこで、描いてみたのが今回のイラスト。
制作時間は、約2時間ほどで、どちらかというとササっと描いた部類になるだろう。
でも、完成度ではなく、あのモノマネを観た時の感動が伝わればと思う。
最近、YouTube をよく観ています。
このブログではあまり書いて来ませんでしたが、「絵を描く」ことよりも「描くことで何かできないか?」をずっと考えていました。
例えば、今朝観た動画は、アメリカ人の作家が若者に向けて自身の人生観を語るというもの。
ここでは内容の解説を割愛しますが、有益なメッセージでした。
また、アメリカ文化と日本文化が昔よりも似ていて、それはつまり国際的にも課題となることがグローバル化されているとも感じます。
もっと上手く描きたいと思う反面、最近、何を描けばいいのか分からなくなっていて、行き詰まり感を強く抱いています。
例えば、目の前に実在しているようなリアル感も、描くモチベになります。
しかし、心のどこかではそのために描いていうのかという疑問も浮かぶのです。
ゴッホやピカソがカメラという新しい技術の存在に触れて、正確で偽りのない描写から内面まで汲み取るような独自の画法模索したように、高精細な画像を仮に模倣できたとしても、描くことの価値に繋がるのかという疑念は拭えません。
小説を読むと、その一行目から何か別世界に誘われるでしょう。
文字の羅列によって生み出される物語ですが、どんな言葉をどう並べるのかで、生きることもあれば、沈んでしまうこともあります。
シナリオ教室に通うと、そこには同じ目的を持った仲間がいて、まだ未完成でも新しい気づきに互いが懸命です。
さらに講師のアドバイスによって、その方向性に確信を持ち、迷いながらも手探りで進むことができます。
例えば美大に四年間通って、「美術」という大きな概念を知ることができたとしても、「美術」と関わり生きることが難しいことにも気づくでしょう。
端的に言えば、クリエイターが自身で作業するよりも、クリエイターは延々とアイデアを生み出し、その周りのスタッフが具現化することで作品を作る方が効率的です。
そんな流れからすると、長時間掛けて生み出す一枚の絵を労働時間として計算すると、とても最低時給にも満たないでしょう。
絵を描く以前に、生きることができない事態になってしまうのです。
それこそ、今の時代であれば、YouTube のような制度を活用し、描くことに関連させたコンテンツで収益化を果たし、その活動を継続するベースを作ることができるでしょう。
しかしながら、絵を描くことだけでは、そのチャンネルが何をしたいのかも分かりませんし、どう関われば良いのかも理解することはできないでしょう。
今は一枚ごとに自分なりの結果を残し、それを偶然にも目にした方から「チャンネル登録」や「高評価(低評価)」という形で伝えてくれることがあるのですが、活動初期の頃は1週間、一ヶ月が経過してもほとんど再生されることがありませんでした。
いわゆる人気コンテンツと呼べる内容ではないので、〇〇万再生というようなことは起こり得ません。
しかし、何を求められているのかを理解しながら、そしてどんな思いで描いているのかを伝えることができたら、もしかすると「描くこと」だけでは伝わらなかった思いに何か感じるものがあるのかもしれません。
なかなか口下手で、ろくに自分から積極的な行動に移せていないのですが、ボチボチと手探りで思いでを伝えて行きたいので、簡単ではありますが、今後ともよろしくお願いします。
デッサンを練習していた昔、やっぱり段違いに上手い人がいた。
こみちが「B」クラスなら、その人は「A」クラス。
もしかすると「S」かもしれない。
日ごろから描くことを習慣にしていると、形を目で見てそれを手で再現する流れに違和感はないだろう。
しかし、完成度で言えば、80%、さらに90%と仕上がって来ると、急激に難しさが増していく。
例えば数分程度のラフスケッチで、上手そうに見せる人がいる。
でも、よく見ると狂いがあるし、やっぱり「ラフ」はラフでしかない。
否定しているのではなくて、見たイメージを短時間で描き取ることが「ラフスケッチ」の目的だから、本来の目的に合っているし、気になる狂いなど後で修正すればいい。
一方で、「完成度を上げる」。
超写実絵画の領域にも繋がるけれど、「似ている」から「そっくり」、さらに「もっとリアルに」と変化させるのは簡単なことではない。
普段、こみちは横に手本を置き、それを見て描く。
以前からこだわっていることだが、トレースはしない。
完成度が一気に上がるのは分かっているけれど、それをすると「絵を描く」ではなく「コピーする」になるからだ。
とは言え、以前よりも手本に近づいている感覚はある。
しかし、それも程度問題で、90%には達していない。
自己評価では現時点で「78点」というところだろうか。
「よし、良いのが描けた」とは思えず、「まだちょっと不安だなぁ」と思って、描いたものを見本と比べてしまう。
一方で、完成度を高める秘訣は、より精度の高い見本を手に入る必要がある。
見本がそもそも「90%」なら、真似て描く以上はそれ以上の完成度にはならない。
もっと高画質な手本があれば、「85点」くらいまで行けるかもしれないが、「目で見て描く」という精度はなんだかんだでそろそろ限界かもしれない。
昨日もアップしたイラストが下側で、上はさらに数時間手直しを加えたものだ。
本当は昨日、YouTube にアップしようと思ったけれど、いつも同じ質で変化が無いから、もう少し精度を高めてみようと思って1日延ばすことにした。
見比べる、奥行き感の違いが分かるだろうか。
まだまだ精度は低いけれど、手直しした上のイラストは、背景と人物、人物も頬から鼻までの立体感が増している。
髪に関しても濃淡を調整したことで、平坦に見えていたのが少しだが緩和された。
ここからさらに手直しすることで、ある瞬間に「写真並み」になる。
そして、プロの画家であれば、「創作物」へと進化させるだろう。
今まで、絵を描くことは、目の前の場面を書き残すためだった。
だから、その印象を呼び起こせるなら、不要な部分は省いても問題なかった。
一方で、写実主義的な絵に触れて、実在感を描くことでしか伝わらない感覚にも気づけた。
これくらい描くと「満足だ!」と思っていたけれど、そこで手を止めてしまうから何も始まらないのだろう。
むしろ、ここから。
どう描いて行けばいいのか。
そこにこれからの目標もあるのだろう。
みなさんは人物画は得意でしょうか。
ふつう、正面画から始まり、やがて真横、さらに斜めから、最後は下からという具合に、描くアングルが変化していきます。
マンガ絵のようなベタ塗りが多様されるイラストの場合、理想型を見つけることで、一気に画力が向上しますが、それは見せ方に慣れることも要因でしょう。
一方で、絵画的には表情や年齢、内面の具現化など、表面的な凹凸ではなく、固有の特徴に関心向けられます。
つまり、マンガ絵のような理想型を目指したりはせずに、その人らしさを描こうとします。
前回、三重野慶さんの作品で勉強させていただき、気づいたポイントを取り入れて描いたのが今回の一枚です。
いきなり大きな変更点はないのですが、「存在感」をより意識しながら描くことができました。
精度としては、あと2段階くらい上げられそうですが、現状でも十分に手答えを感じことができました。
特に肌質については、赤色から黄色、緑色までを含めて描いていますが、表面的な色彩を追うのではなく、肌を層と考えて塗ることで再現したことも新たな発見です。
今年もまたボチボチですが、投稿して行きますので、良かったお付き合いいただけると幸いです。
今年もボチボチですが更新したいと思っているので、良かったらお付き合いください。
昨年末に描きたい最後の一枚は、乃木坂46の早川聖来さんでした。
女性の肌のトーンを再現するのはとても難しく、以前から課題になっていました。
今回も早川聖来さんがとても整った顔立ちということも重なって、描くことが困難だとは分かっていましたが、どこまで描けるかと挑戦したものです。
さらに精度を上げるには、制作時間であと数時間を要すると思いますが、前回の写実主義絵画を模写させていただき、気づいたことを反映させることもできました。
今後も気ままではありますが、このようなイラストを更新しますので、良かったら2023年もよろしくお願いいたします。
こみちのように、絵を描くことを楽しんでいる方は「写実主義」という美術様式をご存知でしょう。
ゴッホやピカソの絵を観て、「どこを評価されているのだろう?」と思ったことありませんか。
もちろん、ピカソの幼少期のデッサンを見れば、彼が天才であることに気づくでしょう。
ではなぜ、あんな風に描いたのか。
これはこみちの個人的な見解ですが、その時代には既に「カメラ」という便利なものがありました。
つまり、「絵で表現する理由」を当時の画家たちは模索していたはずです。
いわゆる見えたままを描くデッサンは、美術における練習で、最終的に目指すは「何をどう描いのか?」ということだったのでしょう。
だからこそ、リアルに描くことが容易いことも知りながら、ゴッホやピカソは独自性を求めて「創作」していったのだと思います。
「スーパーリアリズム」とも言われる写実主義という美術様式。
誰もがスマホを持ち、一瞬で撮影できてしまう時代に、「写真そっくり」という絵にどんな価値を見出せるのか。
その意味では、先に挙げたゴッホやピカソが、写実主義から異なる様式へと進んだのは、今でいうCGグラフィックスで加工するようなもので、そのままを描くのではなく、必要に応じて加工を加えて、「実在」よりも「感性」を大切にしたとも考えられないでしょうか。
一方で、時代は一周し、写真のような絵を評価する風潮もあります。
「写真じゃないの?」
ある意味、そんな感想こそが、スーパーリアリズムの真骨頂です。
キャンバスに描くことが当たり前だった昔、「色」はあらゆる絵の具を調合して作られます。
数値化できない以上、感覚でしか再現できないとも言えるでしょう。
一方で、今やパソコンに下絵を取り込み、輪郭をトレースして、スポイトツールで色味情報を抜き取れば、それこそデッサンなどできなくてもリアルな絵を再現できてしまいます。
つまり、「リアル感」は美術的技法ではなく、テクニックの領域で完結します。
だからこそ、リアルが主体の絵に対して「美術なのか?」と考える人がいても不思議はありません。
こみち自身が画家「三重野慶」の作品を模写させてもらった背景
絵を描くことが好きなので、いつも出会った景色や場面を見て、「自分の画力で再現できるだろうか?」という好奇心があります。
それで、今回は三重野慶さんの作品を見て、習作させていただきました。
描く前に100%を再現したいとは思わず、イラストっぽさから写真っぽさへと見える境界線を確かめてみたかったからです。
なので右のイラストは、途中まで描いて作業を終えました。
ここから色味のバランスを細かく修正していくと、イラストっぽさから写真っぽさに変わると実感できたからです。
このイラストはトレースという透かし書きを行っていないので、三重野慶さんの作品と重ねれば、かなりズレていると思います。
でも、完全一致が目的ではなくて、どう写実主義っぽくなるかの確認だったので、ズレに対してこだわりはありません。
一方で、習作は創作ではなく、デッサンの領域だと思います。
というのも、表現方法に悩むことはなく、お手本通りを忠実に再現しているだけだからです。
トレースの他、碁盤の目を用いたり、距離を細かく測って写し取ることが一般的ですが、下絵さえしっかりできれば、あとは根気の作業です。
いつもはYouTube のワンシーンを描いたりしますが、画質的に詳細な元絵はありません。
一方で、今回の習作では、三重野慶さんの作品が鮮明だったこともあり、色味も明度もかなり精密に感じ取ることができました。
いつもなら1色にしか見えない部位で、2色、3色と微妙な色味を感じ取り再現したので、今まで以上に肌の再現性は高くできたと思います。
こみちにとっての収穫は、忠実に再現すればここまで「肌」を描けることに気づけたことです。
思いのですが、「タイトル」こそが「アート」ではないでしょうか。
例えば、「女性のアップ画」に「〇〇さん」とタイトルを付けたなら、作者は〇〇さんを見た人に伝えたくて描いたということになります。
一方で「思春期の女の子」とタイトルを付けたなら、「思春期」というイメージと「女の子」というイメージを描くことで表現したことになるでしょう。
「思春期」というイメージに30代40代の女性がモデルだったら、鑑賞した人はもしかすると「時の移ろい」や「年齢とは無関係な多感さ」を伝えたかったのかと連想するでしょう。
これが「〇〇の風景」という平凡なタイトルだったら、無作為に撮った写真と似てしまいます。
ある意味、「約束」とか「嘘」とか、描いた絵とタイトルにギャップがあると、観た人の興味や想像をくすぐるでしょう。
なぜなら「何がどうして「約束」になったんだ?」と思うからです。
私たちは、日常生活で無数の情景を見て生きています。
しかしその一枚ごとにタイトルをつけたりしませんし、明日になったら忘れてしまうでしょう。
こみちが絵を描こうと思う時も、「この情景を忘れたくない」という気持ちもあります。
それくらい立ち止まって描かないと「ワンシーン」など流れて意味を失うでしょう。
言うなれば、写真のような絵を見せられて「どうですか?」と言われても、「ハァ?」となって然りです。
なぜなら、そんな情景はこれまでにも何度も見ているからです。
そうではなくて、「〇〇」というタイトルを付けることで、特別な意図が生まれ、そこから連想する意味も生み出されます。
とは言え、今回の習作はそんなアートな作業ではなく、単純に雰囲気をどこまで今の画力で再現できるか確認したかったのです。
描くことで、その人の特徴を掴むことができます。
本職のイラストレーターの方は違うと思いますが、こみちくらいのレベルなら練習しただけ上手くなれると思っています。
何度も描いてみて、まだ納得できるレベルではありませんが、描きたいことを描く手ごたえを掴んだ気がします。
何より、描くのって楽しいですよね。
ということで、賀喜遥香さんをまた描いたので紹介させてください。
賀喜遥香さんの「困り顔」は、彼女の性格を印象づけます。
そんな表情を描こうと思って、いろいろ動画を視聴していたのですが、描けそうな表情が見つからず、結果的にバレンタイン大作戦で見せた「泣き顔」を選んでみました。
もう少ししっかり描かないと、画面に対する情報量が不足している印象になってしまいました。
「描くこと」が優先されて、完成度が保てていない感じがします。
描いた直後はそんな風に思っていないのですが、時間を置いてから見直すと、粗さが気になります。
もう少し、時間を取って、納得できるくらい温めた方がいいと反省しています。
前回のイラストをたくさんの方々に見ていただけて嬉しかったです。
一方で、鋭いご指摘もいただき、もう一度描き直すことにしました。
アングル的に正面を選び、賀喜遥香さんに寄せて描いてみました。
雰囲気が伝わったのか、前回よりも高評価をいただけてホッとしています。
難しい部分も多いですが、描くのは楽しいですし、またコメントをいただけて、励みになっています。
どうもありがとうございます。
みなさんは、右のイラストを見てどんな風に思ったでしょうか。
どこが「賀喜遥香」さんなんだ?
全然、似ていないぞ!
様々な感想があると思います。
このイラストもこみちのYouTubeチャンネルに製作行程をアップしているのですが、「似顔絵とは何か?」をもう一度考えてみたいと思うきっかけを得ました。
デフォルメしたり、誇張させたり、または大胆に省略することで、対象となる人物を描き手自身が脚色することを世間的に「似顔絵」と定義しているわけではなさそうです。
むしろ、肖像画という呼び方には、対象となる人物の印象を外見だけでなく内面までも汲み取り表現することまで含まれるらしいのです。
個人的には、描きたいなぁと思った人物や風景を、楽しく描けたらそれで満足で、それが外見的なのか、内面的なのかはその時々で変化します。
では、ここに挙げたイラストが、似顔絵と呼べるのか、肖像画と言うべきかは、正直なところ判断できません。
と言うのも、このイラストは、トレースして描いたものではなく、ある意味で模写的で、写真ほどの高精細な描写とは呼べません。
一方で、簡素化された表現方法だけで描いた似顔絵とも異なります。
ではこのイラストは、似顔絵と呼ぶべきか、肖像画と呼ぶべきか。それともまた別のカテゴリに属するのか。
改めて考えると、案外と難しい話にも感じます。
みなさんもあの有名画家ゴッホをご存じでしょう。
何でも、ゴッホが画家として活躍されていた時代には、既にカメラという技術が存在していたそうです。
つまり、現代で言う人の描写とAIやCGの差をどう捉えれば良いのかを悩むように、当時はカメラの高精細さと人の描写と違いに注目が集まっていたみたいです。
画家がリアルに写実的に描いても、カメラの品質には勝てません。
仮に頑張って競い合ったとしても、意味があるのかという根本的な問題に立ち返ります。
そこで、ゴッホは、目に見える外見だけではなく、人が人として感じ取った感覚までも描くことを目指し、肖像画を描いたそうです。
つまり、必ずしも実際の人物のまんまとは限りません。
でもそこに、描かれた絵を見た人が、何か印象を感じ取ってくれたなら、それはそれで価値あるものになったということ。
実際、画像を下絵にトレースすれば、寸分の違いもない複製を作ることは技術的にも簡単です。
でも、それならもう描く必要性はなく、コピー機にお願いした方が良いくらいでしょう。
カメラという技術を知った現代に於いて、「描く」をどう意味あるものにするのかは、普段から好きで絵を描いている人でも、なかなか考えないことだったりします。
呼び方として「似顔絵」が良くて、「スケッチ」や「模写」など、どれがいいということもあまり考えたことがありません。
ただ、面白いもので、「生命線」とでも呼ぶべき、必須の線があって、それを探して描いている所があります。
その線とは、誰が描いたとしても外せないだろうという大切な線で、その線を描いた瞬間に一気に絵を質が変化します。
上手く描けたときには、その線が忠実に捉えられていて、逆に不本意な時には見つけられていないことは多いです。
つまり、漫画風に描きたいなぁとは思っていなくて、かと言って写真をそのまま書き写したいとも思っていないのです。
ちなみに、このイラストに載せることができたイメージは、感じ取った情報の50%くらいでしょうか。
それはアート作品とは思っていなくて、あくまでも「このシーンを描いてみたい」という好奇心だからです。
きっとこの先に、思っていたゾーンがあると感じ取れたら、当初の「描いてみたい」という興味はある程度落ち着いてしまいます。
それが、感じとった50%という割合だったことになります。
結局のところ、この描いた絵が似顔絵なのかどうかは、良く分かりません。
というか、似顔絵と安易に表記してしまっていますが、結局のところ、描きたいなぁと思って満足できたらそれで良くなっているという感じです。
最近、あれだけ描き続けて来た東京03を描かないのも、「描きたいなぁ」と思うシーンが見つからないから。
さらには、苦手だった女性をもう一度描いてみようと思い出したことも重なって、今回は賀喜遥香さんのこの表情を描いた次第です。
みなさんは、どんなきっかけで、描く人物を見つけるのでしょうか。
改めて考えると、描くよりも複雑なことが、いろいろ関係しています。
まさか、ゴッホもカメラという技術に対して、描き方で悩んでいたとは思いませんでした。
やはり、似たようなことを考え、悩むんですね。
そこはとても面白い発見でした。
苦手にしている女性をここまでアップして描くのは、勢いでもないとできない。
女性は圧倒的に男性よりも色味の変化が繊細で、どうしても女性特有の艶っぽさを描くのが難しい。
今回、乃木坂46の賀喜遥香さんをアップで描いてみた。
実は割と時間が掛かっていて、それこそ東京03のイラストで早く描けた時の物と比較すると3倍くらい作業時間が違う。
割と小さなサイズで見ていると、粗が目立たない時でも、少し大きめになると雑さばかりが目につく。
YouTube にアップして、よく頑張ったと「高評価」を付けてくれた人もいたが、それと同じかそれ以上に「低評価」で知らせてくれた。
低評価を気にしていた時期もあったけれど、誰からも無反応よりはずっといい。
このイラストを不出来だと評価されるのも理由があるけれど、賀喜遥香さんの性格を垣間見たような表情が気に入って描いた。
それが十分に伝わるかは画力の問題だと思うけれど、一生懸命伝えたくて描いたことに偽りはない。
美人に描くことだけが描写ではないし、自身の中にある「形」にこだわると、表現できる幅も失われてしまう。
これはこれで、個人的には良かったと思っているけれど、YouTube にアップすると世間的な反応を知ることができて楽しい。
賀喜遥香さん本人にしたら、もっと美人に描いて欲しいものだろうか。
だったら申し訳ないとしか言えないけれど、個人的には「この表情」という一瞬を忠実に描ける画力に憧れてしまう。
前回、ピンク色のウイッグを被った田村真佑さんを描いてみた。
田村真佑さんの似顔絵を描くことにかなり苦戦してしまった。
そして、今回はさらに賀喜遥香さんとのツーショットに挑みことにした。
ちょうど、軽い逆光で、二人の顔に薄らと影ができていた。
ピンク色のウイッグにも光が当たり、輪郭を形取るように光って見えている。
画面内に収めたい情報量が多くて、二人分の似顔絵を描くだけでも大変なところで、気になるポイントが幾つもあって、終わりが見えないほどだった。
2時間くらい描いては休憩を何度か繰り返し、ここまで描いた所で一応の完成にしたという感じだ。
賀喜遥香さんの似顔絵を描くのは、これで5回目位で、その中でもやっと雰囲気を掴めたように思う。
一方で、田村真佑さんの方は、正面からにしたものの、それでもまだ雰囲気を掴むことができない。
似顔絵を描く時に注意している目鼻口の形と位置関係だが、どうもそれだけでは似せられないポイントがあるのだろう。
輪郭に加えて、頬の盛り上がり方なども、もう少し研究してみないなと思った。
でも、試行錯誤しながら描き続けて、「ここだ!」と言えるポイントを発見した時が楽しいから、まだもう少し田村真佑さんに関しては挑戦してみたいと思っている。
風景画を描くには、人物画では使わない「ぼかし」が重要になる。
しかし、一般的に絵を描く時は、明度差に意識が向かい、輪郭線を追ってしまう。
そんなやり方で躓くのは、例えば「雲」を描く時ではないだろうか。
右のイラストは、下地を塗って全体的な色の配置を確認している段階のものだが、辛うじて右下の濃い雲だけが他よりも手が加わっている。
元ネタは乃木坂46の「帰り道は遠回りしたくなる」のMVだが、もう少し描き込まなければ空の奥行き感が現れない。
最も手間に存在する背中を向けた人物に対し、それよりも淡い色合いでどこまで忠実に色彩を再現できるかで、このような構図のイラストは出来が決まる。
特に、掲載したイラストを拡大してみると、かなり乱暴に着色されていると気づくだろう。
それはつまり、「線」で追わない工夫というか、ぼかしを生かしたいための準備だ。
多分、雲が正確に描ける人は、基礎ができた人だろう。
そこからが創作の始まりで、何をどう描きたいのかが試される。
こみちの場合は、今描いている風景画の完成度で判断できると思うが、基礎が出来つつある段階だろう。
これに加えて、基礎デッサンや使用する絵の具の特性を理解できたら、表現できる幅が広がってくる。
まだまだ、各部の精度が低く、課題を持って挑戦し、できたところと上手く描けなかった部分を分けて、練習を重ねたいと思っている。
このイラストがどれくらいの完成度になるか、自身でも楽しみにしている。
田村真佑さんの似顔絵を描くのは初めてです。
何度が動画で顔を見ているのですが、今回描くシーンはその時に把握している印象とは別人に思えました。
なので、見たままをどこまで再現できるか試される挑戦です。
ピンク色のウイックを描くこともなくて、でもこれも描きたい一品でした。
もう少し胸下くらいまで描こうとも思ったのですが、顔中心の構図になってしまいました。
唇の形が印象的で、こも口元を描くのは大変でした。
目元もカラコンが入っていて、それが印象を変えています。
でも、苦労しましたが、難しい表情だったので、挑戦して楽しく描くことができました。
今、国内で盛り上がっているサッカーのワールドカップ。
そして、そんなワールドカップに関する番組で注目されているのが、日向坂46の影山優佳さんのトークでしょう。
アイドルという肩書きからは想像できないほどのサッカー通勤で、テレビ番組に出演された時も期待以上のトークで共演する元日本代表選手を驚かせている。
YouTube でも本田圭佑さんに影山優佳さんのことを知っているかと質問しているシーンがあって、内田篤人さんとの共演もあってなのか、なかなかの好印象だった。
とは言え、似顔絵を描く場合、あまり顔立ちをよく知らないまま描くと、どう描けばいいのかが分からないことも多い。
そんなの中で、影山優佳さんらしさを感じられるシーンを探してみた。
見つけたのが1年前に公開された「学びの化物」という公式チャンネルの動画。
勉強好きな影山優佳さんらしいトークが魅力的な1分ほどの短いコンテンツでした。
カメラを覗き込むような一コマで、今回はこの場面を選んでみました。
もう少し描き込んだら、YouTube チャンネルの方にも掲載したいなと思います。
夕方くらいになってしまうかも知れませんが。